午後六時ぴったりに、会社説明会が終わった。
 今日は朝から一日中議論をして、説明会でも集中して話を聞いていたので、どっと疲れが押し寄せてくる。Dグループのメンバーと互いに目を合わせながら、「お疲れ」と労った。

「はあ〜やっとだ! 飯だ飯! 早く行くぞ」

 遠足前の子供のようにはしゃいだ声を上げる風磨に背中を押されて、善樹は食事会場へと向かう。

「善樹くん」

 その刹那、美都から声をかけられた。「なんだよ」と不機嫌な風磨の声が頭に響いて、善樹はぎくりとした。美都に聞こえてなければいいけど、と内心ヒヤヒヤする。

「どうしたの、長良さん」

「あの、今日の夜、少し話せないかな」

「今晩? うん、別にいいけど」

「良かった。じゃあ、九時にロビーで待ってる」

「ああ、分かった」

 幸い風磨の苛立たしげな声は聞こえなかったようだが、夜に話したいという美都の発言には驚いた。

「兄貴、お前、インターンに来てランデブーする気か」

「……風磨にだけは言われたくないな」

 間違ってもそんなことにはならないと思うが、彼に文句を言われる筋合いはない。
 美都とは、告白をされてからあれっきり何もないのだ。
 今日話したいと言ったのも、このインターンのことだというのは理解している。後ろめたいことは何もなかった。

 二日目の夕食は、一日目と少しずつメニューが違っていて、相変わらず豪華で美味しかった。きっとここにいる多くの学生は二日も連続で会席料理なんて食べないだろうから、みんな、夢中になって食事を口に運んでいるのが分かった。Dグループのメンバーも、「やっぱり飯は最高だな」と言いながら全身で絶品料理を噛み締めている様子だ。

 午後七時半、デザートまできっちり食べ終えて満腹になったところで、各々自分の部屋へと戻って行った。明日の発表に備えて、自分の意見を整理するための貴重な時間だ。善樹も、昨日同様お風呂を済ませると、パンフレットのメモ欄に記載して議論の内容を見返した。だが、正直今日の議論の途中からメモを取る気力が失せてしまっていたので、メモはとても雑だった。これではメモを見返してもほとんど意味がない。善樹は記憶の中のみんなの「自分史」と、議論をしているときの彼らの様子を思い返して、なんとか推理しようとした。

 でもダメだ。
 頭が上手く回らないのだ。
 自分は「偽善者」だというレッテルを貼られてから、どうも調子が出ない。分かってはいた。いつか、自分のしてきた「正義」の表の皮が剥がされて、痛い目を見るんじゃないだろうかって、薄々予感していた。それでも気づかないふりをし続けてきた罰が当たったんだ。

「お手上げみたいだな」

 他人事のように風磨がそう告げる。暗くなった窓に映る風磨の顔が見たことないくらい真剣で、思わず自分の頬を触る。善樹自身、顔の筋肉が強張っていて、とてもじゃないが冗談でも今は笑えそうになかった。いっそのこと、善樹がどれだけ偽善的な行為を繰り返していたか、馬鹿らしいと笑い飛ばしてくれれば良かったのに。こんな時こそ、風磨の軽い性格が救いになりそうなものを、一緒になって暗くならないでほしい。

「まあ、発表なんて適当に作り話をでっち上げればいいんじゃないの。善樹ってそういうの得意だろ。頭いいんだし」 

「そんなに簡単なことじゃない。作り話に整合性を持たせるのには、念入りに準備が必要なんだ」

「そんなこと言うけどさ、あんな議論で誰が犯罪者かなんて正確に推理することなんて不可能じゃん。宗太郎だっけ? あいつも言ってたけど、犯罪の証拠なんて警察にでも行かない限り分かんねえんだし。善樹の頭なら、それっぽい推論をして周りを納得させられるんじゃないの」

「お前は……いいよな。お気楽に傍観者気取りで、明日も軽いノリで行くんだろ」

 思わず口から嫌味がこぼれ出た。
 風磨はいい。いつも、親から期待もされず、自由奔放に生きているんだから。
 そう考えたところで、善樹ははっとする。
 自分は今、何を……。

 善樹はこれまで、風磨のことを、一人の人間としてきちんと尊重して生きてきたつもりだ。確かに自由すぎて周りからは呆れられているけれど、風磨にも優しい一面があって。今こうして「適当に作り話をすればいい」と言っているのも、本当は自分を励ますためだと知っている。だからこそ、中学時代に風磨が不良に絡まれて非行に走った時は、本気で心配したし、きちんと彼の言い分を聞いた。親でさえ分からない風磨の複雑な気持ちを分かってあげようと努めた。なんとかして風磨には真っ当な人生を送ってほしくて必死だった。
 だけど本当は善樹自身、風磨のことを馬鹿にしていたのではないか……?
 どこかで自分とは違うやつだって一線を画して、自分よりも人として劣っていると思い込んでいたのではないか。

「風磨を救いたいから」とそれらしい理由で納得して、正義を貫いていると勘違いしていたのではないか。

「……」 

 これ以上は考えていられなくなって、善樹は思考を止めた。風磨もそんな善樹を見かねてか、もう何も声をかけてこない。きっと明日の朝まで彼とは口を利かないだろう。