21時46分、仕事終わりの22時まではあと14分。
 レジ近くで商品の前だしをしているとレジカウンターの中にいた高木さんが突然、話しかけてきた。
「陳列した週刊誌の見出し見た? 」
「見出し? 」
「そっ、見出し。レジェンドとか呼ばれる人だって結局、いなくてもさぁ……、世の中は回っていくんだな、って思ってさ」
「高木さん? 高木さんってそんなこと考える人だったんですか? 」
「何それ? 逆に君は僕が何も考えてないようなお気楽に見えるんだ? 」
「何も考えていない人だとは思いませんけど、ひょうひょうと一反木綿みたいに生きてる人かな? とは思ってました」 
「一反木綿? 君、何歳なの? 」
 店内には私と高木さんだけでお客はひとりもいなかった。レジカウンターの中にいる高木さんとおにぎりのコーナーにいる私。距離にしたら私の身長分もない。
 私の推しである高木さんとこんなふうに話せる時間を5月からずっと夢見ていた。今は9月、4ヶ月過ぎてようやくこんなふうに話しかけてもらえるようになった。

 高木さんの存在を知ったのは私が仕事を辞めた日だった。私は会社に置いていたファイルとか書類とかを入れてパンパンになったリュックを背負ってバスから降りた。いつもは素通りしてスーパーに寄るのに、その日はあまりにも荷物が重くて、お弁当だけを買うつもりでコンビニに寄った。
 実際、私が手にとったのは職場の先輩から美味しいと聞いていたGong chaのミルクティーとミニサイズのしそパスタ、塩むすびだけ。
 それを手にしてレジに行った時、そこには高木さんがいた。
「レジ袋はいりますか? 」
「大丈夫です」
「では」
と言ったあと、高木さんはブルドーザーで寄せるみたいに私の手元へ塩むすびとGong chaのミルクティーとミニサイズのしそパスタを寄せてきて私は【えっ? 】と思って高木さんの顔を見た。すると高木さんも【えっ? 】って首を傾けながら私の方を見た。
 その首を傾けながら私の顔を見た高木さんの顔はカピバラ、もしくはカワウソに似ていた。
 私の方に寄せられたそれらを慌ててエコバッグの中に詰めて私は自動レジの現金のところをタッチした。
 そして、自動ドアの開く音がすると
「おはよう⤵️ 」
と独特のイントネーションで多分、同じ職場の人だろう、私と同じようにリュックを背負っているおじさんに向かって言った。
 おじさんは
「高木くん、おはよう。先にカレーパン買うから」
と隣のレジの前に立った。

 恋愛というより、ここでこの人と一緒に働いてみたい、なぜか直感で私は思った。帰宅しておにぎりとパスタを食べた後、リュックの中からスマートフォンを取り出した。
 求人サイトのアプリを開いて近所のコンビニを検索するとすぐに出てきた。そして私は翌日、すぐに履歴書をそのコンビニに買いに行った。働いている人たちの目が死んでいないか? 雰囲気はどうなのか? キョロキョロするのも怪しませるから用もないのに店内をぐるっと一通り見て回った。
 そして、履歴書をレジに持ってゆくと
「頑張ってくださいね」
と母と同世代に見える人から声をかけられた。
「ありがとうございます」
と返事をしながら、まさかこの店で面接を受けるなんて思ってもみないだろう。
 
 履歴書を書き終え、ドラッグストアーの駐車場のところにある証明写真ボックスで履歴書用の写真も撮った。善は急げではないけれど、すぐに行動しなければあっという間に無職で半年が過ぎていきそうな気がした。私が退社した理由も前倒しだった。職場の先輩達が忙しさからどんどん心のバランスを崩してゆく。優しい口調だったのが、だんだんイライラした口調になり、ある日、会社に来れなくなる。イライラの連鎖の理由は人件費削減によるキャパオーバーのマルチタスクだった。毎日確実に3時間は残業していた。このままではいずれ私も心を壊してしまう。その前に私は退職願を書いた。憧れだった先輩達を嫌いになる前に。

 コンビニの面接は3分で終わった。オーナーは履歴書を見た後、私の顔を見て
「では明日からお願いします」
と言った。私は自分の名前を、言った後よろしくお願い致しますと頭を下げただけだった。そして、面接が3分で終わった理由もわかった。毎日、店のパソコンには面接の申し込みのメールが届いていた。オーナーは
「1年間続く人は10人いるかいないかぐらい。早い子は当日、学生は慣れた頃、3ヶ月ぐらいで事故にあったとか、親に怒られたとかそんな理由、もしくは無断欠勤で辞めていくんだ。だから花野さんにも過剰な期待はしていない。やるべきことをきちんとやってくれればいい、そう思っているよ」
 バックヤードで研修用の動画を見ている時、私に言った。

 「あなたは花野さんね? 新人さんね? 」
 そう言ってスーパーの買物並みにレジカゴいっぱいに買ってゆく年配の人。
「あの男の人はね、今日は休みの米多(よねだ)さんのファンなの。米多さんはおじさんたちに人気だから【米多ファンクラブ会員】って裏で私たちが言ってるひとりよ」
 研修中、朝9時から夕方5時までの間、人酔いしそうなほどいろんな人の接客をしてベテランの方から仕事とは全く関係ないような話も聞いた。
 そして
「花野さんは彼氏は? 」
と聞かれ
「いないんです」
と答えると
「夜のシフトに入ってる確か、高木? ってカピバラみたいな顔した男の人がおすすめよ。彼ね、同性にめちゃくちゃ評判がいいの。一見、やる気がなさそうだけど続いてるし、たまに昼間にも入るけど仕事もちゃんとしてるわよ」
「カピバラ、カピバラににてますよね!! 」
「花野さん、知ってるの? 」
「はい、仕事終わりに1度だけ接客してもらったことがあります」
 お母さんみたいなその人はやっぱりお母さんみたいな感じで私に高木さんをすすめてきて、さすがにそこで
「高木さん目当てでこの店のアルバイトの面接受けました!! 」
とは言えず、私は
「カピバラ、イケメンとかじゃなくて、カピバラなんですよね!! 」
とカピバラを連呼した。


 そんな感じで3ヶ月が過ぎて、もちろん、その間にシフトが一緒になることもあったけれどお客様が次から次へときて私語を今日みたいに話す時間はなかった。 
 時計を見る。
 
「おはよう」
 リュックを背負って入ってきたのはベテランのおじさんだった。
「おはよう⤵️ 」
「おはようございます」
 ああ、高木さんと話す時間は終わった、と思っていたら、ベテランの後ろから若い金髪の男の子が入ってきてレジにいた高木さんに
「合鍵、作れますか? 」
と聞いていた。
「合鍵ですか? 鍵? 」
「うんうん、そうです」
「鍵はこの辺だと鍵の110番かな。もう閉店してるから明日、朝行ってみたら? 」
「コンビニでは駄目なんですか? 」
「コンビニでは無理だよ」
「ちぇっ、なんでもできると思ってたのに違うんすね? 」
「うん、違うんすよ」
と高木さんは答えていた。

 そして金髪の男の子が店から出たあと
「花野さん、おつかれ。あがりましょう⤵️ 」
 又、独特のイントネーションで高木さんは私に言って、笑いが出そうな口を押さえて
「おつかれさまです」
 私は高木さんとベテランさんに頭を下げた。

 バックヤードに入って私と高木さんがパソコンで退勤の打刻をしていると
「おはようございます」
 遅刻してきたもうひとりの深夜帯のアルバイトの人が息を切らしてドアを開けた。 
 「おはよう⤵️ 」
 また独特の高木さんの声がして
「高木さんのおはよう⤵️ って独特ですよね? 」
と私が言うと、高木さんも遅刻してきた男の人も無言だった。その無言のまま、制服のシャツを脱いで
「おつかれさまです」
私はバックヤードを出ようとした。
「花野さん、待って」
 高木さんの声にびっくりしたのは遅刻したもうひとりの男の人で
「高木さん、花野さんのこと好きなんですか? 」
とどストレートに聞いてきた。
 ここでまた無言。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか⤵️ 」
 高木さんの真似をして少し下げた口調で言ってみた。
「僕はとりあえず、遅刻なんで店に出ます。ふたりともごゆるりと」
 

 気まずい。この状況でのふたりっきりは気まずい。そう思っていると
「花野さん、うさぎ好き? 」
と聞いてきて
「うさぎ? おぱんちゅうさぎのことですか? 」
「パンツをはいたうさぎじゃなくてうさぎはうさぎ」
「嫌いじゃないです。でも特にうさぎのことを考えたことはありません」
「だよね⤵️ 」
「じゃあ、おつかれさまです」
「うん」
 私がバックヤードのドアを開けると後ろから高木さんもついてきた。店舗の裏にとめてある自転車に鍵をさそうとしたとき、
「花野さん、僕はね、何が言いたかったか? っていうとうさぎのありすと暮らしていて、アリスは寂しがり屋だから、僕が例えばどうして家を開けないといけないとき、安心して預けられる人を探してるんだよ」
「そういうのは彼女さんに」
「彼女はいない。花野さんは例えば今、待ってる彼とかいるの? 」
「いません。帰宅して寝るだけですよ」
「じゃあさ、とりあえず、アリスと会ってよ」
 複雑な思いだった。うさぎと会ってよ? って何? ライバルはアリス? 私はアリスのために都合よく探してる誰か? 
「彼女でもないのに部屋に行くのはちょっと── 」
「じゃあ、彼女ってことで⤵️ 」
「はい? 」
「いや、ご、め、ん⤵️ なんとなくだけどさ、僕のこと、嫌いじゃないでしょ? って思ってさ。そういう空気って僕は敏感だから⤵️ 」
「確かに仕事を辞めた日の夜、高木さんに接客してもらってそれから気になってここで働いています。でも好きとか嫌いというより【推し】みたいなものなんです。今のこのフリーターの私にとっては」
「推し? 僕が? じゃあ、まさに推し事じゃん!! 」
 私は右手に自転車の鍵を持ったまま、高木さんも同じように左手に自転車の鍵を持ったまま話していた。
 そして、
「とにかく、家に来る? 来ない? アリス、可愛いからさぁ⤵️ 」
と私に聞いてきた。

 泊まる準備など何もしていない。もう見られているから関係ないけどメイクだってほぼ汗で落ちている。この話の流れだときっと部屋に行ってもうさぎと戯れるだけだ。じゃあ、尚更、とりあえず、部屋に行ってみる? 脳内で倍速でそんな自分との会話をして、私は高木さんが自転車を押しながら歩く、その後ろを同じように自転車を押して歩いた。
 そして普段、月など見ないのに、空を見上げると満月でまさにうさぎが2羽、お餅をついているように見えた。

「あそこだよ」
 高木さんが指さしたマンションは壁にペット可のシールが貼られた新築の私も入居したいと思っていたところだった。

 高木さんのブルーの自転車の隣に私の赤の自転車をとめる。高木さんが玄関のドアを開ける後ろで私はその背中をじっと見ていた。

「どうぞ」
の声と同時に
「バン!! バン!! 」
何か音がした。
「アリス、ただいま⤵️ 」
 中に入ると真正面にうさぎのゲージが見えて茶色のネザーランドドワーフのうさぎが私の顔を見ていた。
 うん?
「高木さんとアリス、なんだか顔が似てますね? 」
「だよね? 僕もさ、店で自分の顔と似てるって思ったんだよね⤵️ 」
 私はとりあえずアリスの前に座る。
 ゲージから出してもらったアリスは部屋を徘徊した後、座っている高木さんのところでペタッと足を伸ばしてバンザイしてるみたいにして寝転んだ。
「アリス、どうだ? 僕の好きな人のこと、アリスも好きかい? 」
 聞こえなかったふりをするべきか、私もというべきか、わからずに私はアリスの顔をじっと見ていた。

「あっ、そうだ、これ」
 高木さんが立ち上がってテレビの前に置いてある何かを手にして私に渡してくれたのはおぱんちゅうさぎのキーホルダーが漬けられた部屋の鍵だった。
「高木さん? 」
「いや、本当にもうこういうシチュエーションは苦手なんだよ。ここまでしたんだ、察してくれ。僕がふられるんなら別のコンビニに変わるから」
 私はおぱんちゅうさぎのキーホルダーがついた鍵をアリスに見せた。もちろん、無反応だったけれど。
 
 自分の推しに推されたかもしれない今日がもうすぐ昨日に変わってゆく、私はその時間を忘れないように左手首につけてあるジーショックで時間を確かめた。

 23時53分──、その瞬間に高木さんは私が合鍵を持っていた手を掴んだ。
 そしてアリスは私の膝の上に乗った。