――十二月中旬の日曜日。
 クリスマスを間近に控え、街がロマンティックなムードに溢れるこの時期に、鬼京流唯と橘花澄香の婚約お披露目パーティーが開かれることとなった。

「澄香、これとこれ、どっちがいいと思う~?」

 姿見を陣取り、ワンピースを次から次へと胸に当てては、ああでもないこうでもないと騒いでいるのは、人間の姿をしたハチ香だ。パーティーに参加したいからと、流唯に頼んで再び姿を変えてもらったのだ。もちろん髪型は、ハチ香お気に入りの『ラジオ巻き』である。

「両方似合っているわよ。好きな方にしたら?」
 
 着物に着替え、緊張の面持ちで椅子に座っている澄香は、当たり障りのない言葉を返す。
 そんな澄香に、ハチ香が不満の声をあげかけたそのとき、部屋のドアをノックする音がした。
 どうぞ、と応じると、五十代とおぼしき男性が隙間から顔を覗かせた。

「澄香さん、流唯が世話になってます。父の鬼京流霞(るか)です」

 思いも寄らない訪問者に、澄香は椅子から飛び上がる。

「――お、お義父(とう)様! は、初めまして。橘花澄香と申します。ど、どうぞ中の方へ……」

 流霞はゆっくりと澄香に近付くと、この度は婚約おめでとう、と笑顔で言った。

「あ……ありがとうございますっ!」
「パーティー、私も参加させてもらうよ。……ただ、息子は嫌がると思うから、こっそり見えないところにいようと思う。あ、ここに来たことは、息子には黙っていてほしい」
「……あの……なぜ流唯さんはお義父様のことを――」

 その先を続けるのが失礼にあたると気付いた澄香は、ごめんなさいっ、と俯く。
 流霞は、ハッハッハッと鷹揚(おうよう)に笑うと、目を細めて澄香を見詰めた。

「澄香さん、一度きちんとあなたに挨拶がしたかった。息子のこと、よろしく頼みますね」
「……本当はこちらからご挨拶に伺うべきところを……申し訳ございません」

 澄香は流唯に何度か「お義父様や、このお屋敷に住まわれているご親戚にご挨拶がしたい」と申し出たのだが、流唯は「そんなことをする必要はない」の一点張りだった。

 流霞は、「いや、いいんですよ」と小さく答えると、静かに部屋を出ていった。

 澄香は複雑な思いを拭いきれずに、その場に立ち尽くす――。


 
「――あ、澄香、あのリボン付けたんだね! カワイイ!」

 明るい声にハッと振り向くと、ハチ香が大きな瞳をくりくりと動かし、自分を見ていた。

「そうなの……着物にレースのリボンって、合わないかもしれないけれど……」

 澄香が着ているのは、鬼京百貨店で流唯に買ってもらった水色の生地の着物である。

「そんなことないよ! 着物に描かれているその花――水仙だよね?――は白色だし、リボンの色とぴったり合うよ!」
「それならよかった……。ハチ香は結局、モノトーンにしたの?」
「うん! だってほら、アタシのこのモデルのようなスタイルを活かすには、やっぱりシックな色味が一番だなって」

 ハチ香らしいわね、澄香は思わず声を出して笑っていた。



 婚約パーティーは、鬼京グループが皇都の中心部に有している瀟洒(しょうしゃ)な洋館で開かれた。
 招待されたのは流唯の仕事関係者と妹の芽唯、そしてハチ香のみである。
 時計の針が十八時を指すと、大広間の両扉が開け放たれ、五つ紋付き羽織袴姿の流唯と着物姿の澄香が姿を現した。ふたりは手を取り合っている。
 『当日はお着物にしようかと』という澄香に合わせ、流唯も和装を選んだのだった。

「きゃあっ! 社長、素敵~っ……!」
「なんて清楚で可愛らしいお嬢様なんだ……!」

 招待客たちからは、次々と感嘆の声が上がっている。
 澄香は緊張のあまり手と足を同時に前に出しそうになったが、流唯のさり気ないリードにより、何とか一歩、前へ踏み出すことができた。

「澄香、緊張する必要はない。おまえは、そのまま、ありのままでいいんだ」
「旦那様……」
「それに、おまえには俺がいる。いつでも俺を頼れ」
「……はいっ」

 婚約者の優しい眼差しを受け、澄香は目尻に涙を浮かべる。
 流唯はそんな彼女の頭にそっと手を置くと、よしよし、と言いながらそっと撫でた。

「いやん、見て! おふたりのあの仲睦まじいご様子!」
「社長のあんな甘やかなお顔、初めて見たわ……!」

 感嘆の声と熱い視線に包まれながら、ふたりはメインテーブルに着席した。
 まずは挨拶を、と流唯が立ち上がったそのときだった――。

「――ちょっと、待ちなさいよッ!」

 大広間に響き渡る金切り声に、流唯、澄香、そして招待客たちは一斉に扉を振り返る。
 そこに立っていたのは、真紅のドレスに身を包んだ明莉と、着物姿の両親だった。

「何だね、君たちは! ここは招待客以外は立ち入り禁止だぞ!」

 警備員がすぐさま飛んできて三人を追い出そうとするも、無礼者っ! と叫ぶ明莉の声に、ビクッと動きを止めた。

「わたくしたちに、警備員のオマエごときが気安く触るんじゃないわよッ!」

 眉尻を釣り上げて怒鳴る明莉の形相に恐れをなし、警備員は引き下がってしまう。

「――あ……明莉……なぜここに……」

 澄香は真っ青になり、異母妹を見ている。

「あァら、お姉様。そんな上等な着物を着させてもらって……さすがは鬼京家次期当主の婚約者様ね。でも、貧相で不器量なお姉様には、ちっとも似合ってなくてよッ!」

 明莉は澄香を睨みつけたまま、一歩ずつ近付いてくる。

「橘花明莉! それ以上、澄香に近付くな!」
「お姉様ごときが、こんな華やかなパーティーの主役だなんて……許せないわッ!」

 般若のような顔をした明莉は、もう澄香のすぐ側まで来ている。

「――警告は、したからな……」

 流唯は手の平を真紅のドレスに向けると、炎玉を飛ばし始めた。

「キャアア~~ッッ! な……何よこれェッ?!」

 明莉は次々に襲いかかってくる炎玉を手の平で必死に払おうとしている。

「おまえごときが来るような場所ではない。今すぐ帰れ!」

 流唯の瞳は怒りで燃えさかり、手の平からは留まることなく炎玉が放出されている。

「――流唯殿っ! どうか、おやめくだされ!」
「キャア~ッ! む、娘になんてことをするのっ!」

 飛んできた明莉の父親が、娘に覆いかぶさるようにして叫ぶと、母親の明美もこれに続いた。

「……旦那様、わたしからもお願いします」

 澄香は、自分に対する憎悪を剥き出しにする異母妹が恐ろしくはあったし、自分を蔑ろにし続けた両親のことも恨めしく思っていた。
 だが、こうして(すす)だらけになっている元家族を見ていたいかと訊かれれば、答えはノーであった。

「――澄香……おまえがそう望むのなら……」

 流唯はそう呟くと、手の平を閉じ、腕を降ろした。

「――この……この、人殺しッ! これだから化け物はイヤなのよォッ! わたくしが一体何をしたっていうのよッ!」

 煤だらけの顔を真っ赤にし、明莉は泣き叫んでいる。

「おまえはいつだって姉を不幸にしようと企んでいるではないか! のこのこと一体何をしに来た?! 澄香を陥れようとしているのなら、時間の無駄だ! 澄香には俺がいる。おまえたちごときでは相手にならん!」

 すると、明莉の父親が煤だらの口を開いた。