(――とっても温かい……なんだか眠くなってきたわ……旦那様が危ないというのに、眠ってしまったらダメよ……)
抵抗も虚しく、澄香は深い眠りへと落ちていった――。
◇◇◇
目が覚めると、澄香は雪で覆われた茅葺屋根が軒を連ねる小さな集落の入口に立っていた。
「――穂の香、どうしたの? 早く行きましょう」
白い小袖に緋袴姿の少女に声をかけられ、澄香は訳もわからず付いていく。
歩きながら視線を落とすと、自分も少女と同じ恰好をしていた。
(――この恰好は……巫女? しかも、この娘はわたしのことを『穂の香』と呼んだわ。眠りに落ちる前、ハチ香もわたしのことを穂の香と呼んでいた……。穂の香って……ハチ香の昔の飼い主よね……。そうだわ、確か巫女だったと言っていたわ!)
どうやら自分は穂の香という名の巫女になってしまったらしいと気付いた澄香は、少女――巾着袋に貼り付けられた名札を見るに、どうやら『ふみ』というらしい――の後に続き、ある民家へと入っていった。
ふみは慣れた様子で、ある部屋のふすまをそっと開けた。
和室に足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできた光景に、澄香は呆然と立ち尽くす。
そこには、澄香と同じ巫女の恰好をした五人の少女たちと、彼女たちに縋り付き、声をあげて涙を流す女性たちの姿があった。
「――あれ……穂の香、口寄せの現場を見るの、初めてじゃないよね?」
ふみは小首を傾げ、そっと澄香に問いかける。
(――口寄せ……聞いたことがあるわ。確か、霊力者が死んだ人の霊を降ろして、その霊の代わりに喋るのよね……。そういえば昔、おタキさんが『祖母は信濃で巫女をしていた』と話していたっけ。確か口寄せと……あともうひとつ、何だったかしら……何かの厳しい修行を積まれたって……)
生家の炊事担当だったタキの冷たい眼差しが、澄香の脳裏に浮かぶ――。
と、そのとき、澄香は緋袴の裾が強く引っ張られているのを感じた。足元に目をやると、白髪の中年女性が、自分に何やら必死に訴えかけているではないか。
「旦那の……旦那の声、いち度でいいすけ、聞かせてくんなせぇ~! あの人は、来る日も来る日も炭鉱で働き詰めで、事故であの世に逝ってしもうた。一度だけでいいんだ、声聞かせてくんなせぇ~」
よくよく見れば、女性はまだ年若かった。ショックと心労が、彼女の髪を真っ白に染めたのだろう。
「――すみません、この子は今日の口寄せ担当ではないのです……。じき順番が回ってきますので、もう少しだけお待ち下さいね……」
ふみは優しくそう告げると、さりげなく澄香を女性から引き剥がした。
「気持ちは分かるけど……ね。私たちは担当ではないのだし……。さぁ、行きましょう」
ふみは澄香の手を取ると廊下を渡り、別の部屋のふすまを開けた。
そこには、背中を露わにし、うつ伏せで横たわる女性たちの姿があった。
よく見ると、巫女が女性たちの背中に、何か尖った針のようなものを刺している。
(――こ、これは確か、鍼……! そうだわ、おタキさんのお祖母さま、口寄せと鍼の修行を積まれたと話していたんだった。裕福でない女性は忍従を強いられることが多い時代で、心と身体の両面からの手当てが求められていて、それを担っていたのが地方を歩いて回る信濃の巫女だったって……。それにしても鍼、痛くないのかしら……)
澄香は女性たちの背に刺さった鍼を見て、思わず顔をしかめてしまう。
「さ、穂の香、お互い頑張りましょうね!」
ふみに肩をポンと叩かれ、澄香は急に不安に襲われる。
(『頑張りましょうね』って……まさかわたし、鍼を打たねばならないの……? そんな……! 何の知識もないのに……)
その場で青くなって震えていると、順番を待っていた高齢の女性が尖った声を立てた。
「ちょっと、おめさん、顔色がわーりよ。鍼、本当に打ったことあるの? おめさんに打たれるの、不安だわぁ~!」
すると順番待ちの列に並んでいた他の女性たちも、ほんとだわぁ~! と同調し始めた。
「――すみません、みなさん。もう少しお静かに願えますか。この娘は鍼灸の腕が飛び抜けて秀でているため口寄せ担当は免除されている、超の付く優等生、クラスの首席ですよ!」
ふみの張りのある声に、澄香はギョッとして振り返る。
(……わ、わたしが……首席……?!)
ふと目をやると、先ほどまで文句を言っていた女性たちはみんな、目を輝かせて澄香を見詰めている。
「それならぜひ、おめさんにお願いしてえ」
最初に野次った高齢女性は、今や両手を胸の前で合わせて澄香を拝んでいる。
(――どうしよう……でも、どうやったって逃げられないわ……。ハチ香、助けてっ!)
澄香は目をギュッと閉じ、愛猫の姿を思い浮かべる。
すると不思議なことに、『澄香なら出来るから、やってみてぇ~』という、いつもののん気なハチ香の声が脳内に流れてきた。
「――こうなったら、ハチ香を信じてやってみるしかなさそうね……」
澄香は拳を握りしめると、こちらへどうぞ、と高齢女性に声をかけ、空いているスペースに案内した。
「さっきはゴメンよぉ。あまりにも肩と腰が痛うてさ、イライラしたったんだよぉ」
女性は背中を出しうつ伏せになると、そう呟いた。
澄香は手を消毒するふりをして、さり気なくふみの動きを観察した。
(まずは、患者が痛みを訴えている箇所に指を当ててみるのね……)
澄香は見様見真似で右手の指を女性の肩に当ててみた。すると――。
(――不思議だわ! 肩のどの部分が痛みの元となっているのかが、はっきりと分かる!)
続いて澄香は鍼を手にすると、ごく自然な動きで女性の皮膚にこれをスッと刺した。
(なぜかしら……?! 鍼をどこに打つべきなのかが自然と分かるわ!)
澄香は流れるような動きで、スッ、スッとためらうことなく鍼を打っていく。
「――あの……大丈夫ですか? ……やっぱり、痛いですか?」
ふと心配になり、澄香は女性の背中に声をかける。
すると女性は、想像をはるかに上回る大きな声で返事をした。
「いいや、まったく痛ねぇよぉ~! 今まで打ってもらった中で、おめさんがいっちゃん痛ねぇ! 本当に上手だねぇ……!」
女性の言葉に自信を深めた澄香は、その後も黙々と鍼を打ち続け、気付けば施術時間の三十分が経過していた――。
「――穂の香、お疲れさま!」
並んでいたすべての女性たちの施術を終え、帰り支度をしていると、ふみにポンと肩を叩かれた。
「今朝はいつもと様子が違っていたから少し心配していたけれど……やっぱり穂の香の鍼の腕は特別ね。患者さんたち、みんな大満足で帰っていったわ」
「……そうだといいな」
ぽそり呟いた澄香の頬は、興奮のためか紅潮していた。
(――わたしに、こんな能力があっただなんて……! あ、わたしと言ってもこれは穂の香さんの体なんだった……)
気付くと、ふたりは集落の入口まで来ていた。
「それじゃ、私、寄るところがあるから……また明日ね~!」
軽やかに走り去るふみを見送るやいなや、澄香は言いようのない不安に襲われた。
「――わたし、この後どこへ行ったらいいのかしら……行くところなんてないのに……元の世界に戻りたいわ……」
ふと顔を上げると、既に太陽は傾き始めている。
――カァッ、カァ~ッ!
上空を飛ぶカラスの不気味な鳴き声に、澄香はビクリと肩を硬直させる。
(本当に、どうしたらいいの……?)
緊張からの解放と急激な不安が重なり、澄香はその場でしゃがみ込み泣き出してしまった。
どれくらいの間、そうしていただろう?
「――お嬢さん、どうしましたか? 大丈夫ですか?」
低く響く柔らかな声に顔を上げると、ひとりの青年が心配そうに澄香を見詰めていた。
「――っ!!」
少女は大きく目を見開いたまま動けない。
(……だ……旦那様……?! なぜ旦那様が、ここに?)
抵抗も虚しく、澄香は深い眠りへと落ちていった――。
◇◇◇
目が覚めると、澄香は雪で覆われた茅葺屋根が軒を連ねる小さな集落の入口に立っていた。
「――穂の香、どうしたの? 早く行きましょう」
白い小袖に緋袴姿の少女に声をかけられ、澄香は訳もわからず付いていく。
歩きながら視線を落とすと、自分も少女と同じ恰好をしていた。
(――この恰好は……巫女? しかも、この娘はわたしのことを『穂の香』と呼んだわ。眠りに落ちる前、ハチ香もわたしのことを穂の香と呼んでいた……。穂の香って……ハチ香の昔の飼い主よね……。そうだわ、確か巫女だったと言っていたわ!)
どうやら自分は穂の香という名の巫女になってしまったらしいと気付いた澄香は、少女――巾着袋に貼り付けられた名札を見るに、どうやら『ふみ』というらしい――の後に続き、ある民家へと入っていった。
ふみは慣れた様子で、ある部屋のふすまをそっと開けた。
和室に足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできた光景に、澄香は呆然と立ち尽くす。
そこには、澄香と同じ巫女の恰好をした五人の少女たちと、彼女たちに縋り付き、声をあげて涙を流す女性たちの姿があった。
「――あれ……穂の香、口寄せの現場を見るの、初めてじゃないよね?」
ふみは小首を傾げ、そっと澄香に問いかける。
(――口寄せ……聞いたことがあるわ。確か、霊力者が死んだ人の霊を降ろして、その霊の代わりに喋るのよね……。そういえば昔、おタキさんが『祖母は信濃で巫女をしていた』と話していたっけ。確か口寄せと……あともうひとつ、何だったかしら……何かの厳しい修行を積まれたって……)
生家の炊事担当だったタキの冷たい眼差しが、澄香の脳裏に浮かぶ――。
と、そのとき、澄香は緋袴の裾が強く引っ張られているのを感じた。足元に目をやると、白髪の中年女性が、自分に何やら必死に訴えかけているではないか。
「旦那の……旦那の声、いち度でいいすけ、聞かせてくんなせぇ~! あの人は、来る日も来る日も炭鉱で働き詰めで、事故であの世に逝ってしもうた。一度だけでいいんだ、声聞かせてくんなせぇ~」
よくよく見れば、女性はまだ年若かった。ショックと心労が、彼女の髪を真っ白に染めたのだろう。
「――すみません、この子は今日の口寄せ担当ではないのです……。じき順番が回ってきますので、もう少しだけお待ち下さいね……」
ふみは優しくそう告げると、さりげなく澄香を女性から引き剥がした。
「気持ちは分かるけど……ね。私たちは担当ではないのだし……。さぁ、行きましょう」
ふみは澄香の手を取ると廊下を渡り、別の部屋のふすまを開けた。
そこには、背中を露わにし、うつ伏せで横たわる女性たちの姿があった。
よく見ると、巫女が女性たちの背中に、何か尖った針のようなものを刺している。
(――こ、これは確か、鍼……! そうだわ、おタキさんのお祖母さま、口寄せと鍼の修行を積まれたと話していたんだった。裕福でない女性は忍従を強いられることが多い時代で、心と身体の両面からの手当てが求められていて、それを担っていたのが地方を歩いて回る信濃の巫女だったって……。それにしても鍼、痛くないのかしら……)
澄香は女性たちの背に刺さった鍼を見て、思わず顔をしかめてしまう。
「さ、穂の香、お互い頑張りましょうね!」
ふみに肩をポンと叩かれ、澄香は急に不安に襲われる。
(『頑張りましょうね』って……まさかわたし、鍼を打たねばならないの……? そんな……! 何の知識もないのに……)
その場で青くなって震えていると、順番を待っていた高齢の女性が尖った声を立てた。
「ちょっと、おめさん、顔色がわーりよ。鍼、本当に打ったことあるの? おめさんに打たれるの、不安だわぁ~!」
すると順番待ちの列に並んでいた他の女性たちも、ほんとだわぁ~! と同調し始めた。
「――すみません、みなさん。もう少しお静かに願えますか。この娘は鍼灸の腕が飛び抜けて秀でているため口寄せ担当は免除されている、超の付く優等生、クラスの首席ですよ!」
ふみの張りのある声に、澄香はギョッとして振り返る。
(……わ、わたしが……首席……?!)
ふと目をやると、先ほどまで文句を言っていた女性たちはみんな、目を輝かせて澄香を見詰めている。
「それならぜひ、おめさんにお願いしてえ」
最初に野次った高齢女性は、今や両手を胸の前で合わせて澄香を拝んでいる。
(――どうしよう……でも、どうやったって逃げられないわ……。ハチ香、助けてっ!)
澄香は目をギュッと閉じ、愛猫の姿を思い浮かべる。
すると不思議なことに、『澄香なら出来るから、やってみてぇ~』という、いつもののん気なハチ香の声が脳内に流れてきた。
「――こうなったら、ハチ香を信じてやってみるしかなさそうね……」
澄香は拳を握りしめると、こちらへどうぞ、と高齢女性に声をかけ、空いているスペースに案内した。
「さっきはゴメンよぉ。あまりにも肩と腰が痛うてさ、イライラしたったんだよぉ」
女性は背中を出しうつ伏せになると、そう呟いた。
澄香は手を消毒するふりをして、さり気なくふみの動きを観察した。
(まずは、患者が痛みを訴えている箇所に指を当ててみるのね……)
澄香は見様見真似で右手の指を女性の肩に当ててみた。すると――。
(――不思議だわ! 肩のどの部分が痛みの元となっているのかが、はっきりと分かる!)
続いて澄香は鍼を手にすると、ごく自然な動きで女性の皮膚にこれをスッと刺した。
(なぜかしら……?! 鍼をどこに打つべきなのかが自然と分かるわ!)
澄香は流れるような動きで、スッ、スッとためらうことなく鍼を打っていく。
「――あの……大丈夫ですか? ……やっぱり、痛いですか?」
ふと心配になり、澄香は女性の背中に声をかける。
すると女性は、想像をはるかに上回る大きな声で返事をした。
「いいや、まったく痛ねぇよぉ~! 今まで打ってもらった中で、おめさんがいっちゃん痛ねぇ! 本当に上手だねぇ……!」
女性の言葉に自信を深めた澄香は、その後も黙々と鍼を打ち続け、気付けば施術時間の三十分が経過していた――。
「――穂の香、お疲れさま!」
並んでいたすべての女性たちの施術を終え、帰り支度をしていると、ふみにポンと肩を叩かれた。
「今朝はいつもと様子が違っていたから少し心配していたけれど……やっぱり穂の香の鍼の腕は特別ね。患者さんたち、みんな大満足で帰っていったわ」
「……そうだといいな」
ぽそり呟いた澄香の頬は、興奮のためか紅潮していた。
(――わたしに、こんな能力があっただなんて……! あ、わたしと言ってもこれは穂の香さんの体なんだった……)
気付くと、ふたりは集落の入口まで来ていた。
「それじゃ、私、寄るところがあるから……また明日ね~!」
軽やかに走り去るふみを見送るやいなや、澄香は言いようのない不安に襲われた。
「――わたし、この後どこへ行ったらいいのかしら……行くところなんてないのに……元の世界に戻りたいわ……」
ふと顔を上げると、既に太陽は傾き始めている。
――カァッ、カァ~ッ!
上空を飛ぶカラスの不気味な鳴き声に、澄香はビクリと肩を硬直させる。
(本当に、どうしたらいいの……?)
緊張からの解放と急激な不安が重なり、澄香はその場でしゃがみ込み泣き出してしまった。
どれくらいの間、そうしていただろう?
「――お嬢さん、どうしましたか? 大丈夫ですか?」
低く響く柔らかな声に顔を上げると、ひとりの青年が心配そうに澄香を見詰めていた。
「――っ!!」
少女は大きく目を見開いたまま動けない。
(……だ……旦那様……?! なぜ旦那様が、ここに?)