「まぁ、それは置いておくとして……あのときに分かったことが二つあります。一つ目は、澄香さんが明莉さんや僕――つまり『人間』と目を合わせないように必死だったということです。ところが彼女は、あなたや猫のあやかしであるハチ香さん、そして女給をなさっているあなたの妹さんとは普通に目を合わせていた……。そして二つ目は、あなたが澄香さんにベタ惚れだということです」
そこまで言うと、男はフッと下を向いて笑った。だが――。
「……だったら何だというのだ?」
流唯の怒りに満ちた低い声に、白河は一瞬体を縮ませると慌てて言葉を継いだ。
「つ、つまりですね……あなたの澄香さんに対する態度は、泣いて実家に帰ったこれまでの令嬢たちに対するものとは正反対だということです。そして、澄香さんが鬼京家に移り住んだ後に、あなたはうちの医院を頻繁に訪れるようになっている……。すなわち、誰かを愛するには、大きな怪我を負うリスクのある何らかの『活動』をしなければならない……あなたにはそういった類の呪いがかけられていると、僕は視ています。その活動をしたくがないために、あなたはこれまで数多くの令嬢を遠ざけてきたのではないですか? そして今日、澄香さんと話していて確信したのですが、彼女は人間と目を合わせると相手の心を読んでしまうという霊力をもっていますね……?」
否定もせずに黙っている流唯を見て自信をもったのか、白河は声高に続ける。
「ですが、おかしいのですよ! 橘花明莉はずっと『姉は無能』と言い続けていました。ということは、澄香さんは実家を出てから……つまり、あなたと出逢ってからその霊力を発現させたのではないでしょうか? 僕はね、この説がひらめいた後、橘花明莉に尋ねてみたんですよ。『あなたと澄香さんは、血の繋がった姉妹なのですか?』とね。そうしたらあの女、喋る喋る! 本当に口の軽い浅はかな女ですよ……。まぁ、それはさておき。澄香さんの母親は、澄香さんを産んで二年も経たないうちに心を病んで自害されたとのことでした……知っていましたか?」
白河はそう言って隣の男を見上げた。
(……澄香の母親が自害を……! しかも心を病んでとは……。澄香はそのことを知っているのだろうか。あの子は俺を心配させまいと、あまり自分のことを話したがらないところがある。俺がもっともっと、あの子を気遣って、守ってやらなければ……)
額に手を当て、青ざめた顔で一点を見詰めている流唯を見て、白河はしばらくのあいだ口をつぐんだ。だが――。
「何をしている。早く続けろ」
そう鋭く告げられたため、白河は眼鏡の縁を指で押し上げると再び口を開いた。
「澄香さんの母親が心を病んでいたのは、なんでも『他人の心が読めたから』らしいのですよ……。これは、橘花明莉が自分の母親――つまり澄香さんの父親の後妻から聞いた話だそうです。だから、澄香さんが有している霊力は遺伝によるものではないかと……。で、問題はこの後なのですが――」
白河はそこでいったん言葉を途切らせ、コホンとひとつ咳払いをすると、流唯の方に体の正面を向けた。
「鬼京流唯さん――あなたにかかっている呪いは二種類あるのではないですか? 一つ目は先ほど申したとおりです。そして二つ目は、もともと霊力を有して生まれてきたものの、なんらかの理由によりその発現が妨げられている人間の霊力を否応なしに開花させてしまうという呪い……。僕はこのように視ていますが、いかがでしょうか」
白河はレンズの奥の瞳を光らせ、流唯を見据えている。
ふたりの間に流れた沈黙を、流唯の乾いた笑い声が破った。
「――ハハッ……さすがはあやかし専門の医者。そして代々続く『ほどき屋』だな……見事な見立てだ」
アーモンド型の瞳を細め、空を仰ぐ流唯の姿に、白河は安堵したのか、フーッと息を大きく吐き出した。
「――で、こういうことか。『おまえにかけられている呪いを解いてやるから、代わりに澄香を俺に譲れ』……おまえが言いたいのはこういうことか……?」
数秒前まで柔らかく細められていた瞳は今や大きく見開かれ、内側で炎をたぎらせているかのように真っ赤に染まっている。
「――ヒイッッッ!!」
小さく叫ぶと、白河は後退りしながら必死に声を張り上げ続けた。
「……だ……だって、そうすればふたりにとって好都合じゃないか! アンタは危険なことをしなくて済むようになるし、澄香さんだって人間と普通に話せるようになる! ……確かにアンタは澄香さんと結婚できなくなるが……鬼京家の次期当主でそれだけの容姿に恵まれているアンタのことだ、いくらだってイイ女が見つかるだろう? その女と楽しく暮らせばいいじゃないか! 何も澄香さんレベルに執着しなくたっていい――ぎゃあッ! も、燃えるッ!」
流唯の手の平から次々と放たれた炎玉は、白河の頭部目掛けて襲いかかった。男は叫び声を上げながら逃げ回っている。
「こ、こんなことをしたら、ここにいる客たちがビ、ビックリするだろうッ?! やめろ! すぐに消してくれェ!」
流唯は、フン、と鼻で笑うと続けた。
「ここにいる客たちには、炎玉はシャボン玉に見えている――そういう術をかけた。だからおまえはシャボン玉から必死に逃げ惑っている哀れな男に見えているはずだ」
「……そ、そんなァ! ひぃッ、熱いッ! た、助けてくれよォ~!」
白河は、チリチリと音を立てて燃え始めている頭髪の一部を必死に押さえて叫んでいる。
「――助けてやってもいい」
流唯は、涙目になって逃げ惑う男に向かって、はっきりと告げる。
「その代わり、さっき俺にした提案をただちに取り消せ」
「……な、なんでだよッ! どうしてあの娘にそこまで拘る?! ア、アチッ……! あの娘さえ僕に譲ってくれたなら、アンタはその苦悩から解放されるんだぞ?! 他のもっと綺麗な娘とやり直せばいいじゃないかッ!」
白河は「理解できないっ!」と叫び続けている。
「――理解されなくたって、構わない……」
流唯はボソリと呟く。
「――えッ? き、聞こえないよッ! それより早くこの火の玉をどうにかしてくれえッ!」
「……世界中の人間が理解できなくても、俺さえ分かっていればいいことだ。俺は結婚がしたいわけでも、誰かと愛し合いたいわけでもない。……澄香だから、あの娘だから愛し合いたいし、結婚がしたいんだ! あの娘だから、ずっと一緒にいたいんだよ!」
流唯は低い声でそう叫ぶと、再び手の平を白河に向けた。
「今から、さっきの十倍の炎玉を出す……覚悟しろ!」
「――ま……待ってくれえッ!」
白河は恐怖のあまり尻もちをついた。煤だらけになった顔には、目と鼻から流れた水の跡がくっきりとついている。
「……わ、分かったよッ! さっきの話は撤回する。澄香さんのことは諦めるよ!」
乾いた叫び声を耳にした流唯は、男に向けていた手の平を閉じた。
白河は呆けた顔をして、動けないでいる。
「――分かればいい。……二度と澄香に近付くなよ」
最後にもう一度ギロリと睨むと、流唯は屋内に続くドアをゆっくりと開けた――。
そこまで言うと、男はフッと下を向いて笑った。だが――。
「……だったら何だというのだ?」
流唯の怒りに満ちた低い声に、白河は一瞬体を縮ませると慌てて言葉を継いだ。
「つ、つまりですね……あなたの澄香さんに対する態度は、泣いて実家に帰ったこれまでの令嬢たちに対するものとは正反対だということです。そして、澄香さんが鬼京家に移り住んだ後に、あなたはうちの医院を頻繁に訪れるようになっている……。すなわち、誰かを愛するには、大きな怪我を負うリスクのある何らかの『活動』をしなければならない……あなたにはそういった類の呪いがかけられていると、僕は視ています。その活動をしたくがないために、あなたはこれまで数多くの令嬢を遠ざけてきたのではないですか? そして今日、澄香さんと話していて確信したのですが、彼女は人間と目を合わせると相手の心を読んでしまうという霊力をもっていますね……?」
否定もせずに黙っている流唯を見て自信をもったのか、白河は声高に続ける。
「ですが、おかしいのですよ! 橘花明莉はずっと『姉は無能』と言い続けていました。ということは、澄香さんは実家を出てから……つまり、あなたと出逢ってからその霊力を発現させたのではないでしょうか? 僕はね、この説がひらめいた後、橘花明莉に尋ねてみたんですよ。『あなたと澄香さんは、血の繋がった姉妹なのですか?』とね。そうしたらあの女、喋る喋る! 本当に口の軽い浅はかな女ですよ……。まぁ、それはさておき。澄香さんの母親は、澄香さんを産んで二年も経たないうちに心を病んで自害されたとのことでした……知っていましたか?」
白河はそう言って隣の男を見上げた。
(……澄香の母親が自害を……! しかも心を病んでとは……。澄香はそのことを知っているのだろうか。あの子は俺を心配させまいと、あまり自分のことを話したがらないところがある。俺がもっともっと、あの子を気遣って、守ってやらなければ……)
額に手を当て、青ざめた顔で一点を見詰めている流唯を見て、白河はしばらくのあいだ口をつぐんだ。だが――。
「何をしている。早く続けろ」
そう鋭く告げられたため、白河は眼鏡の縁を指で押し上げると再び口を開いた。
「澄香さんの母親が心を病んでいたのは、なんでも『他人の心が読めたから』らしいのですよ……。これは、橘花明莉が自分の母親――つまり澄香さんの父親の後妻から聞いた話だそうです。だから、澄香さんが有している霊力は遺伝によるものではないかと……。で、問題はこの後なのですが――」
白河はそこでいったん言葉を途切らせ、コホンとひとつ咳払いをすると、流唯の方に体の正面を向けた。
「鬼京流唯さん――あなたにかかっている呪いは二種類あるのではないですか? 一つ目は先ほど申したとおりです。そして二つ目は、もともと霊力を有して生まれてきたものの、なんらかの理由によりその発現が妨げられている人間の霊力を否応なしに開花させてしまうという呪い……。僕はこのように視ていますが、いかがでしょうか」
白河はレンズの奥の瞳を光らせ、流唯を見据えている。
ふたりの間に流れた沈黙を、流唯の乾いた笑い声が破った。
「――ハハッ……さすがはあやかし専門の医者。そして代々続く『ほどき屋』だな……見事な見立てだ」
アーモンド型の瞳を細め、空を仰ぐ流唯の姿に、白河は安堵したのか、フーッと息を大きく吐き出した。
「――で、こういうことか。『おまえにかけられている呪いを解いてやるから、代わりに澄香を俺に譲れ』……おまえが言いたいのはこういうことか……?」
数秒前まで柔らかく細められていた瞳は今や大きく見開かれ、内側で炎をたぎらせているかのように真っ赤に染まっている。
「――ヒイッッッ!!」
小さく叫ぶと、白河は後退りしながら必死に声を張り上げ続けた。
「……だ……だって、そうすればふたりにとって好都合じゃないか! アンタは危険なことをしなくて済むようになるし、澄香さんだって人間と普通に話せるようになる! ……確かにアンタは澄香さんと結婚できなくなるが……鬼京家の次期当主でそれだけの容姿に恵まれているアンタのことだ、いくらだってイイ女が見つかるだろう? その女と楽しく暮らせばいいじゃないか! 何も澄香さんレベルに執着しなくたっていい――ぎゃあッ! も、燃えるッ!」
流唯の手の平から次々と放たれた炎玉は、白河の頭部目掛けて襲いかかった。男は叫び声を上げながら逃げ回っている。
「こ、こんなことをしたら、ここにいる客たちがビ、ビックリするだろうッ?! やめろ! すぐに消してくれェ!」
流唯は、フン、と鼻で笑うと続けた。
「ここにいる客たちには、炎玉はシャボン玉に見えている――そういう術をかけた。だからおまえはシャボン玉から必死に逃げ惑っている哀れな男に見えているはずだ」
「……そ、そんなァ! ひぃッ、熱いッ! た、助けてくれよォ~!」
白河は、チリチリと音を立てて燃え始めている頭髪の一部を必死に押さえて叫んでいる。
「――助けてやってもいい」
流唯は、涙目になって逃げ惑う男に向かって、はっきりと告げる。
「その代わり、さっき俺にした提案をただちに取り消せ」
「……な、なんでだよッ! どうしてあの娘にそこまで拘る?! ア、アチッ……! あの娘さえ僕に譲ってくれたなら、アンタはその苦悩から解放されるんだぞ?! 他のもっと綺麗な娘とやり直せばいいじゃないかッ!」
白河は「理解できないっ!」と叫び続けている。
「――理解されなくたって、構わない……」
流唯はボソリと呟く。
「――えッ? き、聞こえないよッ! それより早くこの火の玉をどうにかしてくれえッ!」
「……世界中の人間が理解できなくても、俺さえ分かっていればいいことだ。俺は結婚がしたいわけでも、誰かと愛し合いたいわけでもない。……澄香だから、あの娘だから愛し合いたいし、結婚がしたいんだ! あの娘だから、ずっと一緒にいたいんだよ!」
流唯は低い声でそう叫ぶと、再び手の平を白河に向けた。
「今から、さっきの十倍の炎玉を出す……覚悟しろ!」
「――ま……待ってくれえッ!」
白河は恐怖のあまり尻もちをついた。煤だらけになった顔には、目と鼻から流れた水の跡がくっきりとついている。
「……わ、分かったよッ! さっきの話は撤回する。澄香さんのことは諦めるよ!」
乾いた叫び声を耳にした流唯は、男に向けていた手の平を閉じた。
白河は呆けた顔をして、動けないでいる。
「――分かればいい。……二度と澄香に近付くなよ」
最後にもう一度ギロリと睨むと、流唯は屋内に続くドアをゆっくりと開けた――。