「おまえは澄香が他の男の絵を描き続けていると勝手に信じ込み、それを橘花明莉に密告したな?」
「お……お許しくださいィ……あ、あたいは脅されていただけなんですゥ……」
「言い訳は無用だ。わが鬼京家では内通の罪は非常に重い。覚悟はできているだろうな!」

 瞳を光らせ凄む流唯。
 部屋中に千代の泣き喚く声が響き渡った、そのとき――。

「――お……お待ち下さい! 旦那様!」

 澄香が走り寄り、流唯と千代のあいだに立ちふさがった。

「――そこをどきなさい、澄香。この女には重い罰を与えなければならない」
「……そ、それが鬼京家のしきたりであることは、分かりました。ですが……お千代さんの言い分も聞いていただけませんか……? わたしは生まれ育った家で、誰にも話を……わたしの気持ちを聞いてもらえなくて、本当につらかったのです。結果として罰を受けるにしても言い分だけは聞いてもらいたい、そういうものだと思うんです。お願いします!」

 涙ながらにそう言うと、澄香は流唯に深く頭を下げた。

「……お……お嬢様……ウッウッ……」

 千代は土下座したまま声をあげて泣いている。
 流唯は瞳に宿していた光を和らげると、体から力を抜いた。

「澄香、おまえがそう言うのであれば……」

 そう呟き、椅子に腰掛ける。

「旦那様、ありがとうございます!」

 澄香は流唯の元に走り寄ると、その大きな手をぎゅっと握りしめた。
 ほんの一瞬、口元を緩めた流唯だったが、すぐに千代に向かって冷たく言い放った。

「おまえが裏切った主人が、おまえに情をかけてやってくれと言っている。どんな気分だ? さぁ、おまえの言い分とやらに耳を貸してやろう。……だがこれはおまえのためではない。心優しい澄香のためだ」
「――お、お嬢様……ウッウッ……そして若旦那様……このような機会を与えてくださり、本当に感謝の言葉もないです……ウッウッ……実は、あたいは……あたいは元々、明莉お嬢さんの母親である明美お嬢様のご実家で炊事担当として働いていたんですゥ……」
「お……お継母様(かあさま)のご実家で?!」

 想像だにしていなかった事実に、澄香は目を大きく見開き千代を見詰める。
 千代は、はい、と小さく答えると深呼吸をし、言葉を継いだ。

「明美お嬢様のご両親は醸造業を営まれているのですが、こちらのお屋敷とは違い台所が近代化されていなかったので仕事がものすごくキツくてェ……おまけに食べ物の好き嫌いが激しく味の好みもとてもうるさかったものですから、仕事がやりにくくて仕方がありませんでしたァ。そのうえ驚くほどお手当が少なくて……。やがて明美お嬢様は橘花家に嫁がれたのですが、その後もしょちゅう実家に顔を見せては、あたいの仕事ぶりをチェックし、やれ『こんな虫が喰っている野菜を両親に食べさせるのか』だの、『この鍋のここがまだ汚れている』だの、重箱の隅をつつくように指摘をしては、ご両親に告げ口をしていたんですゥ……。そのせいで、あたいはご両親にいっつも怒られて……息が詰まりそうな日々でした。だから鬼京家が炊事担当を募集しているという話を耳にしたときは、『ここを出るチャンスだ!』と思ったんですゥ」

(自分は他家に嫁いだというのに実家に戻っては使用人を(いじ)める……まぁ、あの明莉という女の母親のしそうなことだな。子は親を見て育つというからな)

 流唯は、さもありなん、とひとつ大きく頷いた。
 隣の澄香はといえば、自分を蔑み召使のようにこき使った継母のことを思い出したからなのか、暗い瞳を床に落としている。

「――幸いこちらに雇っていただけることになり、あちらのご両親に暇乞(いとまご)いをしたのですが……」

 そこで千代はグッと眉間に皺を寄せると、苦しそうに口を開いた。

「……すぐに明美お嬢様が飛んできて、『わたくしの両親を裏切って出ていくというのなら、条件があるわ! 鬼京家の裏情報をすべてわたくしに流しなさい! さもないと、おまえがうちで散々、醤油や味噌をくすねていたことを鬼京家にバラしてやるんだから!』……そうおっしゃったのです」

 千代は目の淵からボロボロと涙をこぼしながら続けた。

「……あたいの旦那は病気がちで……ウッウッ……ま、まともな稼ぎがありません……。そのうえ、うちにはまだ小さい子供が3人もいて……だから生活が苦しくて苦しくて……ウッウッ……あちらの家で調味料をくすねていたというのは、本当のことです……。お恥ずかしい話です……」
「――それで、我が家の情報を橘花の家に回していたというのか……」
 
 流唯は立ち上がると、土下座したままの千代の周りをゆっくりと歩き出した。

「本当に、申し訳ございませんッ……。ですが、学のないあたいには事業のことなどはちんぷんかんぷんでして……あたいがあちらに伝えたのはもっぱら……わ、若旦那様の、その……プライベートなことです……」

 そこで流唯の足がピタッと止まった。

「――プライベート、だと?」
「はい……例えば、今度の花嫁候補は何人目で、どこどこのご令嬢であるとか……そのご令嬢はどんな様子でお屋敷を去っていったのかとか……です。あたいも明美お嬢様とはあまり関わりたくありませんでしたので、こちらから連絡を取ることは一切しておりませんでした。ですが、あちらから連絡がきたときには無視できず、仕方なく……本当に……本当に申し訳ございませんでしたッ」

 そう言って土下座をした千代を見て、流唯は深く嘆息する。

(これまでに去っていった何十人もの花嫁候補たちの情報を……だから橘花家は澄香を俺のところに送ってきたというわけか。澄香であれば『冷酷な鬼神』にどんな目に遭わされようと構わない、むしろどんな恐ろしい思いをして逃げ帰ってくるか、楽しみにしていたのかもしれないな)

 流唯は千代の白髪交じりの頭を見下ろしたまま考える。

(この女の処罰をどうしたものか……。従来であれば、内通の罪は非常に重い。だが、事業については漏らしておらず、しかも脅されて仕方なくやったとのこと――もちろん裏を取る必要はあるが――情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地はあるかもな)

 フッと口元を緩めると、流唯は千代から離れ澄香の隣に戻った。

「おまえがたった今俺に言ったこと、それは事実か――? もし嘘をついているならば容赦はしない!」

 流唯は腕を前に突き出し手の平を千代の方へ向けると、何事かを唱え始めた。
 すると手の平から炎玉(えんぎょく)が次から次へと生まれでてきて、千代の周りをぐるぐると猛スピードで回り始めた。

「――本当は、事業のことも漏らしているのではないのか? おまえの言っていることが本当かどうかくらい、すぐに調べはつく。――さぁ、どうなんだ。本当のことを言え!」

 流唯が低い声でそう叫ぶと、浮遊していた炎玉たちが一斉に千代の頭のすぐ側まで迫った。

「ヒイッ、あ、熱いッ! 本当です! 誓って嘘はついておりません! だから……お、お助けを~! ヒイッ……」

 千代は次々と迫りくる炎玉を手で追い払っては、熱いッ! と叫んでいる。

「――旦那様……」

 耳元で呼ばれ振り向くと、澄香が涙目で流唯と千代を交互に見ていた。

「お、おやめください……お千代さんが、燃えてしまいます……」
「澄香……」
「――旦那様……差し出がましいことを申し上げますが、お許しください。お千代さんは確かに罪を犯しました。ですが……お千代さんが旦那様のご事情を橘花の家に漏らしてくれたから、わたしは旦那様と出逢うことができたのです。もちろん、結果論といえば結果論になります。ですが、わたしはお千代さんの犯した罪に感謝しているのです。だって……旦那様と出逢えて、わたしは本当に幸せですから……」

 澄香は泣き笑いの表情で流唯を見詰めている。

「……澄香……。おまえがそう言うのであれば――」

 そう言って流唯が腕を降ろすと、千代に襲いかかっていた炎玉たちはすべて消え去り、そこには胸を押さえて咳き込む千代だけが残った。

「――事実確認後、おまえに対する処罰を伝える。覚悟しておけ」
 
 低い声でそう告げると、流唯は澄香の手を取り部屋を後にした。