流唯は顔を上げ、自分に必死に抱きついている婚約者の顔を見詰める。
「わたしたちがこうして、その……ほ、抱擁し合えるのも、みんな旦那様のおかげなんです!」
真っ赤な顔をしてそう叫ぶ澄香を見て、流唯はフッ、と笑みをこぼした。
「澄香……おまえは、なんでそんなにも可愛らしいのだ……おいで」
流唯は床にあぐらをかくと、澄香をひょいと持ち上げ自分の脚の上にそっと下ろす。
「……可愛くて、たまらない……」
そう言うと、流唯は後ろから両腕を伸ばし、澄香をぎゅっと抱きしめた。
「……だ……旦那様……」
耳まで真っ赤になった澄香は、爆発しそうに高鳴る心臓を流唯に気取られまいと、必死に口を動かし続ける。
「――それに、本当のことを言いますと……自分にも霊力があったと知って、喜んでいる自分もいるのです……」
『無能』と虐げられ続けてきた澄香にとって『霊力をもつ人間』は憧れの的であった。
「……そうか……でもその霊力のせいで、相当しんどい思いをしたのではないか……?」
「実家にいた頃は、そうだったかもしれません。でも、鬼京家では心を読んでしまう心配もありませんし、伸び伸びと暮らすことができています。今はとっても幸せです」
澄香は首を後ろに捻ると、にこりと微笑んだ。
「そうか……たしかに俺の心を読む心配もないしな……。もっとも、読まれても困るようなことは一切考えていないが。俺の心にいるのは、澄香、おまえだけだからな」
そう言うと、流唯は回した腕にギューッと力を込めた。
キャーッ、ハハハ……とひとしきりじゃれ合ったところで、澄香はふと思いついたように尋ねる。
「ところで、旦那様はあのとき……三年前のあの日、なぜあの場所にいらしたのですか? あのパーティー会場は皇都の中心からはかなり離れていましたよね。お仕事ですか?」
問われて、流唯はほんの一瞬ピクリと動きを止める。
「あぁ、あの日は出張であの近くにいてね。たまたま通りかかっただけだよ……。さぁ、この体勢でい続けると、俺の理性に限界がきそうだ。そろそろ茶でも飲もうか」
澄香の脇を持ち、ひょいと立たせると、流唯は呼び鈴を鳴らし多江を呼んだのだった――。
◇◇◇
翌朝、流唯がダイニングルームにやって来ると、食卓にはきつね色をした俵型のクリームコロッケが並んでいた。
「……これも、おまえがこしらえてくれたのか……?」
問われた澄香は、ほんのり頬を赤く染めると、はい、と答えた。
席につき箸を手にした流唯は、他のおかずには目もくれず、真っ先にコロッケを口に運ぶ。
「――うん、美味い!」
「お口に合いましたか? ――よかったぁ……」
澄香は両手を胸の前で合わせ、頬をピンク色に染めている。
「こんなに手の込んだものをこしらえるには、相当早起きしたのではないか?」
「いえ、わたし早起きは元々得意なんです。それに、夜寝る前に『明日の朝、わたしがこしらえた料理を食べてお喜びになる旦那様のお顔が見たい』と思うと、自然と目が覚めてしまうんですよね……」
視線を逸らしたままぽつり呟く澄香は、とても愛おしい。
「いつも俺のために本当にありがとうな、澄香」
流唯は立ち上がると、隣に座っている澄香の首にそっと手を回し、空いている方の手でゆっくりと頭を撫でた。
「旦那様……」
澄香は首に回されている流唯の手に、自分の手を重ねた。
ステンドグラスから差し込む朝の光が、そんなふたりを暖かく包んでいる。
「――まったく、朝っぱらから仲のよろしいことで」
突然響いたその声にふたりがハッと顔を上げると、呆れたように半目開きでこちらを見ているハチ香がそこにいた。
「――おまえ、猫の姿のときも人間の言葉を話すのだな……」
「あたりまえだよ。アタシは猫のあやかしの中でも最上級のあやかしなんだから」
猫用の皿に頭を勢いよく突っ込みながら人の言葉を話すハチ香の姿に、流唯はついハハッと声を出して笑ってしまう。
「それは頼もしい限りだな――そうだ、澄香、そしてハチ香。芽唯から聞いたのだが、あれからあの女――たしか、明莉とか言ったな―あれはレストランに姿を見せていないらしい。だから、またふたりで昼餉に行くといい」
「やったぁ~! 澄香、また一緒に食べに行こう!」
今、お腹いっぱい食べ終えたはずなのに、ハチ香はすでに尻尾を振りながら舌なめずりをしている。
一方の澄香は、浮かない顔をして下を向いていた。
「澄香、どうした……? あの女にまたバッタリ会いやしないか、やはり不安なのか」
「……旦那様……」
「大丈夫だ。あのときあれだけ恥ずかしい目に遭ったのだ。いくら厚顔無恥なあの女でも、もう足を運ぶことはできまい。それに万一のことがあったとしても、あの店には芽唯がいるしハチ香もいる。式を飛ばしてもらえれば、俺もすぐに駆けつけるから心配するな」
流唯は背を屈めて澄香の瞳を優しく見詰めると、ふたたび頭を優しく撫で始めた。
「そうだよ、澄香! あんな女のせいであの店に行けなくなるなんて、残念すぎるよ。また食べに行って、ルイに美味しい朝餉をこしらえてあげるといいよぉ」
ハチ香もいつの間にか側にやって来て、その小さな頭を澄香の足に必死に擦り付けている。
澄香はやがてゆっくりと顔を上げると、微笑みながら、はい、と小さく呟いたのだった。
そのとき、ドアをコツコツとノックする音が響いた。
「――社長、お食事中に失礼致します。急な来客がございまして……」
堂元の早口な声が続いた。
(……来客? こんな朝っぱらから、一体誰だ?)
訝しみつつ流唯はドアを開け、堂元から渡されたメモに目を走らせる。
「――澄香、悪いが急な仕事が入った。先に行くが……おまえはしっかりと食べないといけないよ。それからコロッケ、本当に美味かったよ。ありがとう」
そう告げると静かにドアを閉め、光に照らされたまばゆいダイニングルームを後にした。
「わたしたちがこうして、その……ほ、抱擁し合えるのも、みんな旦那様のおかげなんです!」
真っ赤な顔をしてそう叫ぶ澄香を見て、流唯はフッ、と笑みをこぼした。
「澄香……おまえは、なんでそんなにも可愛らしいのだ……おいで」
流唯は床にあぐらをかくと、澄香をひょいと持ち上げ自分の脚の上にそっと下ろす。
「……可愛くて、たまらない……」
そう言うと、流唯は後ろから両腕を伸ばし、澄香をぎゅっと抱きしめた。
「……だ……旦那様……」
耳まで真っ赤になった澄香は、爆発しそうに高鳴る心臓を流唯に気取られまいと、必死に口を動かし続ける。
「――それに、本当のことを言いますと……自分にも霊力があったと知って、喜んでいる自分もいるのです……」
『無能』と虐げられ続けてきた澄香にとって『霊力をもつ人間』は憧れの的であった。
「……そうか……でもその霊力のせいで、相当しんどい思いをしたのではないか……?」
「実家にいた頃は、そうだったかもしれません。でも、鬼京家では心を読んでしまう心配もありませんし、伸び伸びと暮らすことができています。今はとっても幸せです」
澄香は首を後ろに捻ると、にこりと微笑んだ。
「そうか……たしかに俺の心を読む心配もないしな……。もっとも、読まれても困るようなことは一切考えていないが。俺の心にいるのは、澄香、おまえだけだからな」
そう言うと、流唯は回した腕にギューッと力を込めた。
キャーッ、ハハハ……とひとしきりじゃれ合ったところで、澄香はふと思いついたように尋ねる。
「ところで、旦那様はあのとき……三年前のあの日、なぜあの場所にいらしたのですか? あのパーティー会場は皇都の中心からはかなり離れていましたよね。お仕事ですか?」
問われて、流唯はほんの一瞬ピクリと動きを止める。
「あぁ、あの日は出張であの近くにいてね。たまたま通りかかっただけだよ……。さぁ、この体勢でい続けると、俺の理性に限界がきそうだ。そろそろ茶でも飲もうか」
澄香の脇を持ち、ひょいと立たせると、流唯は呼び鈴を鳴らし多江を呼んだのだった――。
◇◇◇
翌朝、流唯がダイニングルームにやって来ると、食卓にはきつね色をした俵型のクリームコロッケが並んでいた。
「……これも、おまえがこしらえてくれたのか……?」
問われた澄香は、ほんのり頬を赤く染めると、はい、と答えた。
席につき箸を手にした流唯は、他のおかずには目もくれず、真っ先にコロッケを口に運ぶ。
「――うん、美味い!」
「お口に合いましたか? ――よかったぁ……」
澄香は両手を胸の前で合わせ、頬をピンク色に染めている。
「こんなに手の込んだものをこしらえるには、相当早起きしたのではないか?」
「いえ、わたし早起きは元々得意なんです。それに、夜寝る前に『明日の朝、わたしがこしらえた料理を食べてお喜びになる旦那様のお顔が見たい』と思うと、自然と目が覚めてしまうんですよね……」
視線を逸らしたままぽつり呟く澄香は、とても愛おしい。
「いつも俺のために本当にありがとうな、澄香」
流唯は立ち上がると、隣に座っている澄香の首にそっと手を回し、空いている方の手でゆっくりと頭を撫でた。
「旦那様……」
澄香は首に回されている流唯の手に、自分の手を重ねた。
ステンドグラスから差し込む朝の光が、そんなふたりを暖かく包んでいる。
「――まったく、朝っぱらから仲のよろしいことで」
突然響いたその声にふたりがハッと顔を上げると、呆れたように半目開きでこちらを見ているハチ香がそこにいた。
「――おまえ、猫の姿のときも人間の言葉を話すのだな……」
「あたりまえだよ。アタシは猫のあやかしの中でも最上級のあやかしなんだから」
猫用の皿に頭を勢いよく突っ込みながら人の言葉を話すハチ香の姿に、流唯はついハハッと声を出して笑ってしまう。
「それは頼もしい限りだな――そうだ、澄香、そしてハチ香。芽唯から聞いたのだが、あれからあの女――たしか、明莉とか言ったな―あれはレストランに姿を見せていないらしい。だから、またふたりで昼餉に行くといい」
「やったぁ~! 澄香、また一緒に食べに行こう!」
今、お腹いっぱい食べ終えたはずなのに、ハチ香はすでに尻尾を振りながら舌なめずりをしている。
一方の澄香は、浮かない顔をして下を向いていた。
「澄香、どうした……? あの女にまたバッタリ会いやしないか、やはり不安なのか」
「……旦那様……」
「大丈夫だ。あのときあれだけ恥ずかしい目に遭ったのだ。いくら厚顔無恥なあの女でも、もう足を運ぶことはできまい。それに万一のことがあったとしても、あの店には芽唯がいるしハチ香もいる。式を飛ばしてもらえれば、俺もすぐに駆けつけるから心配するな」
流唯は背を屈めて澄香の瞳を優しく見詰めると、ふたたび頭を優しく撫で始めた。
「そうだよ、澄香! あんな女のせいであの店に行けなくなるなんて、残念すぎるよ。また食べに行って、ルイに美味しい朝餉をこしらえてあげるといいよぉ」
ハチ香もいつの間にか側にやって来て、その小さな頭を澄香の足に必死に擦り付けている。
澄香はやがてゆっくりと顔を上げると、微笑みながら、はい、と小さく呟いたのだった。
そのとき、ドアをコツコツとノックする音が響いた。
「――社長、お食事中に失礼致します。急な来客がございまして……」
堂元の早口な声が続いた。
(……来客? こんな朝っぱらから、一体誰だ?)
訝しみつつ流唯はドアを開け、堂元から渡されたメモに目を走らせる。
「――澄香、悪いが急な仕事が入った。先に行くが……おまえはしっかりと食べないといけないよ。それからコロッケ、本当に美味かったよ。ありがとう」
そう告げると静かにドアを閉め、光に照らされたまばゆいダイニングルームを後にした。