――あれから五年。

 流唯は目の前のやせ細った父親に再び目をやると、感情のこもらない声で告げた。

「できるだけ早急に、婚約者のお披露目パーティーを開きたいと思っています」
「……その様子だと、まだ私のことを恨んでいるのだな……。まぁ、よい。ちょっとそこに座りなさい」

 流霞はそう言うと、部屋の中央にある焦茶色の革張りのソファーを指差した。

「私の方は報告に参っただけで、これ以上お話することはありません」

 そう言い放つと、流唯は踵を返した。

「まぁ、待て。おまえに話しておきたいことがあるんだ。母さんのことだよ」

(母さんの、こと……?)

 流唯はドアノブに手をかけたまま、動けずにいる。
 その様子を見た流霞は、人払いをするとソファーに腰掛け、息子に再び声をかける。

「頼む、流唯。少しだけでいいんだ。私の話を聞いてもらえ――ゴホゴホッ」

 流霞が口を押さえて激しく咳き込みだしたのを見た流唯は、サイドテーブルにあったウォーターピッチャーを手に取りグラスに水を注ぐと、これを手渡した。

「ゴホッゴホッ――すまない。……この調子だと、私ももう長くはあるまい。生きているうちに、おまえに伝えておきたいのだ。頼む、流唯」

 父親に終始冷ややかな視線を注いでいた流唯だったが、諦めたようにソファーに腰を下ろした。

「――で、流唯。おまえが結婚したいと思えたお嬢さんというのは、どんな子なんだ? お披露目会の前に一度、挨拶しに行かねばな」
 
 目を細めて自分を見てくる父親に苛つきを覚えた流唯は、声を尖らせる。

「挨拶など結構です! ――それで、母さんの話というのは?」
「まぁ、そう刺々(とげとげ)するな」

 流霞はグラスに残っていた水を飲み干すと、低い声で言葉を継いだ。

「母さんの話をする前に聞いておきたいのだが……例の『一万人の人間を救う』というミッション、あれは続けているのか?」
「――当たり前ではないですか! 私はあなたとは違う!」

 ガンッ! と両拳を机に叩きつけると、流唯は父親を睨みつけた。

「私はあなたのように…あなたのように、何もせずにただ漫然と妻を死なせるようなことはしない!」
 
 目尻に涙を浮かべながら叫ぶ流唯をちらり見やると、流霞は言葉を発した。

「――流唯、おまえは誤解をしているようだが、私は例のミッションに挑んでいたのだよ。しかし一万人に届く前に母さんは死んでしまった……」

 流唯はおぞましいものでも見たかのように顔を背けると、「よくもぬけぬけと、そんな嘘をっ!」と吐き捨てるように言った。

「いや、嘘ではない。七千人ほどはこの手で救っているのだ。嘘だと思うのなら……」

 流霞は立ち上がり執務机の引き出しを開けると、ノートらしきものを取り出す。そして流唯に手渡しながら続けた。

「嘘だと思うのなら、この記録を見てくれ」

 流唯はノートを引ったくるようにして奪うと、最初のページから筆跡が途切れているページまで時間をかけて目を通した。

(――確かに……6,983人まで救った記録がある……)

 流唯は信じられない思いで目を何度か(しばたた)かせると、ノートを机に置いた。

「――だが、ここが私の弱いところでな……ミッションを続けながらも、私は母さんとのあいだにおまえと芽唯を設けた。だから母さんの寿命を少なからずとも奪ってしまったというのは本当だ……」

 流霞はそこで言葉を切ると、息子の方に身体の正面を向け、深々と頭を下げた。

「流唯、本当にすまなかった……おまえたちから大事な母さんを奪ってしまって、本当に申し訳なかったと思っている……」
「――ということは……」

 流唯は目の前の男の薄くなった頭頂部を見ながら叫んだ。

「あなたの考えなしの行動のせいで母さんの寿命は短くなり、死んだことに変わりはないじゃないですかっ?! あなたがミッションに取り組んでいようがいまいが関係ない! 完遂して呪いを解いてから、母さんを……母さんを愛すべきだったのではないですか?!」

 目を真っ赤にし、肩を上下させている息子を見ながら、父親は言葉を継いだ。

「……確かに、おまえの言うとおりだな。ミッションに取り組んでいたかどうかは免罪符にはならない。ミッションを完遂して呪いを解かなければ、何の意味もなかったのだ……」

 流霞は両手で顔を覆うと、ウッウッと声を上げて泣き始めた。

「――話はそれだけでしたら、私はもう失礼します」

 嗚咽をもらす男に冷ややかな視線を投げかけると、流唯は立ち上がった。

「待て! 待ってくれ! まだ話があるん――ゴホゴホゴホッッ……」
「……」
 
 流唯は一刻も早くその場を離れたかったが、心とは裏腹に再びグラスに水を注いでやっていた。

「――ありがとう。あぁ、苦しい……」

 流霞は水をゆっくりと喉に流し込むと、息子にもう一度座るよう手で合図した。流唯は仕方なく腰を下ろす。

「実は、あの呪いの話には続きがある。『続き』というより、もうひとつの呪いと言った方がいいかもしれないが……」

 思いもよらなかった言葉に、流唯は目を大きく見開くと、頬骨の浮き出た父親の横顔を凝視した。

「――もうひとつの……呪い……?」

 そう呟いた瞬間、流唯の脳裏に目尻を下げ自分に微笑みかける澄香の顔が浮かんだ。

(あぁ、澄香……おまえに関係のないことだとよいのだが……)

 流唯は祈るような気持ちで、父親の言葉を待った。

「実は、あの呪いが記されている書物にはこんな記載がある。『二十歳を迎えた鬼京家次期当主は、人間に触れることで、その人間の潜在的な霊力を目覚めさせることがある』」
「……潜在的な霊力?」
「そうだ。おまえも知ってのとおり、人間の中にも高い霊力を持つ者が存在する。そういった人間は生まれてすぐ……遅くとも六歳を迎える頃までには霊力が発現する。だが例外的に、悪しき環境で出産、養育された子供は霊力を眠らせたまま大人になることがある」
「悪しき環境……親から愛してもらえなかったり……ということですか?」
「それもあるし、生まれたときに両親が喧嘩ばかりしていたとか、父母のどちらかが心を深く病んでいた……そういうケースもあるだろう。つまり、子供らしく伸び伸びと過ごすことが制限されていた養育環境、ということだろうな」

 流唯はふと、鬼京百貨店で出くわした澄香の妹の姉に対するふるまいを思い出した。

(あの妹、たしか澄香に向かって『無能』と叫んでいたな……。ということは、橘花家の他の人間には霊力が備わっているということか。しかし、澄香からは(ほの)かな霊力が感じられる。それがどういった種類の霊力であるのかは、まだはっきりしないが……。それなのに、あの妹が澄香のことを無能呼ばわりしていたということは、澄香も養育環境に問題があって霊力が発現されなかったということなのかもしれない……。あの傲慢で性悪な妹のことだ、両親も似たりよったりな可能性が高い)

 そこまで考えた流唯は黙って立ち上がると、サイドテーブルのウォーターピッチャーを手に取り、グラスに水を注ぐとこれを一気に飲み干した。

(――いや、待てよ。重要なのはそこではない。重要なのは、澄香は実家にいた頃は霊力がなかったのに、鬼京家に来てから霊力を発現したということだ! それは俺が……俺が澄香に触れてしまったからなのではないか……?!)

 胸騒ぎを感じた流唯は、身を乗り出し父に問いかける。