異母妹、明莉(あかり)の十四歳を祝う誕生日パーティーの会場で、十六歳の澄香(すみか)は所在なげにしていた。
 父も継母も澄香の存在を無視し、明莉だけを連れて招待客たちに挨拶回りをしている。
 澄香は打ち捨てられた子犬のように、大広間の片隅で小さくなっていた。
 明莉は鮮やかな苺色のドレスを身にまとい、栗色の艷やかなロングヘアーをなびかせ、大輪の花のような笑顔を見せている。

(――それに比べて、わたしは……)

 澄香は自分が着ている簡素な鼠色(ねずみいろ)のワンピースに目をやり、昨夜のことを思い出す――。



 昨夜、両親と明莉が夕餉を終え寛いでいる頃合いを見計らい、澄香は震える声で切り出した。

「あの……あ、明日、着ていく服が、ないのですが……」

 しばらくの間、誰も動こうとはしなかった。澄香は泣きそうになりながらも、必死で訴え続ける。

「……ったく、しつこいわねェ!」

 明莉はチッ、と舌打ちすると居間を出ていき、約十分後、何かを手にして戻ってきた。

「これ、もう着ないから雑巾にしようかと思っていたのだけれどォ……お姉様ったら、もう十六だというのにおチビなうえにガリガリなんですものォ~。わたくしのお下がりで十分ですわッ!」

 明莉はそう言って、鼠色のワンピースを澄香に放り投げた。それは絵を描くのが趣味だった明莉がスモック代わりに散々着用したものだった――。



 いくら小柄であるとはいえ、妹の『お下がり』はあまりにも窮屈で、澄香は呼吸が浅くなっているのを感じていた。

(……胸のあたりが苦しいわ……)

 こめかみから脂汗を流す澄香の耳に、追い打ちをかけるように招待客たちのささやきあう声が響く。

「ほら、あれが明莉様の姉君よ……。ずいぶんとみすぼらしいわね……。姉妹だというのに『月とスッポン』ねぇ」

 招待客たちの好奇に満ちた視線やクスクス笑いに堪えきれなくなり、澄香は大広間を抜け出す。

(あぁ、息苦しい……外の空気が吸いたいわ)

 廊下を進み、赤い絨毯の敷かれた階段を降りて澄香は外に出た。

「――気持ちいい……」

 赤く染まった木々の間を拭き抜けてくる風は、澄香にまとわりつく好奇の目や彼女自身の中にあるモヤモヤとした感情を一掃してくれるかのようだった。
 昼よりも夜の時間が長い季節ということもあり、まだ夕刻だというのに建物を囲む外灯は既に辺りを明るく照らしていた。

(……パーティー、早く終わらないかしら。居場所がないわ……まぁ、居場所がないのは、家に帰っても同じなのだけれど)

 ふふっと自嘲気味に笑ったその瞬間。
 頭上を覆う大木の枝葉の隙間から、自分を舐め回すように見ている何かに気付いた。
 それは人ではない――澄香の直感が激しく警鐘を打ち鳴らしている。
 急いで建物に引き返そうとしたが、その何かが澄香目掛けて枝を強く蹴る方が早かった。
 自分に襲いかかってくる異臭をはらんだ風と、「ギヒャァ~~~ッ!」というおぞましい咆哮(ほうこう)に、澄香は目をつむり、その場にしゃがみこんでしまう。
 と、今度は右方向から何かが勢いよくこちらに向かって走ってくるのを感じた。
 次の瞬間、「ニャアァァァ~~!!」という猫の絶叫のようなものが耳に届いた。

「……えっ……い、今のは、猫……なの?」

 頭を抱えながら恐る恐る目を開ける澄香。
 だが次の瞬間、澄香の視界はすぐさまメラメラと真っ赤に燃え上がる炎でいっぱいになった。

(……今度こそ、終わりみたいね……)

 身体が焼け焦げてしまうのではないかというほどの猛烈な熱を感じた澄香は、死を覚悟し強く目をつむった。

(……来生こそは、普通の人間らしい暮らしができますように……もし人間に生まれ変われたらの話だけれど……)

 澄香がそう祈った直後、断末魔の叫び声があたり一面に響き渡った。

 そして次の瞬間には、まるで何事もなかったかのように完璧な静寂が訪れていた。

(――わたし、死んだのかしら……)

 自分が生きているのか死んでいるのかもわからず、震えながら頭をかかえていた澄香だったが、しばらくすると『誰かが自分に覆いかぶさるようにして守ってくれている』のを感じた。

(……え……誰? 誰なの……?)

 恐怖にいまだ目を開けられない澄香だったが、「大丈夫か? 怪我はないか」と優しく問う声に、震えの止まらない身体をさすりながら少しずつ顔を上げた。

 そこには、澄香を心配そうに覗き込むひとりの青年の姿があった。
 その青年は、目元に仮面を付けていた。だが、その美貌は仮面くらいで隠すことのできるものではなかった。
 青年を目にした瞬間、澄香の時は止まった。

(なんて……なんて美しい方なのかしら……! アーモンド型の瞳は、まるで黒曜石(こくようせき)のようにキラキラと輝いているわ! そしてサラサラと流れる艶のある黒髪……。こんなに美しい殿方が、この世に存在するだなんて!)

 澄香はすっかり青年から目を放せなくなっていた。つい数秒前まで、死を覚悟していたというのに……。

「――その様子だと、大丈夫なようだな」

 青年はふっと微笑むと、澄香の頭を撫でるようにポンポンと優しく叩いた。

「――!!」

 触れられた頭のてっぺんに全意識が集中したかと思うと、次の瞬間、心臓が狂ったように早鐘を打ち始めた。

「ひとりでこんなところにいたら危ない。あやうく(やまこ)――猿のあやかしに(かどわ)かされるところだったぞ」

 赤くなった頬を手の甲で押さえる澄香の様子に気付いた様子も見せず、青年は変わらず周囲を警戒しながら言葉を続ける。

「……猿のあやかし? 拐かされる……?」
「そうだ。あいつらはおまえのような少女を(さら)って自分の子供を産ませる恐ろしいあやかしなんだ」
「……こ、子供を……?! 猿のあやかしの、子供を……!」

 あまりにおぞましい話に、つい先ほどまでバラ色に染まっていた澄香の頬は、いまやすっかり青ざめている。

「――少し脅かしすぎたか……」

 青年は澄香の頭を再び優しく撫でると、俯いていた少女の顔を覗きこむ。

「さっきのあやかしは滅してやったから、もう心配はいらないよ。早く建物に入りなさい」

 柔らかな低い声に励まされ、澄香はゆっくりと立ち上がる。
 そして背中に青年の温かな手の平を感じながら、ゆっくりと建物の入口まで進み、ドアノブを掴んだ。

(――あ、そういえば助けてもらったお礼をまだ言っていなかったわ)

 慌てて振り返った澄香だったが、その美しい青年は、忽然と姿を消していた。



――三年後。

「澄香……愛している。おまえを幸せにするためなら、俺のすべてを澄香、おまえに捧げよう……」

 目の前にひざまずく、黒髪の青年。
 黒曜石のようにキラキラと輝くアーモンド型の瞳に優しく見詰められ、澄香は目の淵から大粒の涙を流した――。

 これは、誰からも顧みられることなく孤独に生きてきた少女が、美貌の鬼神にとことん愛され、幸せになっていく物語……。