「吾民党幹事長の収賄が……し次……選挙への…………」
「35℃を……記録的な暑さが…………農作物の……」
「……甲子園の……が行……3-0で毎星高…………」
「速報で……高校生……乗……バス……故……」
窓を開けたままの室内からニュース音声が途切れ途切れに耳に届く。
地上10階のベランダを通り過ぎる風はいささか気性が荒く、アナウンサーの透き通った声を邪魔し続ける。
ぼーっと遠くの景色を眺めていた。
いくつものビルが折り重なるように生えている光景は、まるでヘタクソなドミノのよう。
私の人生を遮る壁のようでムカムカしてきた。
大きく息を吐くと胸の奥にある錘が空気中に吐き出されていくようで、なんだか気持ちが軽くなる。
目を閉じると闇に吸い込まれるように意識が沈んでいった。
*
次に意識がはっきりしたとき私は知らない場所で目を覚ました。
どうやら洞窟?の中のようで、所々の松明がギリギリの光量を担保している。
それにしてもなんだか頭が重い。
まるで霞がかかっているように記憶が朧気だ。
ちゃぷちゃぷという音で部屋の端にある小さな泉に気が付く。
透き通った水を目にして、頭しゃっきりさせるべく手ですくって顔にかける。
水面に映る顔を見て「しまった!メイクが!?」と一瞬焦るも、製品開発者の意地と努力の成果だろう、ウォータープルーフはその名に恥じない仕事をしてくれた。
改めて自分の顔をまじまじと監察すると……軽くパーマのかかった金色のミディアムショートに、透明感のあるベースメイク。
膝うえ丈にまで巻き上げられたスカートに、つけまとカラコンも揃ったばっちりアイメイク。
いわゆる“ギャル”という奴と思われる。
自分で言うのも憚られるが、客観的に見て間違いなく“かわいい”。
化粧をした自分の顔に僅かな違和感を覚えたとき、思考は大声によって中断された。
「おっ、人いるじゃん!よかったぁー!!」
自分の顔をジッと見つめる不審者ムーブを止めてもらった、が正しいかもしれない。
顔を上げると、部屋の唯一の出入り口から力強い足取りで近づいてくる、おそらく同年代であろう制服を着た女の子がいた。
「いやー、マジでほっとした。目が覚めたらいきなり訳わかんないとこで寝ててさー」
こちらの混乱を他所に女の子は言葉を投げ続ける。
「あ、ベラベラごめんね。ウチは日向アカリ!高二だよ。あなたは?」
「私は影山ヨル……あなたと同じ高校二年」
「……」
自己紹介を無言で返され、思わず不信の目を向けてしまう。
「なに?」
「あっごめん。いやちょーかわいいなぁって!」
「そんなこと言われたことないよ」
「ヨルってカッコいい名前だねー」
「嫌だよ。クラスメイトからは『スパイ漫画の人妻だ~』とかイジられるんだよ?」
「あっ、聞き覚えはそのせいかー!あはは、たしかにそれはウザそー」
からからと鈴を転がしたように笑う彼女は見るからに陽の雰囲気を発している。
一瞬のタメは彼女なりの気遣いだったんだろうか?
そんな彼女の見た目は、オーバーサイズ気味の制服で膝より下のスカート丈。
目まで伸びた黒髪ロングに特徴的なそばかすと、太縁なハーフリムの眼鏡。
失礼な言い方だが少し野暮ったい。
そのはきはきとした態度とはアンマッチな、どこか正反対の印象を醸していた。
しかし、その見た目にどこか落ち着きを覚える自分が不思議で、少し小首をかしげるのだった。
「そういえばスマホ持ってる!?」
ハッとしてスカートのポケットをまさぐるが、期待した手触りは感じられない。
「ないみたい……」
「やっぱり!?なんでかウチもなんだよねー」
あまりに大仰な項垂れっぷりにこちらが悪いような気すらしてしまう。
「でも大丈夫!きっと帰れるよ!」
彼女の前向きな言葉に触発されて暫くその場で情報を交換したが、結論から言うと日向さんも私と同じ状況だった。
隣県の高校に通う彼女は、陸上部の合同練習で私の通っている高校に来ていたらしい。
しかし、記憶にあるのはそこまでで、気が付いたらこの洞窟のような場所で一人寝ていたとのことだった。
「でもまぁヨルちゃんも居た訳だし、他の人も探してみない?」
いきなり下の名前プラスちゃん付けにびっくりしたものの嫌とは言えず、たしかにと頷いて彼女と二人でその部屋を後にしたのだった。
*
歩きながらも日向さんは絶えずに話を振ってくる。
「どこ中だった?」「部活やってる?」「好きなアーティストは?」「彼氏欲しい?」
勢いに圧倒されたのもあるが、そもそも私は自分の意見を言うのが苦手だ。
自分の言ったことを否定されるのが怖い。
そうして「あぁ」とか「うん」とかそれとない相槌を返していると、前を歩いていた日向さんがくるりと振り返って真正面からどストレートパンチを放つ。
「ヨルちゃんさー。ウチのこと苦手?」
「えっ」
正直にいってその通りだ。……なんて口が裂けても言えない。
だったら推しのキャラクター名を大声で叫ばされる方がまだマシだ。
私の沈黙を肯定と受け取ったのだろうか?
「あちゃー、ウチぐいぐい行き過ぎってよく言われるんだ? でもね、それって仲良
くなりたいからなの。ごめんねー。」
日向さんは苦笑しながら、それでも私の目から視線を逸らさず陽の極みのようなビームを放つ。
その光線に射貫かれた陰キャに抵抗の術などあろう筈もなく。
「うん、わかった」
「やったね!じゃあまずはー……。ウチのことは“アカリ”って呼んで?」
その屈託のない笑顔に、白旗を上げるしかできなかった。
その心の強さが、微かな憧れとなって胸の奥にこびり付いた。
*
そのあとはあまり思い出したくない。
アカリさんは善良で、まっすぐで……しかし、行動がとにかく衝動的なのだ。
悪く言うと浅はかなのである。
「分かれ道かー」
「そうだね」
行く手に絵に描いたような三叉路が立ちはだかる。
「うーん、わかんないっけど……こっちかな!」
「何か理由はあるの?」
「ううん、フィーリングかな!」
力強い返答に内心がっくり膝を折る。
(違う。たぶんこっちじゃない……。だって反対側からだけ空気の流れを感じるから……)
そう思うも既に進み始めている彼女に水を差すのも躊躇われ、グッと飲み込んでその自信に満ちた後ろ姿について行った。
結果として、それなりに歩いた挙句行き止まりに行く手を阻まれて徒労だけが残る結果となった。
「ごめんねー。間違っちゃった」
「こっちからは空気の流れを感じなかったからね。仕方ないよ。」
「うん……」
これまで純度100%の陽光しかないと思っていたアカリさんの表情に、少し影が差した気がした。
*
二人の間の口数は少なく、どことなく気まずい沈黙の時間も増えていた。
ここはいったい何なのだろう?という根本的な謎から、結構な時間歩き回っているが誰も見つからない焦燥感。
ここから一生出られないのでは?という不安感。
お互いに余裕がなくなりつつある。
幸か不幸か、新たな広間に到着した。
「ここは……?」
部屋の中央には広い台と、腕先くらいの大きさの人形が大量に鎮座し、得体のしれないプレッシャーを放っている。
奥には何かを乗せるであろう台座と、大きな扉。
周囲を訝しみながら部屋に足を踏み入れると、入口の脇に石板がかかっていることに気が付いた。
<果テノ安寧ヲ護ル者、旅人ノ新タナ道ヲ開カン>
なんだこれは、インディーな冒険映画?
非現実的な光景に思わず現実逃避に思考が傾く中、声が響いた。
「これは、正解の人形を台座に置けってことなのかな?」
その手にはいっとう豪華な装いの人形――おそらく王様を意味するものなのだろう――を握ったアカリが台座の前に立っていた。
「……ッ!!」
焦りの声にならない声が喉につっかえる中、無慈悲に人形が台座に据えられる。
ガコンという大きな音のあと、扉の前の床が大きく抜ける。
「アカリさん!」
想像の結果と異なり、まだ地面にその身を残したアカリのところへ思わず駆け寄った。
「あっ、危なかったー……」
どうやら最初の異音の際に思わず身を引いてしまったらしい。
もし身を引いていなかったら?の結果を確認すべく、穴を覗き込む。
辛うじて目が届く穴の底は、かの有名な針山地獄を彷彿とさせる光景だった。
「これはたぶんだけど……」
腰巻だけの男性の人形、女性と思しき人形、王様ほどではないが上半身まで服を着た男性、豪華な装いにハヤブサを模したであろう被り物をした男性、実に様々な人形がひしめいている。
人形群の中から狗の被り物をした人形を掴み取って台座に置く。
すると、控えめな地鳴りの後、軋みを上げながら扉がゆっくりと左右に割れていく。
「古代エジプトでは狗頭のアヌビス神が死者の守護神として崇められていたらしいの。だから……」
「なにそれ」
出会ってから初めて聞く底冷えするような声だった。
「ヨルちゃん最初からわかってたの……? ならもっと早く言ってよ!!!私死ぬところだったんだよ!?」
「それは……ッ!」
私に聞いたりせず貴方が勝手にやったんじゃないか!という慟哭は喉にしがみついて外に出ていこうとしない。
「ごめんなさい……」
必死に心を押し殺して、スカートの裾を握りつぶし震えながらそう告げるのが精一杯だった。
アカリさんはハッとした顔のあと、絞り出すようにごめんと告げて新たなドアに向かって歩き始めた。
*
二人の口数は少ないどころか絶無になった。
静かな洞窟に人間二人の足音だけが一定のリズムで刻まれていく。
片方の足跡が急に止まり、俯いていた顔を恐る恐る上げると、アカリがばつの悪そうな表情を浮かべている。
「あのさ」
「うん」
「さっきはごめん」
「……うん」
先ほどまでとは違う、お互いが何かを手探りで探しているような少し前向きな沈黙が訪れる。
「聞いていい? さっきのはどう考えてもウチが悪かったのに、どうして何も言い返さなかったの?」
「怖いの」
「怖い?」
「自分の意見を言うのが怖い。高校でずっとイジメめられてるんだ。昔は言い返したりしてたんだけど、何を言ってもケラケラ茶化されるだけ。それが怖くて嫌で、気が付いたら何も言わなくなってた」
思い返せば、きっかけは他の子が弄りという名のイジメにに「やめなよ」と声を上げたことだった。
それからは対象が私に移って、気が付いたら最初にイジメられてた子もその仲間に混ざって私を弄る側にまわっていた。
その時にわかったのだ。
声の大きい人に逆らうような意見を言えば、その瞬間から排斥が始まる。
だったら、自分の主張なんて何も言わずに人形になっている方がマシ。
特殊な状況だからだろうか?
普段は情けなくて両親にも話せていない自分の恥部を、出会っていくらもない他人に吐露していた。
「そっか……話してくれてありがとう」
そう言ってアカリは再び歩き出した。
私もつられて後を追う。
「ウチもさー、昔そういうあったことがあるんだよね? だから少しだけ気持ちわかる」
そういって聞かせてくれたアカリのケースはもっとしょうもない。
完全にもらい事故のような内容だった。
中学生の時、ボス的な女子の彼氏がアカリに一目ぼれして、振られたボス女子が逆恨みで彼女に突っかかってきたらしい。
アカリ自身はその彼氏とやらは微塵もタイプじゃなかったらしく、「ごめん無理」と一言で切って捨てたらしい。
じゃあ、それでイジメはおさまったのかというと、引っ込みがつかなったのだろう、その後も続いたらしい。
「そんで、ある時ついに取っ組み合いの派手なケンカになったけど、最後に思いっきり引っ叩いてやったわ」
と物凄く晴れやかな笑顔で言い切った。
「だからね? 何してたって突っかかってくる奴だっているんだし、気にして自分をしまっちゃうだけ勿体ないよ。それにそのヨルちゃんのムーブ凄く格好良いと思う!」
そう言って、再び太陽のような笑顔を向けてくれた。
彼女は本当に凄い。
その陽光は胸の内にこびり付くドヨドヨした黒い霧を暖かく溶かしていった。
「ふふっ、私も少しだけアカリを見習ってみるよ」
「そうそう、突っかかってくる奴なんて気を遣う必要無いって……あっ!」
何かを思い出したような彼女の声に首をかしげる。
「名前、さん付けじゃなくなったね!?」
そう言って放たれた矢のようにすごい速さで抱きついてくる。
高速タックルをその身で受け止めつつ、無意識でやってしまった気恥ずかしさから顔に血液が集中する。
慌てて訂正しようとするも、結局それが放たれることはなかった。
たぶんこれは、打算じゃなくて心からの言葉だったから。
初めて自分の意志で言葉を飲み込み、為されるがままになった私は、それから暫く操り人形のようにダンスに付き合わせられ続けるのだった。
「35℃を……記録的な暑さが…………農作物の……」
「……甲子園の……が行……3-0で毎星高…………」
「速報で……高校生……乗……バス……故……」
窓を開けたままの室内からニュース音声が途切れ途切れに耳に届く。
地上10階のベランダを通り過ぎる風はいささか気性が荒く、アナウンサーの透き通った声を邪魔し続ける。
ぼーっと遠くの景色を眺めていた。
いくつものビルが折り重なるように生えている光景は、まるでヘタクソなドミノのよう。
私の人生を遮る壁のようでムカムカしてきた。
大きく息を吐くと胸の奥にある錘が空気中に吐き出されていくようで、なんだか気持ちが軽くなる。
目を閉じると闇に吸い込まれるように意識が沈んでいった。
*
次に意識がはっきりしたとき私は知らない場所で目を覚ました。
どうやら洞窟?の中のようで、所々の松明がギリギリの光量を担保している。
それにしてもなんだか頭が重い。
まるで霞がかかっているように記憶が朧気だ。
ちゃぷちゃぷという音で部屋の端にある小さな泉に気が付く。
透き通った水を目にして、頭しゃっきりさせるべく手ですくって顔にかける。
水面に映る顔を見て「しまった!メイクが!?」と一瞬焦るも、製品開発者の意地と努力の成果だろう、ウォータープルーフはその名に恥じない仕事をしてくれた。
改めて自分の顔をまじまじと監察すると……軽くパーマのかかった金色のミディアムショートに、透明感のあるベースメイク。
膝うえ丈にまで巻き上げられたスカートに、つけまとカラコンも揃ったばっちりアイメイク。
いわゆる“ギャル”という奴と思われる。
自分で言うのも憚られるが、客観的に見て間違いなく“かわいい”。
化粧をした自分の顔に僅かな違和感を覚えたとき、思考は大声によって中断された。
「おっ、人いるじゃん!よかったぁー!!」
自分の顔をジッと見つめる不審者ムーブを止めてもらった、が正しいかもしれない。
顔を上げると、部屋の唯一の出入り口から力強い足取りで近づいてくる、おそらく同年代であろう制服を着た女の子がいた。
「いやー、マジでほっとした。目が覚めたらいきなり訳わかんないとこで寝ててさー」
こちらの混乱を他所に女の子は言葉を投げ続ける。
「あ、ベラベラごめんね。ウチは日向アカリ!高二だよ。あなたは?」
「私は影山ヨル……あなたと同じ高校二年」
「……」
自己紹介を無言で返され、思わず不信の目を向けてしまう。
「なに?」
「あっごめん。いやちょーかわいいなぁって!」
「そんなこと言われたことないよ」
「ヨルってカッコいい名前だねー」
「嫌だよ。クラスメイトからは『スパイ漫画の人妻だ~』とかイジられるんだよ?」
「あっ、聞き覚えはそのせいかー!あはは、たしかにそれはウザそー」
からからと鈴を転がしたように笑う彼女は見るからに陽の雰囲気を発している。
一瞬のタメは彼女なりの気遣いだったんだろうか?
そんな彼女の見た目は、オーバーサイズ気味の制服で膝より下のスカート丈。
目まで伸びた黒髪ロングに特徴的なそばかすと、太縁なハーフリムの眼鏡。
失礼な言い方だが少し野暮ったい。
そのはきはきとした態度とはアンマッチな、どこか正反対の印象を醸していた。
しかし、その見た目にどこか落ち着きを覚える自分が不思議で、少し小首をかしげるのだった。
「そういえばスマホ持ってる!?」
ハッとしてスカートのポケットをまさぐるが、期待した手触りは感じられない。
「ないみたい……」
「やっぱり!?なんでかウチもなんだよねー」
あまりに大仰な項垂れっぷりにこちらが悪いような気すらしてしまう。
「でも大丈夫!きっと帰れるよ!」
彼女の前向きな言葉に触発されて暫くその場で情報を交換したが、結論から言うと日向さんも私と同じ状況だった。
隣県の高校に通う彼女は、陸上部の合同練習で私の通っている高校に来ていたらしい。
しかし、記憶にあるのはそこまでで、気が付いたらこの洞窟のような場所で一人寝ていたとのことだった。
「でもまぁヨルちゃんも居た訳だし、他の人も探してみない?」
いきなり下の名前プラスちゃん付けにびっくりしたものの嫌とは言えず、たしかにと頷いて彼女と二人でその部屋を後にしたのだった。
*
歩きながらも日向さんは絶えずに話を振ってくる。
「どこ中だった?」「部活やってる?」「好きなアーティストは?」「彼氏欲しい?」
勢いに圧倒されたのもあるが、そもそも私は自分の意見を言うのが苦手だ。
自分の言ったことを否定されるのが怖い。
そうして「あぁ」とか「うん」とかそれとない相槌を返していると、前を歩いていた日向さんがくるりと振り返って真正面からどストレートパンチを放つ。
「ヨルちゃんさー。ウチのこと苦手?」
「えっ」
正直にいってその通りだ。……なんて口が裂けても言えない。
だったら推しのキャラクター名を大声で叫ばされる方がまだマシだ。
私の沈黙を肯定と受け取ったのだろうか?
「あちゃー、ウチぐいぐい行き過ぎってよく言われるんだ? でもね、それって仲良
くなりたいからなの。ごめんねー。」
日向さんは苦笑しながら、それでも私の目から視線を逸らさず陽の極みのようなビームを放つ。
その光線に射貫かれた陰キャに抵抗の術などあろう筈もなく。
「うん、わかった」
「やったね!じゃあまずはー……。ウチのことは“アカリ”って呼んで?」
その屈託のない笑顔に、白旗を上げるしかできなかった。
その心の強さが、微かな憧れとなって胸の奥にこびり付いた。
*
そのあとはあまり思い出したくない。
アカリさんは善良で、まっすぐで……しかし、行動がとにかく衝動的なのだ。
悪く言うと浅はかなのである。
「分かれ道かー」
「そうだね」
行く手に絵に描いたような三叉路が立ちはだかる。
「うーん、わかんないっけど……こっちかな!」
「何か理由はあるの?」
「ううん、フィーリングかな!」
力強い返答に内心がっくり膝を折る。
(違う。たぶんこっちじゃない……。だって反対側からだけ空気の流れを感じるから……)
そう思うも既に進み始めている彼女に水を差すのも躊躇われ、グッと飲み込んでその自信に満ちた後ろ姿について行った。
結果として、それなりに歩いた挙句行き止まりに行く手を阻まれて徒労だけが残る結果となった。
「ごめんねー。間違っちゃった」
「こっちからは空気の流れを感じなかったからね。仕方ないよ。」
「うん……」
これまで純度100%の陽光しかないと思っていたアカリさんの表情に、少し影が差した気がした。
*
二人の間の口数は少なく、どことなく気まずい沈黙の時間も増えていた。
ここはいったい何なのだろう?という根本的な謎から、結構な時間歩き回っているが誰も見つからない焦燥感。
ここから一生出られないのでは?という不安感。
お互いに余裕がなくなりつつある。
幸か不幸か、新たな広間に到着した。
「ここは……?」
部屋の中央には広い台と、腕先くらいの大きさの人形が大量に鎮座し、得体のしれないプレッシャーを放っている。
奥には何かを乗せるであろう台座と、大きな扉。
周囲を訝しみながら部屋に足を踏み入れると、入口の脇に石板がかかっていることに気が付いた。
<果テノ安寧ヲ護ル者、旅人ノ新タナ道ヲ開カン>
なんだこれは、インディーな冒険映画?
非現実的な光景に思わず現実逃避に思考が傾く中、声が響いた。
「これは、正解の人形を台座に置けってことなのかな?」
その手にはいっとう豪華な装いの人形――おそらく王様を意味するものなのだろう――を握ったアカリが台座の前に立っていた。
「……ッ!!」
焦りの声にならない声が喉につっかえる中、無慈悲に人形が台座に据えられる。
ガコンという大きな音のあと、扉の前の床が大きく抜ける。
「アカリさん!」
想像の結果と異なり、まだ地面にその身を残したアカリのところへ思わず駆け寄った。
「あっ、危なかったー……」
どうやら最初の異音の際に思わず身を引いてしまったらしい。
もし身を引いていなかったら?の結果を確認すべく、穴を覗き込む。
辛うじて目が届く穴の底は、かの有名な針山地獄を彷彿とさせる光景だった。
「これはたぶんだけど……」
腰巻だけの男性の人形、女性と思しき人形、王様ほどではないが上半身まで服を着た男性、豪華な装いにハヤブサを模したであろう被り物をした男性、実に様々な人形がひしめいている。
人形群の中から狗の被り物をした人形を掴み取って台座に置く。
すると、控えめな地鳴りの後、軋みを上げながら扉がゆっくりと左右に割れていく。
「古代エジプトでは狗頭のアヌビス神が死者の守護神として崇められていたらしいの。だから……」
「なにそれ」
出会ってから初めて聞く底冷えするような声だった。
「ヨルちゃん最初からわかってたの……? ならもっと早く言ってよ!!!私死ぬところだったんだよ!?」
「それは……ッ!」
私に聞いたりせず貴方が勝手にやったんじゃないか!という慟哭は喉にしがみついて外に出ていこうとしない。
「ごめんなさい……」
必死に心を押し殺して、スカートの裾を握りつぶし震えながらそう告げるのが精一杯だった。
アカリさんはハッとした顔のあと、絞り出すようにごめんと告げて新たなドアに向かって歩き始めた。
*
二人の口数は少ないどころか絶無になった。
静かな洞窟に人間二人の足音だけが一定のリズムで刻まれていく。
片方の足跡が急に止まり、俯いていた顔を恐る恐る上げると、アカリがばつの悪そうな表情を浮かべている。
「あのさ」
「うん」
「さっきはごめん」
「……うん」
先ほどまでとは違う、お互いが何かを手探りで探しているような少し前向きな沈黙が訪れる。
「聞いていい? さっきのはどう考えてもウチが悪かったのに、どうして何も言い返さなかったの?」
「怖いの」
「怖い?」
「自分の意見を言うのが怖い。高校でずっとイジメめられてるんだ。昔は言い返したりしてたんだけど、何を言ってもケラケラ茶化されるだけ。それが怖くて嫌で、気が付いたら何も言わなくなってた」
思い返せば、きっかけは他の子が弄りという名のイジメにに「やめなよ」と声を上げたことだった。
それからは対象が私に移って、気が付いたら最初にイジメられてた子もその仲間に混ざって私を弄る側にまわっていた。
その時にわかったのだ。
声の大きい人に逆らうような意見を言えば、その瞬間から排斥が始まる。
だったら、自分の主張なんて何も言わずに人形になっている方がマシ。
特殊な状況だからだろうか?
普段は情けなくて両親にも話せていない自分の恥部を、出会っていくらもない他人に吐露していた。
「そっか……話してくれてありがとう」
そう言ってアカリは再び歩き出した。
私もつられて後を追う。
「ウチもさー、昔そういうあったことがあるんだよね? だから少しだけ気持ちわかる」
そういって聞かせてくれたアカリのケースはもっとしょうもない。
完全にもらい事故のような内容だった。
中学生の時、ボス的な女子の彼氏がアカリに一目ぼれして、振られたボス女子が逆恨みで彼女に突っかかってきたらしい。
アカリ自身はその彼氏とやらは微塵もタイプじゃなかったらしく、「ごめん無理」と一言で切って捨てたらしい。
じゃあ、それでイジメはおさまったのかというと、引っ込みがつかなったのだろう、その後も続いたらしい。
「そんで、ある時ついに取っ組み合いの派手なケンカになったけど、最後に思いっきり引っ叩いてやったわ」
と物凄く晴れやかな笑顔で言い切った。
「だからね? 何してたって突っかかってくる奴だっているんだし、気にして自分をしまっちゃうだけ勿体ないよ。それにそのヨルちゃんのムーブ凄く格好良いと思う!」
そう言って、再び太陽のような笑顔を向けてくれた。
彼女は本当に凄い。
その陽光は胸の内にこびり付くドヨドヨした黒い霧を暖かく溶かしていった。
「ふふっ、私も少しだけアカリを見習ってみるよ」
「そうそう、突っかかってくる奴なんて気を遣う必要無いって……あっ!」
何かを思い出したような彼女の声に首をかしげる。
「名前、さん付けじゃなくなったね!?」
そう言って放たれた矢のようにすごい速さで抱きついてくる。
高速タックルをその身で受け止めつつ、無意識でやってしまった気恥ずかしさから顔に血液が集中する。
慌てて訂正しようとするも、結局それが放たれることはなかった。
たぶんこれは、打算じゃなくて心からの言葉だったから。
初めて自分の意志で言葉を飲み込み、為されるがままになった私は、それから暫く操り人形のようにダンスに付き合わせられ続けるのだった。