そんなわけで、私は週末、長野に向かって電車に揺られていた。
 朝、私が家を出るタイミングに合わせて、桜子は母に届けてほしいと、おにぎりの入ったタッパを届けにきた。
 それを抱えて、東京から長野まで北陸新幹線で約二時間。そこから在来線とバスを乗り継いでさらに一時間。
 地元は、諦めがつくくらい遠い場所にあるわけじゃないけど、マメに顔を出せるほど近くもない。
 私も姉も、もちろんお母さんのことを嫌ったりしていない。もちろん桜子も、お母さんのことを気に掛けている。
 だけど今はまだ、自分の暮らしに時間を使わせてほしい。
 本音を言えば、定期的に様子窺いの電話をするのだって、母を心配している以上に、自分が安心したいからだ。
 年老いた母を一人でほったらかしている薄情な娘ではなく、母が元気だからこそお互いに自立した関係を保っているのだと確認しておきたい。
 面倒ごととは、誰でも向き合いたくないものだ。
 先月だって、父の三回忌で顔を合わせた私たちは、母の背中が前よりも曲がつたとか、白髪が増えたという話しをしたけど、それ以上のことはお互い口に出さなかった。
 その先を考えるのが怖かったからだ。
 母が今よりも老いた時、誰が面倒をみるのか、どこでみるのか、それを考えるのが怖い。
 私たちは三人とも、自分たちのしたいこと、暮らしたい場所が長野にはないのと同じで、生まれ育った土地で結婚して老いてきた母が満足できる場所が東京にはないと知っている。
 親孝行をするためには、誰かがなにかを諦めなきゃいけない・
 それが怖くて、それを誰かに押し付けるのが嫌で、私たちは会話を続けなかった。
「でもこうなると、あの日、ちゃんと話し合わなかった罰を受けてる気分」
 桜子のおにぎりの箱を撫でながら、私は唸った。
 結局心配になれば、こうやって仕事を休んででも帰るんだから、もっとちゃんと話せばよかった。
 電車に揺られながら反省をしていると、姉からも母を心配するメッセージが数回届いた。
 親の認知症が心配される場合、地域包括支援センターか役所の介護保険課などに相談するみたいといったことが書かれている。
 姉は姉で、母を心配しているのだ。
 小さい頃から、散々私に理不尽を押し付けてきた姉だけど、面倒ごとを全て私に押し付けるようなことはない。
 姉に催促されて、桜子のおにぎりを抱えて、次女の私が母に会いに行く。
 なんだかんだ言って厳しい現実と向き合う勇気のない私は、姉に背中を押されないと行動を起こさないので、これでいいのだろうなと思う。