「刀坂くーん」
次の休み時間になると、鏡宮はまたしてもこちらの席へとやってきた。
まずいと思い、僕は慌てて手にした文庫本で顔を隠す。
「ねえねえ。今日の帰りも、あの猫ちゃんの所に行くの?」
カミサマのことか。
確かに、今日も行く予定ではある。そのためにも、昼食時には例によって煮干しを残すつもりでいる。
けれど、僕は答えなかった。
ここで無闇に話を広げてしまうと、あの神社のことについてさらに根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。
僕が頑として沈黙を貫いていると、やがて先ほどと同じように周りの女子たちが鏡宮を別の席まで強制連行していった。
僕はホッと息をついたものの、その次の休み時間も、昼休みも、彼女はめげずに僕の席へとやってきた。
(どうして……)
なぜ、彼女はこんなにも僕と話したがるのだろう?
別に僕に拘らなくたって、話し相手なら他にいくらでもいるだろうに。
それに、僕がこのクラスで浮いていることにはさすがに彼女も気づいているはずだ。
誰とも懇意にしていない僕なんかに構ったところで、彼女には何のメリットもない。
むしろ、はみだし者である僕と一緒にいることで、彼女自身も周りから奇異な目で見られる可能性もある。
僕に関わったことで、彼女の印象が悪くなったりでもしたら——と、不安に思う僕の耳に、危惧していた言葉がかすかに届く。
「ねえ、なんかさ……あの子、ちょっと変わってるよね」
どこかトゲのある、女子の声だった。
見ると、教室の端に集まっていた四人の女子グループが、何やらひそひそと話しながら鏡宮の様子を窺っている。さすがに会話の内容すべてを聞き取ることはできなかったけれど、どんな話をしているのかは大方予想がついた。
当の鏡宮はといえば、相変わらず屈託のない笑みを浮かべたまま僕に質問責めをしている。まだ気づいていないのだろうか。
そろそろ何とかしなければ本格的にまずい——そう思ったとき、女子グループの方から思いもよらぬ言葉が漏れ聞こえてきた。
「ねぇ。あの子が前に通ってた岩倉高校ってさ、例の『切りつけ事件』があった辺りだよね」
その話題が上がった瞬間。
ピリッと、その場の空気に緊張が走ったような感じがした。
僕が顔を上げると、それまでニコニコとしていた鏡宮の顔から、ふっと笑みが消えていた。
例の切りつけ事件、というのは、数ヶ月前にニュースでも取り上げられた事件のことだ。
なんでも、ある一帯に棲む野良猫たちが刃物のようなもので体の一部を切りつけられていたという。犯人はまだ見つかっておらず、警察が捜査を続けているらしい。
「もしかしてさ、今回あの子が転校してきたのもそれと関係あったりして」
不穏な言葉だった。
周りの女子たちはその話題に食いつき、
「実は犯人とか?」
「えーやだこわい」
「引っ越してきた時期も変だし、怪しいよね」
などと、見る見るうちに妄想を膨らませていく。
当人たちにとってはただの冗談だったのかもしれない。けれど、その会話を耳にした鏡宮の表情は明らかに沈んでいた。
猫の切りつけ事件のことは、以前このクラスでも一時期話題になっていた。その現場となった町の学校から鏡宮が転校してきたとなると、これは何かあると勘繰ってしまう人間がいるのも仕方のないことなのかもしれない。
けれど、彼女がその犯人だなんてどうして言えるのだろう?
彼女がやったという証拠なんてどこにもないし、そんな勝手な憶測で濡れ衣を着せられた当人の心が傷つくのは目に見えているのに。
女子たちの下卑た笑い声を耳にしながら、僕は段々といたたまれない気持ちになってきた。
今こんな状況になっているのも、もとはといえば僕のせいなのかもしれない。
彼女が、僕みたいな人間と関わってしまったから。
僕のせいで、悪い印象がついてしまったのかもしれない。
(……なんか、嫌だな)
今すぐにでも、この場の空気をぶち壊してしまいたかった。
僕と鏡宮は何の関係もない。
それを示さなければならない。
だから僕は、一度だけ大きく深呼吸して心を落ち着かせてから、意を決して勢いよくその場に立ち上がった。それまで座っていたイスを足で蹴飛ばすようにして、できるだけ大きな音を立てて周囲の注意を引く。
派手な音が教室中に響いた。
直後、辺りは水を打ったようにしんと静まり返った。
クラスメイトたちの視線が、一斉にこちらを向く。
何事? とでも言いたげな不可解そうな目。
気味の悪いものでも見るような、嫌な視線だった。
けれどこんなもの、僕にとっては日常茶飯事だ。
僕は誰ともうまくやっていけない、誰とも関わってはいけない孤独な人間だから。
目の前で戸惑いの表情を浮かべる鏡宮の顔を、キッと睨みつけて言った。
「僕に構わないで」
それだけを言い残して、勢いのまま、逃げるようにして教室を出た。