「ご、ごめんね。私、あなたを怒らせたかったわけじゃなくて……」
さっきまでのぐいぐい来る勢いから一転、彼女は急にしおらしくなってしまった。
僕が怒ったかもしれない、というのがそんなにショックだったのだろうか。
あれだけ無遠慮に話しかけてきた割に、意外と相手の顔色を窺うんだな、と思った。
というか、さすがにここまで露骨に気を落とされると、なんだか僕の方が悪いことをしているような気がして申し訳なくなってくる。
「あ、いや。別に怒ってるわけじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
それとなく濁した言葉の先を彼女に促されてしまえば、僕はもはや続きを語る他なかった。
「……どうせ話したって、こんな話、信じてくれるわけないからさ」
「えっ。なんで? そんなの、話してみなきゃわからないでしょ?」
彼女は少しだけ調子を取り戻した様子で、再び顔を近づけてくる。さっきよりも真剣な表情で。
「ちょっ、だから近いって」
「私なら信じるかもしれないよ? 話す前から諦めちゃうなんてもったいよ。みんながみんな、同じ受け取り方をするわけじゃないでしょ?」
誰もが同じ受け取り方をするわけじゃない。
それも確かに一理ある。
いま目の前で僕の話を聞いている彼女の雰囲気からすると、超常現象なんかの類には興味津々で食いついてくるかもしれない。
けれど僕のこれは、そんなエンターテイメント的な話題として受け止めてほしいわけではないのだ。
あのお姉さんを失った悲しみはいつまでも癒えないし、あれから十年経った今でも、僕は彼女の帰りを待ち続けている。
「……面白がってるだけなら、余計に話したくないよ。これは僕にとって繊細な問題なんだから」
「面白がってるわけじゃないよ!」
一際大きな彼女の声が、境内に響いた。
「面白がるわけないよ。だってキミ、すっごく寂しそうな顔してるもん」
彼女は真剣な顔で、両手の拳を胸の前でぐっと握り込んで言う。ふざけてるわけじゃないよ、という彼女の意思が全身から伝わってくるようだった。
そんな彼女の様子が、僕には不思議だった。
なぜ、見ず知らずの彼女が僕なんかのために、ここまで必死になっているのだろう?
「なぁーお」
と、今度は足元から気の抜けるような声が上がった。
無論、カミサマである。つい存在を忘れてしまっていた。
目の前の彼女も我に返ったのか、すかさずポケットからスマホを取り出して画面を確認する。
「あっ。私、もう行かないと」
どこか慌てた様子で立ち上がった彼女は、スカートの裾についた砂を払いながら言った。
「今ね、引っ越し作業の途中だったの。勝手に出てきちゃったから、早く戻らないと」
引っ越し作業。
ということは、これからどこか遠くへ行ってしまうのだろうか。
せっかく会えたのにな——と、一瞬だけ考えて、ハッと我に返る。
いや、何をらしくないことを考えているんだ、僕は。
「それじゃ、またね。次に会ったときは、お話の続きを聞かせてね!」
そう明るく言った直後、彼女はひらりとスカートの裾を翻らせて風のように走り去ってしまった。
あまりにも一瞬の出来事で、僕は簡単な挨拶すら発することができなかった。
次に会ったときは、と彼女は言っていた。
ということは、また会える可能性があるのだろうか。
もしかすると、彼女の言う『引っ越し』というのは、どこか遠くへ行くという意味ではなく、逆にこちらの地域へやってきたことを指していたのかもしれない。
「なぁーお」
と、再びカミサマが足元で鳴いた。
見ると、腹の膨れたカミサマはもう僕に用はないといった様子で、こちらに背を向けて毛づくろいを始めている。
そんなことをしたって毛並みは良くならないくせに——と、少しだけ可笑しくなって、僕は苦笑した。
そうして改めて、さっきの女の子のことを思い出す。
こんな風に誰かと他愛もない会話をしたのは、一体いつ以来だろう?
(次に会ったときは……か)
また会えるだろうか——と、わずかに期待のようなものが胸の奥に芽生えて、すぐに頭を振る。
「……どうかしてるな」
誰にともなく呟きながら、僕は空になった弁当箱を片付けた。