「なんで急に、こんな所に隠れたりしたんだよ。ずっと探してたのに」

 猫は自らの死期が近づくと、姿を隠すといわれている。それはこのカミサマも例外ではなかったらしい。

 だからやはり、これでお別れなのか。

 今から二ヶ月前、カミサマは僕の前から忽然と姿を消した。
 まるで鏡宮と入れ替わるかのように。
 僕の寂しさを埋めるための、その役目を終えたかのように、突然姿を眩ませてしまった。

 どこか遠くへいってしまったのかもしれない——そう思っていたけれど、こいつはずっと、僕たちのそばにいたのだ。

 神社には神様がいる。
 この場所で、僕らを見守ってくれている。

 鏡宮の言う通りだった。
 神様はずっと、ここにいたのだ。

 でも、それももう終わってしまう。
 神様は、いよいよ最後の時を迎えようとしている。

「いかないでよ……カミサマ」

 悔しいけれど、僕はこいつのことが嫌いではなかった。
 いつもふてぶてしい態度で、煮干しをねだるときだけ擦り寄ってくるような奴だったけれど、そんなカミサマの存在に、僕の心は救われていたのだ。

「僕は寂しがり屋なんだよ。お前も知ってるだろ?」

 ボサボサの白い背中に触れると、まだ少しだけ温かかった。体の下に手を入れて、そっと抱き上げる。食いしん坊な奴だと思っていたけれど、その体は想像以上に軽かった。
 まるで眠っているようなその顔を見ていると、目の奥が熱くなって、勝手に涙が溢れてくる。

「あのお姉さんのことも……鏡宮のことも、お前が連れていったのか? どうしてそうやっていつも、僕が寂しくなるようなことばかりするんだよ」

 カミサマの体を胸に抱いて、ぎゅっと抱きしめる。

「お願いだよ。僕を置いていかないで……。ひとりにしないでよ」

 みんな、いなくなってしまう。
 僕はまたひとりになってしまう。

 ひとりは寂しい。
 カミサマまでいなくなって、僕の声はもう、誰にも届かないのだろうか——そう思ったとき。

 とくん、と。
 小さな鼓動が聞こえた気がした。

「……カミサマ?」

 まだ温かい、カミサマの体。
 その中心で、かすかに命が脈打っている。

 まだ、生きているのか。
 僕は改めて、腕の中にあるカミサマの顔を見下ろした。

 カミサマの、ほとんど目の開いていない、まるで眠っているような顔。
 いつもこの顔だった。
 ふてぶてしい見慣れた顔。
 その細い瞳がうっすらと開いて、今、こちらを見上げている。
 そうして最後の力を振り絞るかのように、カミサマは僕と視線を合わせたまま、ゆっくりと(まばた)きした。

 ——ねえ刀坂くん知ってる? 猫ちゃんと目を合わせてお互いに瞬きするとね、『友達』になれるんだよ。

 友達。
 前に鏡宮が言っていた。
 猫はこの仕草をすると、相手を『友達』だと思っているのだと。

 そうだ。
 カミサマは、僕の友達だった。
 この十年間ずっと、僕らはこの境内で一緒に過ごした。この関係が友達でなくて何なんだ。

 ——神様と交渉するんです。あなたなら可能かもしれません。

 玉木の言葉を思い出す。
 今までずっとカミサマと共に過ごしてきた僕なら、神様に声を届けることができるかもしれないと、彼女は言っていた。
 だから。

「……ねえ、カミサマ。鏡宮のこと、返してくれないかな」

 神様にお願いする。
 僕の大事な友達を返してほしいと。

「僕は今まで、友達を作ることを諦めてた。どうせ誰かと仲良くなったとしても、またあのお姉さんみたいに突然いなくなってしまうかもしれないって、そう思うと怖かったんだ。でも……」

 鏡宮に会って、その気持ちは変わった。
 彼女とずっと一緒にいたい。そう思えるようになった。

「鏡宮は、僕の心を支えてくれた。だから僕も同じように、彼女を支えられるような存在になりたい。……昨日は、そうなれなかったかもしれないけど。でも今度こそ、彼女の心に寄り添える人間になりたい。だから、もう一度チャンスをくれないかな」

 不甲斐ない自分に後悔した。もう二度と、あんなことを繰り返したくない。

「頼むよ、カミサマ。鏡宮を返してくれ」

 カミサマはじっとこちらを見つめている。
 その瞳が再び閉じられた、次の瞬間。

 まばゆい光が、辺りを包んだ。

 目を開けていられないほどの強い光。
 真っ白で、あたたかくて。
 どこか心が安らぐような、懐かしさを覚えるような温もりが、僕の体と、意識を包み込んだ。