そこには、一人の少女が立っていた。
僕と似たような年齢の、高校生くらいに見える女の子。
とはいえ身なりは学校の制服ではなく、空色のワンピースの上から薄手のカーディガンを羽織っている。肩下まで伸びる髪はサラサラで、頭上から差す木漏れ日が表面に揺れていた。
「キミも猫が好きなの?」
彼女はそう言って、にこりと笑いかけてくる。人懐っこそうな、朗らかな笑み。
僕は何と返事をすればいいのか頭が回らず、しゃがんだ体勢のまま、ぽかんと口を開けて固まってしまった。
「あっ、いきなりごめんね。びっくりさせちゃったかな?」
「えっと……」
びっくりはした。
けれど、そんなことよりも。
(なんで、こんな所に女の子が?)
ここに女の子がいること自体が不思議で仕方なかった。昼間でも薄暗いこんな寂れた神社に、一体何の用事があってこの子は訪れたのだろう?
まあ、僕も人のことは言えないのだけれど。
「その猫ちゃん、キミに懐いてるんだね」
言いながら、彼女は僕の正面に回って、もそもそと煮干しを食べているカミサマの前にしゃがみ込んだ。
「この子、毛がボッフボフだねー。可愛い!」
「可愛い? って、どこが?」
思わず突っ込んでしまった。
カミサマのふてぶてしい態度を毎日見ている僕にとって、『可愛い』というイメージは皆無だった。けれど、そんな僕のつれない反応に彼女はびっくりした顔をして、
「えー? 可愛いよ! だってほら、こんなに毛がボフボフしてるんだよ?」
そう、少しだけムキになった様子で反論する。
僕は改めてカミサマに目を落として、まじまじとその全身を観察した。
カミサマの毛並みは、もはや手の施しようがないほどに乱れている。老化のせいかもしれないし、あるいは何か病気にかかっているのかもしれない。けれど僕の知る限りでは十年前からすでにこの状態だったし、今まで普通に生きてきたところを見ると、ただの体質なのかもしれない。
「……ボフボフっていうか、ボサボサの間違いじゃないの?」
「ボフボフでもボサボサでも、可愛いものは可愛いよ!」
ねっ、と同意を求めるように、彼女はニコッと明るい笑みを浮かべる。
変わった子だな——と、柄にもなく僕の方が思ってしまった。
一般的にいう『可愛い猫』というのは、毛がふわふわで甘えん坊で、表情や仕草にも愛嬌がある猫のことをいうんじゃないだろうか。
カミサマはその対極にあるといってもいい。毛並みも悪いし、目つきも悪い。おまけに動きも遅くてしかも無愛想だ。正直、どこを指して可愛いと言っているのかわからない。
女の子はカミサマが煮干しを食べ終えたのを確認すると、その細い指でボサボサの頭を撫でた。親指と人差し指の腹を使って、耳をピコピコとさせる。
「あのね。猫ってみんな、福猫なんだよ。一緒にいると、幸運が訪れるんだって」
彼女はそう、僕が聞いてもいないことを嬉しそうに話す。
ますます変な子だな、と思う。
僕はどう反応すればいいのかわからず、ひたすらカミサマの眠っているような細い目を見つめていた。
「ところで、あなたはどうしてこんな所に一人でいるの?」
出し抜けにそんな質問をされて、返事に困った。むしろこっちが聞きたかったのだが、先を越されてしまった。
「いや、僕は、その……」
しどろもどろになりながら言い訳を探していると、彼女は興味津々な目でこちらの顔を覗き込んでくる。
さすがに、あのお姉さんのことを待っている、なんて話はできないし、そもそも信じてもらえるとは思えない。どう誤魔化そうかと僕が迷っていると、
「あ! いまウソつこうとしてるでしょ? 目が泳いでる」
こちらの心中を探るように、彼女はますます顔を近づけてくる。
「ちょ、ちょっと。近いって」
あまりにも至近距離から見つめられて、僕はたまらず後ずさった。
それを見た彼女は、今度は困ったように腕をこまねいて言った。
「うーん。そんなに言いたくないことなの? じゃあ聞かない方がいい?」
やっとわかってくれたか……と思いかけたものの、彼女の言い方に僕は少し引っかかった。
正直なところ、別に「言いたくない」というわけではないのだ。むしろ相手の反応次第では、あのお姉さんの謎について誰かに相談したいとさえ思っている。
けれど、実際はどうせ話したところで誰も信じてはくれない。
それこそ小学生の頃はクラスメイトの何人かに話したこともあったけれど、誰もが僕をウソつき呼ばわりして笑っているだけだった。
いま目の前にいる彼女もきっと、彼らと同じ反応をするだろう。
それがわかっているから、僕はあえてこの話題を避けているのだ。
「あれ? どうしたの。すんごい難しい顔してる。……もしかして怒らせちゃった?」
僕があれこれと思案しているうちに、彼女はいつのまにか不安げな表情を浮かべていた。どうやら眉間にシワを寄せた僕の顔が相当深刻だったらしい。