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街灯の光すら届かない境内は、闇そのものだった。
鳥居を潜った先は真っ暗で何も見えず、僕は感覚だけで地面を踏み締め、敷地の真ん中辺りまで進む。
「鏡宮。いないのか?」
周りは雨の音しか聞こえない。
人の気配がない。
次第に目が慣れてくると、奥にある古びた社殿がうっすらと見えるようになった。
けれどそこにはやはり誰もいなくて、僕は愕然とする。
鏡宮がいない。
あのボサボサの白猫も、ずっと帰ってこない。
——あの白猫ちゃんはやっぱり、本物の神様だったのかな。
前に鏡宮が言っていた。
カミサマは、本物の神様だったのではないかと。
——私は、本物の神様だったらいいなって思ってる。
彼女は神様の存在を信じていた。
だから、連れていかれたのだろうか?
あのお姉さんも、神様の存在を信じていた。
きっと、三輪山さんのお兄さんも。
神様の存在を信じる人だけが、その加護を受けることができる。
だから、連れていかれたのかもしれない。
「……どうすればいいんだよ」
どうすれば、彼女は戻ってきてくれるのだろう。
今からでも間に合うなら、僕は何だってする。
頼むから、どこにも行かないでほしい。
どうすれば——と必死で頭を巡らせるうちに、昨夜の彼女からのメッセージのことを思い出す。
『例のニュース、見た?』
夜中の二時ごろ。たまたま起きたタイミングで僕が確認した、あのメッセージ。
例のニュース、と彼女は言っていたけれど。何か重大な事件が昨日起きていたのだろうか。
すかさずスマホを手に取り、いま話題になっているニュースを探す。
すると、SNSのトレンド欄にひどく見覚えのある文字が並んでいた。
猫の切りつけ事件。
トレンドに上がっているということは、何か進展があったのか。
震える手でリンクをタップすると、トップに表示されたのは、昨夜のうちに報道されたらしいニュースの内容だった。
記事によると、どうやら事件の犯人が捕まったらしい。犯行に及んだのは未成年のようで、顔や名前などは伏せられていた。
今さら捕まったのか、と思った。
犯人がわかったこと自体は喜ぶべきだが、あまりにも遅すぎる展開だった。
だって、もう少しだけでも早ければ、鏡宮は昨日あんな思いをしなくても良かったのかもしれない。
そうすれば、彼女は神隠しにも遭わなかったかもしれないのに、どうして今さら。
やり場のない怒りに泣きそうになる。
半ば無意識のうちに唇を噛みしめる。
だが、さらに僕を追い詰めたのは、記事に対する反応の中にあった、匿名の投稿だった。
『犯人の女特定! こいつだって』
添付された画像に、目を見張る。
そこに写っていたのは、一人の女子高生だった。メイクが濃いめの、ギャルっぽい印象のある子。
その顔に、僕は見覚えがあった。
——カンナちゃんっていうの。可愛いでしょ?
以前、鏡宮が僕に写真を見せてくれた、彼女の友達。
前の学校で、そのカンナという子だけは、鏡宮の味方でいてくれたという。
——私を信じてくれる子がいるんだって思ったら、すごく嬉しくて、心強かったの。
この子が心の支えになっていたと、鏡宮は言っていた。その子だけが、前の学校で唯一の味方だったのだと。
けれど蓋を開けてみれば、その子こそが全ての元凶だったのか?
(いや。でも……)
確証はない。
こんなネットの海に放流されている情報を、安易に鵜呑みにしてはいけない。ここに投稿されている内容は、何も知らない第三者が勝手にのたまっているだけなのだ。
鏡宮のときのように、この子も濡れ衣を着せられているだけかもしれない。
けれど。
この内容をもし、鏡宮が昨日読んでしまっていたとしたら?
もともと同じ学校に通っていた鏡宮なら、誰かしらと連絡を取って真実を知ることができたかもしれない。
そして、ここに投稿されている犯人の正体が間違いでなかったとしたら、鏡宮はどう思うのだろう?
絶望したかもしれない。
誰よりも信じていた人が、最初からウソをついて自分を貶めていたなんて。
どれだけつらい思いをしたかわからない。
昨夜、僕にメッセージをくれた鏡宮はもしかしたら泣いていたのかもしれない。
そんな時に僕は、呑気に眠ってしまっていたのか。
後悔ばかりが募る。
彼女はいつも僕を支えてくれていたのに、どうして僕は、一番大事なときに彼女の心に寄り添ってあげられなかったのだろう。
僕が何もしてあげられなかった間に、傷ついた彼女に寄り添ったのは、神様だったのか。
「……鏡宮……」
気づけば、呼吸が浅くなっていた。
視界がぼやけて、平衡感覚がなくなる。
ふらりと体が傾いたかと思うと、僕はそのまま体勢を整えることもできずに、泥だらけの地面へ横倒しになった。
一瞬だけ水飛沫が上がって、その上から雨は降り続ける。
全身に力が入らない。
思考が働かない。
風邪が悪化しているのか。
僕はこの場所で、ずっと何もできないままなのか。
後悔と己の不甲斐なさとに打ちひしがれながら、僕はゆっくりとまぶたが閉じていくのを止められなかった。
(ごめん……鏡宮)
謝ったところでもう何の意味もないのに。
僕はただ、闇に引きずりこまれていく意識の中で、ひたすら懺悔の思いを抱えることしかできなかった。