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雨はまだ降り続いていた。
行くアテもなく学校を飛び出してきた僕たちは結局、気がつけばいつもの神社に辿り着いていた。
相変わらずひと気のない境内はいつにも増して暗く、まだ朝だというのに、まるで日没時のような不気味さを漂わせている。
ひとまず雨宿りをしようと、僕らは奥に見える社殿の方へと向かった。屋根のある場所といえば、賽銭箱のあるスペースぐらいしかない。
「ごめん、鏡宮。無理やり連れて来ちゃって……」
狭い空間で身を寄せ合いながら、僕は謝った。
「ううん。私の方こそ巻き込んじゃってごめんね。……授業、もう間に合わないね」
そう言った鏡宮の声は、いくらか落ち着きを取り戻したようだった。僕と繋がったままの手も、今は震えが止まっている。
彼女は辺りを覆う木々のてっぺんを見つめながら、
「過去って、簡単には消せないんだね」
そう、呟くように言った。
僕は否定したかったけれど、先ほどの教室での光景を思い出し、「そうかもしれないね」とだけ返す。
鏡宮の過去。
猫の切りつけ事件で濡れ衣を着せられ、居場所を失った彼女。
その過去がまた、この地で掘り返されようとしている。
「仕方ないよね。噂ってすぐに広まっちゃうし。ネットで検索すれば、事件のこともすぐにわかっちゃうしさ。ちょっと引っ越したぐらいじゃ、隠せるわけないよね」
言いながら彼女は、僕と繋いだ手をきゅっと握る。
僕も同じように、その手を握り返す。
「気にしなければいい。……って、僕は思うけど。鏡宮には無理だよね」
「えへへ。私、メンタル弱いからね。でも——」
彼女はそこで一度切ると、身体ごとこちらを向き直り、僕の右手を両手で包み込む。
「今は、ひとりじゃないから……。こうして刀坂くんが隣にいてくれるから、平気」
そう言って、彼女は少しだけ照れたように微笑んだ。その様子に、僕もなんだか釣られて照れくさくなる。
僕の存在は、少しでも彼女の支えになれているのだろうか。
雨は降り続いている。
少しでも晴れ間があればどこかへ移動したかったけれど、止みそうな気配は全くといっていいほどなかった。
二人で肩を並べながら、他愛もない会話で時間を潰す。そうしている内に、話題はあのボサボサの白猫のことに移る。
「……あの白猫ちゃんはやっぱり、本物の神様だったのかな」
ぽつりと、鏡宮が言った。
この神社を根城にしていた、あのふてぶてしい猫。あいつの姿が見えなくなってから、かれこれ二ヶ月ほどが経過しようとしている。
十年前、あのお姉さんが消えてしまってから、あいつは入れ替わるようにして僕の前に現れた。そして今年の春、鏡宮がここに通うようになったタイミングで姿を消した。
まるで僕の寂しさを埋めるかのような存在だった。もしもあいつが本物の神様だったなら、最近姿を見せなくなったのはやはり、僕が鏡宮と一緒にいるからなのか。
「でも、神様って煮干しを食べるのか? あいつは食い意地も張ってたし、見た目もみすぼらしくて、神々しさの欠片もなかったし。やっぱり、ただの普通の猫だったんじゃないかな」
「私は、本物の神様だったらいいなって思ってる。だって……」
鏡宮は少しだけ声のトーンを落として、どこか寂しげな目をして言う。
「刀坂くんは知ってる? 猫ちゃんは最後のお別れのときに、姿を隠すって話」
彼女の言ったそれは、一般的な猫の話だった。
最後のお別れのとき。つまり死期の近づいた猫は、弱った体を外敵から守るために姿を隠すと言われている。
鏡宮はそれ以上何も言わなかったが、彼女の言わんとしていることは、僕にもわかっていた。
もしもカミサマが本物の神様ではなく、普通の猫だったとしたら。僕らの前から姿を消したのは、死を迎えようとしていたからなのかもしれない。
カミサマが死んだと思いたくない。
鏡宮はそう言いたいのだろう。
死んだのではなく、姿を消しただけ。
神様はここにいて、いつかまた会えるかもしれない——そんな幻想を抱く彼女の姿は、かつてあのお姉さんを待っていた僕の姿に似ている気がした。