「どうしたの、鏡宮。何かあった……」
そこまで言いかけたとき、視界の端に、あるものが映り込んだ。
直後、僕の目はそれに釘付けになる。
鏡宮の席。
その机の表面に、何かが印刷された紙が大量に貼り付けられていた。
最初に目に入ったのは、ネット上にあるニュース記事らしきものだった。現場周辺の写真とともに、それについての解説と、仰々しい見出しが付いている。中でも特に目を引いたのは『切りつけ事件』の六文字だった。
(これは……)
本文を読まずとも、おおかた予想はついた。
このニュース記事は、例の事件——鏡宮が転校する原因となった、野良猫の切りつけ事件のものだ。
誰かのイタズラか。
机に貼られた全ての紙が、その事件に関するものだった。ニュース記事の他にも、ネットの掲示板やSNSでやり取りされた憶測による会話が印字されている。
犯人は鏡宮ではないのか、と。誰もが彼女を疑う文面が、そこに展開されていた。
目の前に突きつけられた、何者かの悪意。
それを認識した瞬間、僕の胸は黒々とした感情に支配される。
「……誰がやったの?」
低い声を絞り出しながら、僕は辺りを見渡した。
クラスメイトたちはこちらと視線が合いそうになる度、どこか気まずそうに目を逸らす。
誰も口を割らない。
さすがに全員がグルになっているようなことはないだろうけれど、鏡宮以外のここにいる全員の、我関せずといった態度が僕は気に食わなかった。
そこへ、教室の入口から別の男子の声が届く。
「おい。みんなどうしたんだ? 何かあったのか?」
声の主は、榊くんだった。
彼はたったいま登校してきた様子で、現状を飲み込めていない。不思議そうにしながら、クラスメイトたちの視線を一身に浴びている僕らの元へと歩み寄って来る。
そうして鏡宮の机を見て、瞬時にして怒りの表情を浮かべた。
「なんだよこれ。誰がやったんだよ」
いつになく荒々しい彼の声が、教室に響く。
「もしかしてお前らか? 鏡宮ちゃんにこんなことしたの」
そう言って彼が視線を向けた先には、四人の女子グループがいた。以前、鏡宮が転校してきたときに陰口を叩いていたメンバーだ。転校の理由があの事件に関係しているのではないかと邪推していた四人組。
「はあ? 何それ。勝手なこと言わないでよ。あたしらがやったって証拠はあるの?」
「お前らがやってないって証拠もないだろ」
「だからやってないし! ていうかその事件の犯人、鏡宮さんだってみんな知ってるでしょ。岩倉高校では有名だって話だし」
「やめろよ。ただの噂だろ。お前らこそ勝手なこと言うなよな!」
段々と加熱していく彼らの言い合いに、制止の声をかけたのは鏡宮だった。
「や、やめて榊くん。私、気にしてないから」
ねっ、と笑いかける彼女の顔は、今にも泣きそうだった。胸元でぎゅっと握りしめた両手は震えている。
そんな痛々しい姿を目の当たりにして、僕はもう耐えられなかった。
こんなにも辛そうにしているくせに、気にしていないだなんて嘘だ。
彼女をこれ以上、この場に居させることはできない。
僕は彼女の机に向き直ると、そこに貼り付けられた紙に爪をかけ、力任せに破いた。
「と、刀坂くんっ?」
突然の行動に目を丸くする鏡宮。
僕は乱暴な手つきで次々と紙を引き裂き、やがて全ての紙を机から剥がし終えると、隣で呆然とする鏡宮の手を取った。
そのまま彼女の華奢な手を引っ張って、勢いに任せて教室の外を目指す。
彼女をここから連れ出さなきゃ。
鏡宮は戸惑ったまま、けれど僕の腕を振り解こうとはせず、二人手を繋いで廊下を走り抜けていった。