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 学校の帰りにいつも向かうのは、自宅の近くにある寂れた神社だった。
 あのお姉さんと一緒に遊んだ思い出の場所。ここで彼女の帰りを待ち続けるのが、僕の日課だった。

 田畑と民家とが交互に並ぶ、田舎道の途中。私鉄の沿線に見える小高い山の入口に、色褪せた赤い鳥居がぽつんと建っている。
 山の陰にひっそりと存在するその鳥居を潜ると、奥にはこぢんまりとした境内が広がっている。ちょうど学校の教室と同じくらいの広さだ。

 鬱蒼と生い茂る木々に囲まれたそこは日中でも常に薄暗く、手入れのされていない足元は落ち葉と雑草とに埋め尽くされていた。
 幸い今日は天気が良いので、木々の隙間から木漏れ日ぐらいなら降ってくる。

 僕が歩を進める度、足元ではパキ、と小枝の折れる音がする。そうして十歩も歩いたかどうかといったところで、正面奥に建つ社殿の前まで辿り着いた。

 本殿と拝殿とが一体になった、奥行きのある建物だった。後ろの方は木々の陰に隠れて見えない。
 いつの時代に建てられたのかもわからない木造のそれは老朽化が進み、格子戸のガラスは割れ放題になっていた。

 おそらくはもう何年も手入れされていないのだろう。僕は小さい頃からここに通っているけれど、宮司や巫女の姿は今まで一度だって見たことがないし、管理者らしき人物が出入りしている様子もなかった。

 参拝客だって、もはや僕ぐらいしかいないのではないだろうか。少なくとも僕がここに滞在している間に、他の誰かが訪ねてくるようなことは全くと言っていいほどなかった。

 ただ、()()()()()()()()()、先客はいつだって居るものだ。

「カミサマ。いるのか?」

 僕がそう問いかけると、その声に導かれるようにして、社殿の脇から『それ』はぬっと姿を現した。

 なぁーお、と間の抜けた鳴き声がかすかに耳に届く。

 現れたのは、一匹の猫だった。
 社殿と同じくかなりの年を取った、覇気のないヨボヨボの猫。もともと真っ白だったはずの毛並みは薄く黄ばんでボサボサになってしまっている。

 よろよろと覚束ない足取りで、そいつはゆっくりと僕の方へと歩いてくる。そうして僕の前に腰を下ろすと、くっとアゴを上げ、ほとんど目の開いていない、まるで眠っているような顔でこちらを見上げる。
 ごはんをくれ、という合図だ。

「よし、待ってろ」

 僕はカバンから弁当箱を取り出すと、わざと残しておいた煮干しをそいつに与えた。一尾ずつ手のひらに載せて口元へ持っていくと、緩慢な動作でもそもそと食べる。

 『カミサマ』という名前は、僕が勝手に付けた。由来は、この神社を根城にしていることからだ。
 出会いは今から十年前。ちょうど、あのお姉さんが消えてしまった頃のことだった。

 彼女がいなくなった後も、僕は変わらず毎日のようにここへ通っていた。ここで待っていれば、いつか彼女が戻ってきてくれるかもしれない——そんな気がしていたからだ。

 けれど、彼女はいつまで経っても帰ってはこなかった。もともと泣き虫だった僕は段々と寂しくなって、ついにはこの境内の隅で泣き出してしまった。

 そんな僕を慰めるようにして現れたのが、この白猫だった。

(こいつも年を取ったよなぁ……)

 あれから十年。
 僕は十七歳になった。

 そして、カミサマの年齢はもはや誰にもわからない。僕と出会ったときにはすでに成猫で、今と変わらず毛もボサボサだった。
 言ってしまえば出会った当初から老猫のような風貌だったので、名付けの際も『神様』か『仙人』かで迷ったほどだ。したがって、今では相当な老齢であることは間違いない。

 あのお姉さんが消えた後、まるで入れ替わるようにして僕の前に現れた不思議な猫。
 最初は、彼女が猫の姿になって戻ってきたんじゃないかと考えたこともあった。
 けれど、彼女はこんなふてぶてしい感じではないし、髪の毛だっていつもサラサラだった。たとえ本当に猫の姿になったとしても、こんな不格好な野良猫のようになることはないだろう。

 とはいえ、僕はこのカミサマのことが結構好きだったりする。

 こんな寂れた神社で、常に一匹で過ごしている孤独な猫。群れることはおろか、メス猫一匹寄せ付けるところも見たことがない。たぶん、子どもを作る気もないんじゃないだろうか。

(僕は、こいつに似ているのかもしれないな)

 自分と重ね合わせてしまうところがあるせいか、僕はこの猫のことを嫌いにはなれなかった。
 むしろ羨ましいとさえ思う。

(どうせ似た者同士なら、僕も猫だったらよかったのに……)

 何の悩みもなさそうなカミサマを見ていると、つい羨ましくなってしまう。
 僕もこんな風に気楽に生きられたらな——と、実現するはずのない夢に思いを馳せていると、

「その猫ちゃん、可愛いね」

 いきなり、背後から声がした。
 不意を突かれた僕は内心飛び上がりそうなほどびっくりした。

 この神社に、人がいる?

 ありえないことだ。
 こんな寂れた場所に足を運ぶ物好きが、僕の他にいるだなんて。
 僕は心臓をバクバクさせながら、恐る恐る後ろを振り返った。