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 帰り道は、雨脚がさらに強くなっていた。
 住宅街を抜けて、山の麓へと下りる坂道に差し掛かかったとき、一際強い雨に降られて、僕らはたまらず雨宿りができる場所を探した。

 幸い近くのバス停に屋根があったので、慌ててそこへ避難する。僕も鏡宮も、制服のあちこちが濡れてひどい有様だった。

「うひゃー。すっごい雨だね。カッパも持って来ればよかったねー」

 鏡宮は努めて明るく振る舞おうとしてくれていたけれど、対する僕はその気遣いを受け止める余裕すらなかった。

「……刀坂くん、大丈夫?」

 こちらが無言のままでいると、鏡宮はいつになく神妙な面持ちで聞いてくる。

 彼女が心配している。
 大丈夫だよ、と返事をしなきゃいけないのに、僕はそんな一言さえ絞り出すことができなかった。

 脳裏には、先ほどの会話がこびりついて離れない。

 ——あの人はずっと、『消えてしまいたい』と言っていたの。

 三輪山さんが言っていた。
 遠い昔に消えてしまった彼女の兄は、誰にも悟られることなく、ひっそりとこの世を去りたかったのだ。そしてそれを実行するかのように、ある日突然消えてしまったのだと。

 あの廃神社——御霊白神社には猫の神様がいる。優しい神様はその人の思いに寄り添って、どこか遠いところへと連れていってしまう。

 だとしたら、あのお姉さんも。
 彼女ももしかしたら、その人と同じように、この世からいなくなることを望んでいたのかもしれない。

 思えば彼女はいつも一人で、あの神社を訪れていた。
 友達がいなかったのか、それとも家に居場所がなかったのか。何があったのかはわからないけれど、あの神社は唯一彼女が逃げ込める場所だったのかもしれない。
 この世からいなくなってしまいたいと願うほどに、彼女の心は追い詰められていたのかもしれない。

 でも、だとしたら僕は、彼女にとっての何だったのだろう?
 あの神社で毎日一緒に遊んでいた僕は、彼女にとって『友達』ではなかったのだろうか。

 僕はこの十年間、ずっと彼女の帰りを待っていた。
 誰にも信じてもらえなくても、僕だけは彼女のことを一日だって忘れたことはなかった。

 けれど彼女にとっては、僕の存在なんてどうでもよかったのかもしれない。
 この世界とともに捨ててしまっていいと思えるくらいには、どうでもいい存在だったのかもしれない。

「……ねえ、鏡宮」

 重い唇を動かして、僕は掠れた声を漏らす。

「僕は今まで、何のために待ってたのかな」

 およそ答えなど出るはずのない問いだった。
 僕はずっとあの場所で、いつか彼女が帰ってきてくれると思っていた。
 けれど当の彼女にとっては、それは望んでいないことだったのだ。

 雨はさらに強まっていた。
 容赦なく地面を打ちつける雨の音が、僕らの呼吸を掻き消していく。

 黒い雲に覆われた空には夕焼けの色は見えず、太陽が今どこにあるのかもわからない。

 全身はすでにずぶ濡れで、これ以上濡れたところでもはや変わり映えはしないだろう。

 だから、少しだけ。
 雨が全てを覆い隠してくれることを願って、僕は肩を震わせて、泣いた。