「この道って、刀坂くんは中学の頃に毎日通ってたんだよね? なら、こんなに綺麗な景色をいつも見てたんだね」
「いや、僕は……」
確かにこの道は、通学路として使っていた。けれど、当時も何の部活にも所属していなかった僕は、放課後になると真っ先に学校を出てあの神社へと向かっていた。だから、夕暮れ時にここを通ることはほぼなかったし、あったとしても、いつも足元ばかり見て俯いていた僕は、こんな綺麗な景色があること自体に気づけていなかった。
「あー、そっか。刀坂くんは学校が終わったら、いつもあの白猫ちゃんに会いに行ってたんだもんね」
正しくはあのお姉さんに会うために向かっていたわけだけれど。でも、まあ。あのふてぶてしい白猫のことも、僕は嫌いではなかった。
「ねえ、刀坂くん。私ね、……あのボフボフの白猫ちゃんは、本物の神様だったんじゃないかなって思ってるの。名前だけじゃなくて、正真正銘、あの神社に祀られている神様なんじゃないかって」
鏡宮は眩しそうに夕陽を見つめながら、穏やかな声で言った。
「本物の神様? あいつが?」
彼女の突拍子もない言葉に、僕は苦笑した。
確かに、あのボサボサのカミサマは見た目だけでいえばざっと千年ぐらい生きていそうな風貌である。けれど、僕の煮干しをもらうためだけに、あれだけ擦り寄ってくるような食い意地の張った神様がいるだろうか。
「刀坂くん、前に言ってたよね。むかし、あの神社で初めてあの白猫ちゃんに会ったとき、刀坂くんは寂しくて泣いていたんだって」
そういえば、彼女にも話したっけ。
十年前、あのお姉さんが忽然と姿を消した後。境内でひとり寂しくて泣いていた僕の元へ、まるで慰めるようにして、カミサマはどこからともなく現れたのだ。
「本物の神様はね、人の心に寄り添ってくれるんだよ。だからあの白猫ちゃんの正体はきっと、優しい神様だったんだよ。境内で寂しそうにしている刀坂くんを見て、放っておけなかったの。大好きなお姉さんがいなくなって泣いていた刀坂くんを見て、その寂しさを埋めるために、今までずっとそばにいてくれたの」
まるで現実的ではない、おとぎ話のようだった。
けれど彼女が真剣に話すそれは、どこか心地よい響きを持って僕の胸に届く。
「優しい神様は、猫ちゃんの姿になって会いにきてくれたんだよ。だから……最近あの子の姿が見えないのはきっと、刀坂くんが私と一緒にいるからだよ」
「鏡宮と?」
「私と一緒にいると、刀坂くんは独りじゃないでしょ? だからあの白猫ちゃんはきっと、安心して姿を消したんだよ。あの神社にはずっと神様がいて、私たちを見守ってくれているの」
彼女の話す物語は、優しさに溢れていた。
神様は、孤独な人の心に寄り添ってくれる。
「カミサマが、本物の神様……か。そう考えると、ちょっと悔しいかもな。あんなボサボサの猫が、僕の心を支えてくれてたなんて」
自然と、笑みが零れる。
鏡宮は「ボサボサじゃなくて、ボフボフだよ」と笑って言う。
そんな話をしている間に、僕らの足は山の麓まで降りてきていた。私鉄の踏切を越えて橋を渡ると、夜の色に染まりつつある田園風景が眼前に広がる。
「実は私もね、前の学校で一人だけ、心の支えになってくれていた子がいたの」
ふと、鏡宮は懐かしむように言った。
そうして上着のポケットからスマホを取り出したかと思うと、ホーム画面を表示して、僕にも見えるようにする。
「ほら、この子。カンナちゃんっていうの。可愛いでしょ?」
画面の中で、二人の少女が仲良くポーズを決めていた。見たことのない制服を着た鏡宮と、その隣で明るく笑うギャルっぽい女の子。明るい髪に濃いめのメイクを施したその姿は、鏡宮の友達のイメージよりは少し派手だった。
「カンナちゃんだけは、私のことを信じてくれたの。周りが何を言っても、私が猫ちゃんたちを傷つけるはずがないって。……あんまり迷惑をかけたくなかったから、途中からは会わないようにしてたけど。それでも、私を信じてくれる子がいるんだって思ったら、すごく嬉しくて、心強かったの。だから、今度は私が、刀坂くんにとってのカンナちゃんみたいになれたらいいなって思ってる」
最後にそんなことを言われて、僕は反応が遅れた。
鏡宮が、僕の心の支えになろうとしてくれている。
そう思うと、なんだか胸の奥がむず痒い感じがする。
「なんて、ちょっと偉そうだったよね! ごめんね、ヘンなこと言って」
ふふっと焦ったように笑う彼女に、僕は何も言えなかった。
本当は、彼女がそんな風に言ってくれたのは嬉しかったし、今のままでも十分、彼女は僕の支えになってくれている。
この夕空の景色だってきっと、僕ひとりで眺めたって何とも思わなかっただろう。
何気ない生活の一部がこうして違って見えるのは、ひとえに彼女がいてくれるおかげに他ならなかった。