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 そして翌日。
 僕らはいつもの神社で朝九時に集合した。

「おはよー、刀坂くん! 今日も冒険の始まりだね!」

 木漏れ日の降る境内の真ん中で、彼女は嬉しそうな笑顔を見せる。
 私服姿の彼女は、動きやすそうなショートパンツに、Tシャツの上から大きめのアウターと、頭にはキャップを被っていた。長距離を歩くことを見越した装いのようだったが、元が良い彼女は何を着ても似合う。

 対する僕は、家にあった適当なパーカーとデニムを合わせただけ。
 こうして女の子と二人で出掛けるなら、もう少しファッションに気を遣った方が良かったのだろうか。なんて、今さら思案する僕の不安を払い除けるかのように、

「えへへ。制服以外の格好してる刀坂くんって新鮮だね。そのパーカーも似合ってるよ!」

 と、まさかの褒め言葉を投げかけられる。
 鏡宮からすれば何てことない、挨拶代わりのようなセリフだったのかもしれないが、言われた僕は悪い気はしなかった。
 キミの服装も似合ってるよ、と僕も軽く返せたら良かったのに、そういうやり取りに慣れていない僕はもじもじと視線を逸らすだけで精一杯だった。

「うーん。やっぱり今日もいないね、カミサマ」

 鏡宮は改めて境内を見渡して言った。
 社殿の脇や木々の間を確認しても、カミサマの姿はどこにもない。
 無論、あのお姉さんがここへ帰ってくる気配もない。
 鬱蒼と生い茂る木々がざわざわと風に揺れる中、鏡宮の明るい声だけが再び響く。

「それじゃ、さっそく出発しよっか。今日も案内は刀坂くんにお任せするね」

 そう言って、彼女は当たり前のように僕の左腕を掴んで、引っ張るようにして歩き出す。
 町を案内するのは僕だけれど、こうして僕を神社から連れ出してくれるのは鏡宮の役目だった。
 

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 あれだけ人と関わることを避けていた僕が、休日に女の子と二人で出掛けようとしている。
 そう思うと、なんだか不思議な気分だった。

 川の上に架かる橋を渡り、私鉄の踏切を越えると、やがて民家と民家との間に細い坂道が見えてくる。
 そこを上ると、僕の通っていた中学校まではすぐだった。登下校の時間帯はいつも、この道は制服を着た生徒や走り込みをする運動部員たちの姿でいっぱいになる。

「あっ。猫ちゃんがいる!」

 不意に鏡宮が声を弾ませて、僕もハッとそちらを見た。
 コンクリートで舗装された坂道の途中に、細長い尻尾を持つふわふわの生き物が寝そべっている。よくよく見てみると、それはあのボサボサの白猫ではなく、白、黒、茶のふわふわの毛並みを持った三毛猫だった。

「かわいー! 三毛猫ちゃんだね。ちょっと太ってるかな?」

 鏡宮が近づいていっても、三毛猫は逃げなかった。恰幅の良い体を斜めに横たえたまま、じっと彼女を見つめている。

「この猫ちゃん、すっごく人慣れしてるね。触っても全然逃げないよ?」

 鏡宮は嬉しそうに猫の頭を撫でる。
 猫は逃げるどころか、体をさらにひっくり返らせて白いお腹をみせつけてくる。ゴロゴロと喉を鳴らすその様子は、「もっと撫でろ」と言っているようだった。

「この子、野良猫ちゃんかな? だとしたら、この地域の人たちに愛されてるんだろうね。体も丸々として毛艶も良いし、美味しいごはんをたくさんもらってるみたい。刀坂くんも触ってみる?」

 促されて、僕も鏡宮の隣にしゃがみ込み、そっと手を伸ばしてみる。すると三毛猫はさっきと同じようにお腹を上に向けてゴロゴロと喉を鳴らした。
 くそ、可愛いなこいつ。

「……って、こんな所で油を売ってる場合じゃなかった」

 気づけば結構な時間を費やしてしまった。
 まだ目当ての新興住宅地に入る手前だというのに、まさかこんな誘惑に引っかかるとは。

「ふふふ。猫ちゃんの魅力には敵わないよね。じゃあね、三毛猫ちゃん。帰りもまた会えたらいいなぁ」

 名残惜しいが、僕らは前に進まねばならない。
 人懐こい三毛猫に別れを告げ、僕らはいよいよ隣の町へと足を踏み入れた。