「よかった。刀坂くんが笑ってくれて、私も嬉しいよ。刀坂くん、なんだかずっと寂しそうな顔してたから」

「寂しそうな顔って……」

 そういえば、昨日もそんなことを言われたな、と僕は苦笑した。
 思えば人前で笑顔を見せることなんて、ずいぶんと久しぶりのような気がする。

「ねえ。よかったら私も一緒に、ここでそのお姉さんの帰りを待ってもいいかな?」

 段々といつものテンションを取り戻し始めた鏡宮は、いきなりそんなことを言い出した。
 虚を突かれた僕は一瞬反応に迷ったけれど、特に断る理由もなかったので、「まあ、それは別に」と、それとなく答える。
 本当はちょっとだけ嬉しかったりするのだけれど、なんだか気恥ずかしくて、口には出さなかった。

「なぁーお」

 と、そこへふてぶてしい鳴き声が届く。

 僕と鏡宮が同時に視線を落とすと、そこには不機嫌そうに薄目を開けたカミサマが丸まっていた。
 まるで自分の存在を忘れられて不貞腐れているようにも見える。

「ああ。そういやカミサマ、そこにいたんだっけ」

「かみさま?」

「こいつの名前。僕が勝手に付けたんだ」

 それを聞いた鏡宮は、ふふっと可笑しそうに笑った。

「確かに『神様』って感じがするね。こんなに毛がボフボフだし」

「ボフボフじゃなくて、ボサボサだよ」

 そんな他愛もない会話を続けているうちに、西の空は少しずつ赤みを帯び始める。

「それじゃ私、門限あるから。先に帰るね」

「あ、うん……」

 鏡宮はその場に立ち上がると、屈託のない笑みを僕へ向ける。それからひらひらと手を振って、こちらに背を向けた。
 次第に遠くなっていくその後ろ姿は、夕暮れの淡いオレンジの光に当てられて、どこか儚げに見えた。

(鏡宮は、突然いなくなったりなんかしないよな?)

 ふと、そんなことを思う。

 十年前、あのお姉さんはある日を境に、忽然と姿を見せなくなってしまった。
 それまで毎日のようにここで僕と遊んでいたのに、ある日突然、何の前触れもなく姿を消してしまったのだ。

(いや。いま思えば……)

 もしかすると、何か前触れはあったのだろうか。
 当時の僕が、ただ気づいていなかっただけで。

「なぁーお」

 再びカミサマの鳴き声が届いて、僕の意識は一気に現実へと引き戻された。

 けれど、

「カミサマ?」

 声のした方を振り返っても、カミサマの姿はどこにもなかった。
 確かに今、声はすぐ後ろから聞こえたような気がしたのだけれど。

 そうして視線の先では、かすかに届く夕焼けの色に染められて、例の社殿が静かに鎮座していた。
 本殿と拝殿とが一体になったボロボロの建物。いつの時代に建てられたのかもわからない木造のそれは、格子戸のガラスが割れ放題になっている。

(この神社の神様って、まだここにいるのかな)

 ここまで荒れ果てた境内を眺めていると、つい疑問に思ってしまう。
 どこの神社にも神様はいるはずだけれど、長年手入れされていないであろうここに祀られた神様は、果たして今もそこにいるのだろうか?

「……そろそろ帰るか」

 段々と風も冷えてきた。
 日が落ちる前に僕も帰ろう——そう思って鳥居の方へ一歩足を踏み出したとき、

「なぁーお」

 僕の背後でまた、猫の鳴き声がした。
 けれど後ろを振り返っても、カミサマの姿はやはり見当たらなかった。


 後から思えば、それは別れの挨拶だったのかもしれない。

 その日以来、カミサマは忽然とその姿を消してしまったのだった。