「家鳴りかしら」
 呟いてから母はテレビに向き直った。彼女の背中を眺めながら、忘れていた息が帰ってくる。は、は、と短い呼吸が次第に通常に戻っていくのを感じながら、頭もクリアになっていく。
 いつぶりか分からない、母の目は、かつて私にも向けられていた無垢な色を宿していた。敵意のない、悪意も感じられない、そんな瞳。そんな瞳だからこそ、怖くて萎縮してしまった。叩かれる。暴言を吐かれる。その瞳に殺意が孕むのをただジッと待つことしか出来なかった。
 どうして。
 私が立てる物音も遮断されるらしく、母にはいつも聞こえていない。実際足音は聞こえていなかったはず。なのに、どうして。
 私が、いつもいない時間だから? 予期せぬ時間に音を立てたから、母の脳も遮断しきれなかった?
 鼓動が早くなっているのを感じながら、コンロの火をつけてみる。ちらりと母を見ると、テレビに夢中になっていた。これくらいの音なら大丈夫らしい。安堵のため息を零した。
 無事ラーメンを作って二階に持っていき、食べ終えるとベッドに寝転んだ。リビングで食べても良かったが、今は近くに行くのが怖い。食器はまた後で下ろせば良いだろう。
 再び眠りにつこうとすると、スマートフォンに着信が入る。表示された名前に顔をしかめたが出る訳にもいかず、ため息を殺して出た。
「はい」
「はいじゃないだろ、学校に休みの電話は入れたのか?」
 父だった。掠れた声は元々で、昔から聞き取りずらいと思っていた。