見事にマルしかつかない答案を見て、俺は絶句していた。

「お前、すごいぞ……まさか、本当に全問正解するとは……」
「へっへー、俺もやればできる子なんだぜ!」

 本気の出し方をママの腹に忘れてなかっただろ、と奴はふんぞり返っている。

「約束どおり、爽の歴史も教えてくれるんだろ?」 
「……ああ、約束だからな。けど、なんでそんなに俺のことを知りたがるんだよ」
「好きな奴の歴史を知りたいって言ったのは爽だろ? 当たり前だよ。あ、さては爽も俺の歴史を知りたいんだなー??」

 自分の放った言葉が、無垢な刃となって返ってきた。
 好きな奴の歴史を知りたい、けど俺の"すき"と弓月の"すき"はベクトルが違うことは分かっている。
 それを考えるとどうしようもなく息が詰まり、絶海の孤島に取り残された気分になる。
 孤島から脱出したくて、また暴走機関車となり、今度はブレーキを探す。終わりの見えない曲がり角を奔っているようだ。

 長いため息をつき、俺は淡々と語り始めた。

「……中学で彼女は一時期いた」
「いいなあ、やっぱ彼女いたのかー! かわいかったんでしょ? 写真とかないの?」
「ない」
「ちぇ、なんだよ。 じゃあ今は? 彼女いるの??」
「彼女はいない」
「彼女、“は”? じゃあ好きな人がいるってことか??」
 
 妙なところで鋭いやつ。
 嘘はなしだぞ、と詰め寄る弓月に、俺は目をそらしながら回答を続けた。

「好きな奴ならいる」
「えっ、ほんと!? 誰? 俺の知ってる人? 俺らと同じクラス!?」
「よく知ってるし同じクラスだ」
「うおーー!! だれ? だれ? ヒントくれ!!」

 鼻息を荒くし、興味津々を体現したような顔で俺を質問攻めにする。
 
 俺の中でまたあの感情が渦を巻く。ないブレーキを必死に手繰り寄せたくなる、あの感情。
 と同時に、
ーーーこの能天気野郎に一泡吹かせてやろうか。
 黒い雨雲のような感情が首をもたげた。

 目を星のようにして俺の返答を待ちわびる弓月。
 その栗色の髪を弄び、奴の柔らかな頬をいきなり鷲掴んだ。

「お前、俺の気持ちを分かって言ってるのか? わざとなのか?」

 分かっている訳がないのは承知の上だ。
 大きな瞳が、きょとんとこちらを見つめている。吸い込まれそうな深い黒に、自分の意地悪い顔が映っている。

「え……っ?」
「頭が良くてけっこうイケメンな俺が、好きな奴は誰だろうなあ」
「えっと………なんか怒ってる…?」
「さあな。俺が好きな奴は、バカで能天気で、追試のプロの誰かさんだ」

 いきなり頬をつかまれてむーむー言ってるアホに俺は畳みかける。

「俺が好きなのはお前、だ」
「………!? あ、……?」

 弓月は頬を鷲掴みにされたまま目を泳がせ、茹でダコのように赤くなっていく。
 捕らえた獲物を喰らうように。弓月の唇へ、俺の唇を触れるぎりぎりの距離まで近づけた。

「俺がどれだけお前を想っていたか教えてやらないとな」
「え、え、ふぇ……っ!!??」

 弓月の目玉が渦潮のようになったところで、やっと手を離してやる。 

「ははっ、なんてな。冗談だよ。茹でダコみたいになって、弓月くんは本当にかわいいなあ」

 解放されてもなお硬直し続ける子犬を、バカなやつ、とからかいながら俺は教科書類を整頓し始めた。