昼休みの一年三組の教室は、施設と同じくらいに騒がしい。もう六月になるというのに、いまだに中学生のノリが残っている男子たちを、女子が冷めた目で見ている。

「高校生って、もっとおとなだと思ってたんだけど」

 クラスで一番仲のいい愛理が、お弁当のグラタンをつつきながら言った。

「案外なにも変わらないね」

「そうだね」

 未来は、購買で買ったサンドイッチを一口かじった。愛理とは、お互いにスマホを持っていないという共通点から急に仲良くなった。家に帰っても繋がり続けているクラスメイトも多い中で、同じ状況の人がいるというのは心強い。施設では、スマホは基本的には持たされていないが、自分のバイト代での購入は止められていない。施設の先輩たちは、みんな高校生になると、バイトを始めて買っていた。未来も、夏休みに入ったらバイトをしようと考えている。

「そういえば」

 愛理がなにかを言おうとしたとき、突然教室の後ろの方から、テンションの高い叫び声が聞こえてきた。声のした方を見ると、クラスで一番派手なグループの女子の一人が、アイマスクをつけられている。

「なにしてるんだろう」

 新しい遊びでも思いついたのだろうかと見ていると、どこに隠していたのか、廊下から彼女の友達がホールケーキを運んできた。そして、グループみんなが歌い始める。

 誰でも知っている、幸せな誕生日を祝う歌を。

 あぁ、まただ。

 未来は深呼吸を繰り返す。鼓動が早まっていくのを感じる。誕生日とは、そんなに幸せなものなのだろうか。そんなみんなが幸せだと思う大切な日を持っていない自分はいったいなんなのだろう。

「未来?」

 愛理が自分の顔をのぞき込んでいた。

「顔色悪いよ」

 言えるわけがない。本当の誕生日を知らないなんて。

「大丈夫。ちょっとトイレ行ってくる」

 引きつりそうになる口角をあげて、教室を出た。扉を閉じても、まだ聞こえてくる幸せの歌。今だけは、誰もいない場所に行きたい。とにかく人の声が聞こえない方へ足を踏み出していく。

 特別室が並ぶ階に来た。昼休みは始まったばかりで、廊下には誰もいない。壁に背中を預けて座り込んだ。

 誰かが誕生日を祝われているたびに、いつもこんな気分になる。どれだけ考えたって、事実が変わらないことはわかっている。それでも、願わずにはいられなかった。普通に誕生日があって、普通に誕生日を祝われて、普通に友達や大切な人の誕生日におめでとうと伝えたい。そんな当たり前のことができない自分が大嫌いだ。

 堪えきれなかった涙が、頬に流れたときだった。すぐ隣の扉が、ガラッと音を立てて開かれた。誰もいないと思って油断していた。中から出てきたのは、生物担当の山津だ。一人で泣いているところを見られてしまったことに、急に恥ずかしさが襲ってくる。
 未来はすぐに立ちあがった。入学して二ヶ月。まだ自分の名前が認識されていないことを祈りながら、その場から逃げようと背中を向けた瞬間だった。

「阿部未来さん、ですね」

 山津は記憶力がいいらしい。顔どころか、フルネームまで覚えられている。どんないいわけをすれば、放っておいてくれるだろう。

「使います?」

 振り返ると、山津は生物室の中を指さした。

「さすがに一人で使わせてあげることはできませんが、私のことはいないものと思ってもらえれば」

 なにも聞いてこないことにほっとする。それと同時に、変わった人だとも思った。

「いいんですか」

「どうぞ」

 山津が生物室の中に入っていく後ろをついていく。今はまだ、教室には戻りたくはなかった。