「今日、お友達が来てくれていたんですよ」

 山津がいずみの病室を訪れると、すっかり顔なじみの看護師が教えてくれた。

 彼女は自分の友達が会いに来てくれたように、嬉しそうな表情を浮かべている。

「そうですか」

 あのラッコの彼女だとすぐにわかった。珍しく欠席していたと聞いて心配していたが、どうやらここに来ていたらしい。

 看護師が部屋から出ていき、いずみと二人になる。ベッドの隣に置いてある椅子に腰をおろしていずみの寝顔を見る。こころなしか、いつもより顔色がいいように見えるのは気のせいだろうか。

「久しぶりに会ったさっちゃんはどうだった?」

 山津の言葉に、いずみは相変わらずなにも答えない。毎回のことだけれど、慣れることはない。

 ばらしちゃだめって言ったのに。

 いつもとは違い、なぜか今日はいずみの少しすねた声が聞こえた気がした。

 いずみと最後に会話をしたのはちょうど一年前だ。いずみがこの状態になる、一日前のことだった。

「私、カエルになるから」

 ファミレスでイチゴのパフェをつつきながら、いずみが言った。

 毎月第一土曜日が、山津といずみが会う日だった。これはいずみが中学にあがる少し前からの恒例だ。年頃の娘に毛嫌いされると嘆く同僚も多い中、いずみの山津に対する態度は、昔も今も変わらない。

「カエル?」

「うん」

 つい数秒前まで、昨日見たテレビの話をしていたのに、一瞬で話題が変わる。これは昔からのいずみの癖だった。

「死んだふりをするけど、絶対にばらしちゃだめだからね」

「死んだふり?」

「うん」

 白いシャツの上に、イチゴのシロップが一滴落ちた。またやっちゃったと、いずみがおしぼりで染みを叩くのを眺めていた。

「どうしてそんなことを?」

 いずみが手を止めて、きょとんとした顔でこちらを見る。

「そうすれば助かるからでしょ」

 こちらが当たり前のことを聞いてしまったのかと思ってしまうくらいに、いずみはさらりと答えた。聞きたいのはカエルのことではなく、いずみがなぜそんなことをしなければいけないのかということだ。

「さっちゃんはね」

 高校に入ってから名前を聞くようになった子だ。

「私の友達で、とっても優しい子なの」

「知ってるよ」

「さっちゃんにはこれ以上悲しい思いをさせたくないから」

 滅多に来ないいずみの母親からの電話が来たのは、その日の夜のことだった。

 いずみは学校で悩みを抱えていなかったのか、学校に話を聞きに行くと言った母親に付き添って、山津も学校に行った。

 学校では思い当たることはない、それが回答だった。

 当然ながら納得のいかない母親は、きちんと調べる気がないなら警察やマスコミにこのことを話すと興奮気味に食って掛かった。その気持ちは、山津には十分理解できた。

 けれど、それをいずみが望んでいるとは到底思えなかった。学校側も、それはどうしても避けたいはずだ。

 山津はそれを利用した。

「この件は外部に漏らさないと約束する代わりに、二つ、条件をのんでもらえませんか」


 一つ目が、いずみが死んだことにすること。
 いずみが死んだふりをばらしてはいけないと言ったから。


 もう一つは、新年度から山津がこの学校の教師となることだった。


「娘が見ていた景色を見たいんです」

 うそをついた。

 娘を失いかけた父親の小さな望みと見せかけた。本当は、さっちゃんのことを知りたかったからだ。

 学校は、生徒のプライバシーを守るために、さっちゃんのことを教えてはくれないだろう。いずみが自分の命を懸けてまで守りたかったさっちゃんが、どうしているのかを知らないままで終われなかった。

 生徒にいずみの話をしないこと、いずみの父親であることは教頭と校長だけの秘密だということを条件に、山津がこの学校で働くことが認められた。