いつかこんな日が来ることは、心のどこかでわかっていた。いつか誰かが、自分に罰を与えに来てくれると。もしもこの場で殺されるようなことがあっても、仕方がない。この先一生、いずみを死なせてしまったことへの後悔を抱えていくよりも、ずっと楽かもしれない。

「いずみは昔から、ほかの子たちとは少し変わった子でした。君もそう感じてたのではないですか」

 少しどころじゃない。そう思ったけれど、口に出すのははばかられる。それに気づいた山津は、小さく笑った。

「いいんですよ。親でも思っていましたから」

 世間話でもしているみたいに、山津の口調は軽い。それが余計に山津の真意をわからなくさせる。この笑みの奥に、どれほどの恨みや怒りが隠されているのだろうか。

 この人の前では、どんな謝罪や後悔の言葉も塵よりも無駄なものになってしまうことだけは嫌でもわかってしまう。

 だから、なにひとつ言葉を発することができないでいた。山津はそれを気にする様子もなく、窓の外に目を向けながら話し続けた。たくさんのビルやマンションの中で、ひときわ大きな総合病院が目立っている。山津の視線の先が、あの病院に重なっている気がした。もしかしたら、いずみは最期にあの病院に運ばれたのかもしれない。

「昔から友達作りは苦労していました。仲良くなった子に、いつの間にか避けられてしまうこともしょっちゅうでした」

 幼いころのいずみの姿が、簡単に想像できてしまう。頭に浮かんできた小さないずみが、ほかの子どもたちが作り出す楽し気な輪を、離れたところから一人でぽつんと立って見ている。

「だからこそさっちゃんという優しい友達ができたことが、とても嬉しかったんだと思います。いつも君の話をしていましたよ。さっちゃんは、自分のことをちゃんと見てくれる大切なとても優しい友達だと」

 首にかけられた手に、じわじわと力を加えられているみたいだ。いっそのこと、お前のせいでと罵られた方がずっと楽なのかもしれない。

「傷ついたでしょうね、とても」

 言われなくてもわかっている。いずみがいなくなって一年間、それを考えなかった日は一日だってない。

 君は、と山津が視線を沙月に移す。その目がいずみにそっくりで、やはり親子なのだと思い知らされる。

「君は傷を負ったあの日から、一歩も進めていない」

 山津がスマホを渡してきた。ずっと持っていたのか、かすかな温もりがスマホから伝わってくる。写真のいずみと目が合った。
 さっちゃん、と呼び掛けてくる声が聞こえた気がする。

「君はずっと、友達を守れなかった自分を責め続けている。だから一年経った今でも、写真を変えられずにいるのではないですか」

「違う」

 友達なんかじゃない。私は傷ついたなんて言える立場じゃない。生きていられなくなるくらいに傷ついたのはいずみだ。そして、傷つけたのはほかの誰でもない私だ。

「自分の身を守るために他人の手を離すような人間を、いずみが友達だと思うわけないじゃないですか」

 いずみは今も自分を恨んでいる。だからこそ、いずみは山津と自分を引き合わせたのだとしか思えない。

 山津は少し考え込むように黙り込んだ。沈黙が苦しくなったとき、クイズの答えを見つけたように口を開いた。

「君はラッコですね」

「え?」

 突然出てきたラッコという言葉が、頭を一瞬で冷やしてきた。

 そういえば、いずみも動物が好きだった。
 テレビに出ていた動物の話や雑学を、楽しそうに話していたのを思い出す。

「知っていますか。ラッコは波に流されないように、別の個体と手をつなぐことがあるんですよ」

 それが今どう関係あるのか、全く理解が追いつかない。

「学校は、海みたいなものだと私は思っています。一見美しく見えていても、ときに激しく荒れてしまうこともある。楽しさや美しさだけを追い求められることは、その海の中では非常に難しい。つらい思いをしたり、たくさん悩んだりすることを強いられる場所でもあります」

 伝えたいことがあるはずなのに、山津が遠回りしているのはわかる。いずみのストレートな話の伝え方とは正反対で、本当に親子なのかと疑いたくなる。

「その海の中で、一人で生き残ることは厳しいことです。君もそう感じていたのではないですか」

だから、と山津が自分の両手を強く合わせた。その拍子に聞こえてきた音が、海にしぶきがたった音と似ていた。

「波に飲み込まれないように、いずみと手を取っていた。けれど」

 組んだばかりの両手が離された。あれは、もう触れることのできないいずみと自分の手だ。見ていられなくなって、目を逸らしてしまう。床の木目がにじんで見えた。

「運悪く手が離れてしまった。けれどそれは、君のせいじゃありません」

「運悪くなんかじゃないですよ」

 思わず言い返してしまった。