今日でいずみが亡くなった日からちょうど一年が経つ。
クラスが変わったこともあり、いずみの名前を出す人は一人もいない。忘れているのか、それとも触れてはいけない暗黙の了解の結果なのかはわからなかった。
いつもとなにも変わらない一日を終え、詩音と一緒に駅に向かって歩いていた。話題は今日の日本史の授業がつまらなかったとか、ドラマの展開がどうとか、そんなありふれたものだ。
学校から駅まで、半分ほど来たときだ。詩音がスマホを取り出したのを見て、はっとした。カバンを開くも、やはりスマホが入っていなかった。
「どうしたの?」
「スマホ、学校に忘れてきた」
置いてきてしまった場所に心当たりがある。今週の掃除当番だった生物室だ。黒板を消すときに、チョーク置き場に当たって邪魔だったから教卓の上に置いたのをすっかり忘れていた。
「取ってくる。詩音は先に帰ってて」
「わかった。じゃ、またあした」
またあしたと詩音に手を振って、来たばかりの道を戻る。夕方に学校に向かうのは初めてかもしれない。通り慣れた道だというのに、道路の車の量や太陽の差し方が違うだけで、いつもと少し違って見えるのが不思議だ。
部活に入っていない沙月は、授業が終わればすぐに帰ることがほとんどだ。放課後の校舎は想像していたよりもずっとにぎやかだった。吹奏楽部の演奏、運動部の掛け声、演劇部の大道具作りらしき金づちの音。
この音の向こうに、なにかを頑張っている人がいると考えると、大変だと思うと同時に少しうらやましくなる。自分もどこか部活に入ればよかったかなと一瞬思う。けれど自分の飽きっぽさを思い出して、やっぱりこれで良かったのだと思い直す。
そんなことを考えている間に、生物室についた。窓から明かりが漏れているけれど、中からは音は聞こえない。扉を静かに引いて、そっと中を覗き込んだ。
誰もいないと思っていたのに、最初に見えたのはグレーのスーツの背中だった。後ろ姿ですぐにわかった。
山津だ。
山津はスマホでも見ているように、小さくうつむいている。沙月がのぞいていることに気づいた様子はない。教卓の方に目を向けると、そこにあるはずのスマホはない。
もしかして、今山津が持っているのは自分のものではないのか。
画面には、今もいずみとの写真が設定されている。名前を出すことすらタブーのような空気が流れているのに、それを見られたらどう思われるかわかったものじゃない。
見られたかもしれないことにどきりとしたが、山津はあのときまだこの学校にいない。きっといずみの顔は知らないだろう。
ほっと息をついたとき、気配を感じたのか山津が振り返った。その手にはやはり沙月のスマホが握られている。
「すみません。そのスマホ私のです」
山津は沙月の顔を見たまま動かない。メデューサに睨まれて石にされてしまったみたいだ。そんなに驚かせてしまったのだろうか。
「山津先生?」
沈黙に耐えられなくなって、山津の名前を呼んだ。呪いが解けたように、山津はようやく口を開いた。
「ずっと君を探していました」
「え?」
突然姿を消したヒロインを見つけた、映画の主人公みたいなセリフだ。山津が、スマホの画面をこちらに向けた。画面の中のいずみと自分が笑っている。
またいつもの息苦しさが襲ってくる。終わってはいけない、自分への罰の苦しさだ。
「いずみから、いつも聞いていました。さっちゃんという友達の話を」
わからない。
どうして山津がいずみの名前を知っているんだろう。知っているどころじゃないいずみとの親密さが感じられた。まさかと、ある考えが頭をよぎる。その瞬間に、山津といずみの顔にどこか似ている雰囲気を感じた。
「山津先生は、いずみの」
「父親です」
沙月が答える前に、山津ははっきりと告げた。
やはり予想は当たっていた。
山津は自分を探していたと言った。その理由は聞かなくてもわかる。
山津は自分のことを恨んでいるはずだ。どんな手を使ってでも、自分の娘を追い詰めた人間を探していたんだろう。学校は、いずみの件を隠した。それが学校の名誉のためなのか、生徒のためなのかは知らない。なにも知ることのできなかった真相を探るために、なんらかの手を使ってこの学校に潜り込んだ。それしか考えられない。
クラスが変わったこともあり、いずみの名前を出す人は一人もいない。忘れているのか、それとも触れてはいけない暗黙の了解の結果なのかはわからなかった。
いつもとなにも変わらない一日を終え、詩音と一緒に駅に向かって歩いていた。話題は今日の日本史の授業がつまらなかったとか、ドラマの展開がどうとか、そんなありふれたものだ。
学校から駅まで、半分ほど来たときだ。詩音がスマホを取り出したのを見て、はっとした。カバンを開くも、やはりスマホが入っていなかった。
「どうしたの?」
「スマホ、学校に忘れてきた」
置いてきてしまった場所に心当たりがある。今週の掃除当番だった生物室だ。黒板を消すときに、チョーク置き場に当たって邪魔だったから教卓の上に置いたのをすっかり忘れていた。
「取ってくる。詩音は先に帰ってて」
「わかった。じゃ、またあした」
またあしたと詩音に手を振って、来たばかりの道を戻る。夕方に学校に向かうのは初めてかもしれない。通り慣れた道だというのに、道路の車の量や太陽の差し方が違うだけで、いつもと少し違って見えるのが不思議だ。
部活に入っていない沙月は、授業が終わればすぐに帰ることがほとんどだ。放課後の校舎は想像していたよりもずっとにぎやかだった。吹奏楽部の演奏、運動部の掛け声、演劇部の大道具作りらしき金づちの音。
この音の向こうに、なにかを頑張っている人がいると考えると、大変だと思うと同時に少しうらやましくなる。自分もどこか部活に入ればよかったかなと一瞬思う。けれど自分の飽きっぽさを思い出して、やっぱりこれで良かったのだと思い直す。
そんなことを考えている間に、生物室についた。窓から明かりが漏れているけれど、中からは音は聞こえない。扉を静かに引いて、そっと中を覗き込んだ。
誰もいないと思っていたのに、最初に見えたのはグレーのスーツの背中だった。後ろ姿ですぐにわかった。
山津だ。
山津はスマホでも見ているように、小さくうつむいている。沙月がのぞいていることに気づいた様子はない。教卓の方に目を向けると、そこにあるはずのスマホはない。
もしかして、今山津が持っているのは自分のものではないのか。
画面には、今もいずみとの写真が設定されている。名前を出すことすらタブーのような空気が流れているのに、それを見られたらどう思われるかわかったものじゃない。
見られたかもしれないことにどきりとしたが、山津はあのときまだこの学校にいない。きっといずみの顔は知らないだろう。
ほっと息をついたとき、気配を感じたのか山津が振り返った。その手にはやはり沙月のスマホが握られている。
「すみません。そのスマホ私のです」
山津は沙月の顔を見たまま動かない。メデューサに睨まれて石にされてしまったみたいだ。そんなに驚かせてしまったのだろうか。
「山津先生?」
沈黙に耐えられなくなって、山津の名前を呼んだ。呪いが解けたように、山津はようやく口を開いた。
「ずっと君を探していました」
「え?」
突然姿を消したヒロインを見つけた、映画の主人公みたいなセリフだ。山津が、スマホの画面をこちらに向けた。画面の中のいずみと自分が笑っている。
またいつもの息苦しさが襲ってくる。終わってはいけない、自分への罰の苦しさだ。
「いずみから、いつも聞いていました。さっちゃんという友達の話を」
わからない。
どうして山津がいずみの名前を知っているんだろう。知っているどころじゃないいずみとの親密さが感じられた。まさかと、ある考えが頭をよぎる。その瞬間に、山津といずみの顔にどこか似ている雰囲気を感じた。
「山津先生は、いずみの」
「父親です」
沙月が答える前に、山津ははっきりと告げた。
やはり予想は当たっていた。
山津は自分を探していたと言った。その理由は聞かなくてもわかる。
山津は自分のことを恨んでいるはずだ。どんな手を使ってでも、自分の娘を追い詰めた人間を探していたんだろう。学校は、いずみの件を隠した。それが学校の名誉のためなのか、生徒のためなのかは知らない。なにも知ることのできなかった真相を探るために、なんらかの手を使ってこの学校に潜り込んだ。それしか考えられない。