「ごめん、ちょっと一人にしてほしい」
震える声でそう言うだけで精いっぱいだった。詩音は小さく微笑みを浮かべて「わかった」と一緒にいた二人を連れて出ていった。
タイミングを見計らったみたいに、個室の扉が開いた。思わず振り返って、出てきた人と目が合う。そこにいたのはいずみだった。
「なんで泣いてるの?」
久しぶりに話す一言目とは思えないくらいに、いずみの話し方は前と変わらない。毎日同じ教室にいたはずなのに、しばらく会っていなかったみたいに懐かしい。
「泣いてない」
目をこすりながら答えると、いずみはそっかと小さく言った。
「さっちゃん」
「なに」
いずみはなにかを言おうとしていた。けれど、言葉の続きはなかなか話してくれない。
「やっぱりいいや」
結局、そう言い残してトイレを出て行ってしまった。
その晩、電話がかかってきた。画面に表示されていたのは、デフォルトのままのアイコンだった。
高校までスマホを持っていなかったといういずみは、ほかの多くの子たちみたいに家に帰ってからも連絡を取り続けるなんてことはなかった。家に置き忘れてくることもしょっちゅうだったし、高齢の人が使っているような必要最低限の機能さえあれば十分なくらいだ。沙月が設定してあげるまでは、スマホのロックすらかけられていなかった。
そんないずみが、わざわざ電話をしてきた。昼間になにかを言おうとしていた姿を思い出す。学校では、いずみが近づけないように、みんなが沙月のことを囲っていた。仲直りのタイミングを、故意に奪っているみたいだった。いずみが謝ってしまったら、仲間外れのゲームが終わってしまうかもしれないから。
通話ボタンを押すだけなのに、心拍数があがるのを感じた。慣れないいずみからの電話ということもある。けれどそれ以上に、今までに感じたことのない胸のざわつきを感じた。この電話が、いずみとの最後の会話になってしまうような、そんな気がする。
着信音は鳴りやまない。出なければ終わらないくらいに鳴り続ける。
「もしもし」
ようやく出ることのできた電話に、声がうわずってしまった。
「さっちゃん?」
「うん」
「あのさ、私やっぱり言っておこうと思って」
いきなり電話をかけてきたかと思えば、早々に本題に入ろうとする。普通、今大丈夫かどうかの確認くらいするものじゃないだろうか。でも、不思議と腹は立たない。むしろいずみらしくて笑いそうになる。
「なに?」
「みんなとちゃんと仲良くしてね」
予想もしていなかった言葉に、思わず聞き返す。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
いずみはいつだって、言葉のオブラートの存在なんて知らないみたいに、ストレートに思ったことを伝えてきた。だからいずみの言いたいことがわからないなんてことは初めてだった。
「言いたかったのはそれだけ」
「ちょっと待って」
「またね」
バイバイ、じゃなくて、またね。
聞きなれないいずみのさよならが、今でも耳に残っている。
まだ秋だというのに、とても寒い金曜日の夜だった。
そして週が明けた月曜日、あの集会でいずみのことを知らされた。
学校全体でアンケートがとられた。あなたはいじめにあっていますか。目撃したことはありますか。いじめを行ったことがありますか。
その質問が、自分たちを責め立てているみたいだった。
あれはいじめじゃない。それを自分に納得させる理由をいくつも考えた。いずみがみんなに非難されることをしたのが悪いんじゃないか。うそだったとはいえ、好きな人をみんなにばらされるなんて、下手したらこっちが学校に来られなくなっていたかもしれない。自分に被害をもたらしてくる人間から逃げることさえ、いじめになるとでもいうのか。それすら許されないなんてありえない。
わからない、という選択肢も用意されていた。けれど、すべていいえの項目に丸をつけた。自信のなさの表れみたいな不格好な丸が、自分の本当の心を見透かしているみたいだった。後ろから前に送られたアンケート用紙。うっすら透けている後ろの席の子の回答は、沙月と同じくいいえの位置に丸をつけられていた。
結局学校側は、いじめはなかったと結論づけたらしい。それでいずみの家族が納得したのかはわからずじまいだ。しばらくは教室には花瓶を置かれたいずみの机が置かれていたが、少ししたら花瓶がなくなり、冬休みが明けると机すらなくなっていた。一刻も早く忘れることが最善の正解だと気づいたみたいに。
震える声でそう言うだけで精いっぱいだった。詩音は小さく微笑みを浮かべて「わかった」と一緒にいた二人を連れて出ていった。
タイミングを見計らったみたいに、個室の扉が開いた。思わず振り返って、出てきた人と目が合う。そこにいたのはいずみだった。
「なんで泣いてるの?」
久しぶりに話す一言目とは思えないくらいに、いずみの話し方は前と変わらない。毎日同じ教室にいたはずなのに、しばらく会っていなかったみたいに懐かしい。
「泣いてない」
目をこすりながら答えると、いずみはそっかと小さく言った。
「さっちゃん」
「なに」
いずみはなにかを言おうとしていた。けれど、言葉の続きはなかなか話してくれない。
「やっぱりいいや」
結局、そう言い残してトイレを出て行ってしまった。
その晩、電話がかかってきた。画面に表示されていたのは、デフォルトのままのアイコンだった。
高校までスマホを持っていなかったといういずみは、ほかの多くの子たちみたいに家に帰ってからも連絡を取り続けるなんてことはなかった。家に置き忘れてくることもしょっちゅうだったし、高齢の人が使っているような必要最低限の機能さえあれば十分なくらいだ。沙月が設定してあげるまでは、スマホのロックすらかけられていなかった。
そんないずみが、わざわざ電話をしてきた。昼間になにかを言おうとしていた姿を思い出す。学校では、いずみが近づけないように、みんなが沙月のことを囲っていた。仲直りのタイミングを、故意に奪っているみたいだった。いずみが謝ってしまったら、仲間外れのゲームが終わってしまうかもしれないから。
通話ボタンを押すだけなのに、心拍数があがるのを感じた。慣れないいずみからの電話ということもある。けれどそれ以上に、今までに感じたことのない胸のざわつきを感じた。この電話が、いずみとの最後の会話になってしまうような、そんな気がする。
着信音は鳴りやまない。出なければ終わらないくらいに鳴り続ける。
「もしもし」
ようやく出ることのできた電話に、声がうわずってしまった。
「さっちゃん?」
「うん」
「あのさ、私やっぱり言っておこうと思って」
いきなり電話をかけてきたかと思えば、早々に本題に入ろうとする。普通、今大丈夫かどうかの確認くらいするものじゃないだろうか。でも、不思議と腹は立たない。むしろいずみらしくて笑いそうになる。
「なに?」
「みんなとちゃんと仲良くしてね」
予想もしていなかった言葉に、思わず聞き返す。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
いずみはいつだって、言葉のオブラートの存在なんて知らないみたいに、ストレートに思ったことを伝えてきた。だからいずみの言いたいことがわからないなんてことは初めてだった。
「言いたかったのはそれだけ」
「ちょっと待って」
「またね」
バイバイ、じゃなくて、またね。
聞きなれないいずみのさよならが、今でも耳に残っている。
まだ秋だというのに、とても寒い金曜日の夜だった。
そして週が明けた月曜日、あの集会でいずみのことを知らされた。
学校全体でアンケートがとられた。あなたはいじめにあっていますか。目撃したことはありますか。いじめを行ったことがありますか。
その質問が、自分たちを責め立てているみたいだった。
あれはいじめじゃない。それを自分に納得させる理由をいくつも考えた。いずみがみんなに非難されることをしたのが悪いんじゃないか。うそだったとはいえ、好きな人をみんなにばらされるなんて、下手したらこっちが学校に来られなくなっていたかもしれない。自分に被害をもたらしてくる人間から逃げることさえ、いじめになるとでもいうのか。それすら許されないなんてありえない。
わからない、という選択肢も用意されていた。けれど、すべていいえの項目に丸をつけた。自信のなさの表れみたいな不格好な丸が、自分の本当の心を見透かしているみたいだった。後ろから前に送られたアンケート用紙。うっすら透けている後ろの席の子の回答は、沙月と同じくいいえの位置に丸をつけられていた。
結局学校側は、いじめはなかったと結論づけたらしい。それでいずみの家族が納得したのかはわからずじまいだ。しばらくは教室には花瓶を置かれたいずみの机が置かれていたが、少ししたら花瓶がなくなり、冬休みが明けると机すらなくなっていた。一刻も早く忘れることが最善の正解だと気づいたみたいに。