勉強、部活、放課後の遊び。

 そこに並ぶくらいに学生生活にいろどりを加えるのは恋愛話だ。新しい環境にも慣れて、クラスメイトの性格や趣味もわかってくる。そうするのが自然の流れみたいに、誰が好きだとか、かっこいいだとかが話題にあがる。

 一人が恋心を寄せている相手の名前を明かすと、それを聞いてしまった人も明かさなければいけない。いつ決められたのかもわからない、秘密の物々交換みたいなルールが、沙月たちの女子グループにはできていた。

「絶対に内緒だよ。実は……」

 放課後の帰り道、周りにはいつものメンバーしかいないというのに、詩音はとても小さな声でささやいた。詩音の想い人は意外な人物だった。男性アイドルオタクの熱狂的なファンの詩音は、てっきり容姿の整った人が好みなのだと思っていた。けれどそうでもないらしい。相手は決してイケメンではない、授業中にも寒いギャグをぶちまけてくるお調子者の根岸だった。

 恋愛ドラマのキスシーンでも観たかのように、みんなが両手で頬を抑えながら興奮に満ちた叫び声をあげる。もちろん沙月もそれにならう。

「確かに面白いもんね、根岸」

「しっかり者の詩音とお似合いじゃない?」

 こんなとき、ほめ過ぎてはいけない。ひょっとしたらこの子も同じ人が好きなのではないかと思われるのはまずい。好きな人が被ってしまうというのは、それだけで十分に敵となりうる理由になってしまう。

 かといって、けなしてしまうのもまずい。絶妙なラインを求められる。暗黙の了解が女子には多すぎると思う。

「次は沙月の番だよ」

 まだ恥ずかしいのか、頬だけでなく耳まで赤くした詩音に腕を引かれた。

 正直なところ、クラスに好きな人はいなかった。塾が同じの、別の学校の人が好きだった。同い年のはずなのに、その人はクラスの男子みたいに子どもっぽくない。静かな雰囲気の人だった。でも、それをそのまま伝えることは、盛りあがりに欠ける。秘密の告白には、同じくらいの秘密をお返ししなければいけない。

 迷った結果、クラスの中で一番よく話す男子の名前を挙げておいた。彼とは小学校でも何度も同じクラスになっていたから仲も良かったし、怪しまれることもないだろう。うその好きな人を伝える罪悪感なんてなかった。これも今の雰囲気を壊さないためだ。

 さっきと全く同じ声がみんなからあがる。チワワを散歩させているおばあさんが、びくっと肩を震わせていた。

「いずみは?」

 一歩後ろを暇そうに歩いていたいずみの方を振り返る。答えはなんとなくわかっていたけど、もしいるのなら聞いてみたいと思った。

「好きな人、いる?」

「いない」

 即答だった。自分がいろいろ考えて答えを出したことがバカバカしい。思わず吹き出してしまったのを、咳払いでごまかした。
 みんなのしらけた表情が、ひどく冷たかったから。

 次の日、毎月恒例の席替えがあった。一番前の席から解放されることにほっとする。くじ引きで当たったのは真ん中あたりの席だった。

「げ、隣おまえかよ」

 昨日好きな人として名前をあげた彼だ。

「それはこっちのセリフなんですけど」

 わざとらしく顔をしかめる彼を、沙月はにらみつけた。こんなじゃれあいは日常茶飯事だった。

「これなら一番前の方がマシだったかも」

 沙月の言葉に、彼がなにかを言い返しそうとしたみたいに、口を開きかけたときだ。

「え、なんで?」

 いずみの声がした。沙月の後ろの席は、いずみだった。

「せっかく好きな人の隣になれたのに、嬉しくないの?」

 一瞬、時間が止まったみたいに教室が静まりかえった。けれどすぐにざわめきが広がる。

「え、どうしたの」

「いや北野さんが……」

「片桐さんがばらしたんだよ」

「え、本人目の前にいるのに?」

 いずみの声が届いていないはずの教室の端まで、水の波紋のように話が広がっていく。

 その中心にいるのにも関わらず、沙月は教室の中で一番冷静だったと思う。

 あぁ、言っちゃダメって言うの忘れてたな。

 うそとはいえ、気になる人が教室中にバレてしまった。その恥ずかしさよりも、いずみにくぎを刺しておかなかったことへの後悔の方がずっと大きい。いずみの性格はこのころにはすでに理解していたのに。

 あとで注意しておこう。これが自分だから良かったけれど、もしもほかの人だったら、泣きながら怒り狂うかもしれない。

 彼にも悪いことをしてしまったと思う。否定するのもしないのも、事態をややこしくしてしまいそうで、どうしたものかと机の傷を眺めながら考えていたときだ。

「バカじゃないの」

 沙月よりも先に声を出したのは詩音だった。