車内のアナウンスが、自宅の最寄り駅が近づくことを知らせてくる。イヤホンを耳に押し込み、スマホを開く。画面に設定されているのは、いずみと二人で取った写真だ。
これを見るたびに、自分の犯した罪が思い出される。それでも、変えることは許されない。この苦しさは、自分への罰だから。
音楽アプリのアイコンに触れ、スマホに入れた曲のリストを開く。ランダム再生のボタンを押すと、今の気分とかけ離れたポップな恋愛ソングが流れてきた。
いずみと初めて話したのは、入学式の日だった。知らない顔ばかりの教室、肌に全くなじまない制服、新しい教科書のにおい。そのどれもが、自分がここにいることが間違っているような思いにさせてくる。人が集まっていくにつれて、周囲から少しずつ話し声が聞こえてくる。声が大きくなればなるほど、焦りが募っていく。
自分から話しかけるのは怖い。でも出遅れちゃだめだ。わかっているのに、真っ白な制服のボタンをいじることしかできなかった。いずみが話しかけてきたのは、そんなときだった。
「ここって出席番号七番の席でいいよね?」
上から聞こえてきた声に顔をあげた。突然の声と、親し気な話し方に、自分にかけられた声ではないと思っていた。けれどいずみの目は確かに私をとらえていた。
「うん、合ってるよ」
「ありがと」
入学式という華々しい日にも関わらず、肩までの髪は手櫛で整えただけのようにあちこちがはねていた。ハイソックスは中学のときから使っているのか緩んでいて、左足だけくるぶしのあたりまで落ちている。けれどいずみはまったく気づいていない様子だった。ずっと前からの友達みたいに話し始める。
「合格発表以来来てなかったから、ちょっと迷っちゃった。一時間前に着くつもりで行きなさいってお母さんに言われて早く出たんだけどさ、結局ぴったりだよ」
自分の発した言葉にいずみは笑っていた。
初対面の人の失敗を笑ってもいいものなのだろうか。そう迷っている間に、いずみの話はもう部活の話に変わっていた。
いずみとの距離が近づくにつれて、彼女が周りの子たちと比べて少し変わっている子だと思うようになった。みんなが胸の奥に留めておくようなことでも、いずみは簡単に口に出してしまう。それぞれが持っている言葉のストッパーが、あの子だけには最初から備わっていないみたいだった。
ある日、前髪を切るのを失敗した子がいた。気にして手で額を隠し続ける彼女に、みんな慰めの言葉をかけた。そんなにおかしくないよ、すぐに伸びるって、ヘアピンで留めちゃえばわからないよって。そんなとき、いずみがやってきた。
「どうしたの?」
変わらず手で前髪を隠し続けている子にいずみが聞いた。事情を知り、彼女の髪形を見たいずみは大笑いした。本気でショックを受けている子に向けてする笑いではないということは、普通誰にでもわかる。周りの冷ややかな目にも、いずみは気づかない。それはいつものことだった。それが繰り返されると、調和が第一の女子の間では、異物とみなされるようになっていく。次第にいずみと話すことを避ける子が増えてきた。
それでも、いずみのことは嫌いにはなれなかった。うそがへたくそで、ただ素直なのだと思っていた。周りに合わせることがなによりも大切だと思っていた自分にとって、いずみの存在は知らない土地に吹く風のように、特別な心地よさをもたらしてくれるものだった。
クラスの中には、いずみのことを空気が読めないだとか、デリカシーがないという子もいた。よくあれと付き合えるよね、と嫌悪感を煮詰めたような声で言われたこともあった。
「確かにちょっと不思議な子ではあるよね」
いずみの悪口を聞かされたとき、いつもあいまいに笑ってごまかした。沙月自身、いずみの言葉に傷つけられたことはまだなかったから。
それに打算もあったのだと思う。いずみは自分から離れていかない。だから自分は決して一人になることはない。みんなに嫌われているいずみと仲良くできる自分は、まわりよりほんの少しだけおとなだと感じられた。
胸の内に隠していた少しの安心感と優越感が、取り返しのつかないことになるなんて思ってもみなかった。
これを見るたびに、自分の犯した罪が思い出される。それでも、変えることは許されない。この苦しさは、自分への罰だから。
音楽アプリのアイコンに触れ、スマホに入れた曲のリストを開く。ランダム再生のボタンを押すと、今の気分とかけ離れたポップな恋愛ソングが流れてきた。
いずみと初めて話したのは、入学式の日だった。知らない顔ばかりの教室、肌に全くなじまない制服、新しい教科書のにおい。そのどれもが、自分がここにいることが間違っているような思いにさせてくる。人が集まっていくにつれて、周囲から少しずつ話し声が聞こえてくる。声が大きくなればなるほど、焦りが募っていく。
自分から話しかけるのは怖い。でも出遅れちゃだめだ。わかっているのに、真っ白な制服のボタンをいじることしかできなかった。いずみが話しかけてきたのは、そんなときだった。
「ここって出席番号七番の席でいいよね?」
上から聞こえてきた声に顔をあげた。突然の声と、親し気な話し方に、自分にかけられた声ではないと思っていた。けれどいずみの目は確かに私をとらえていた。
「うん、合ってるよ」
「ありがと」
入学式という華々しい日にも関わらず、肩までの髪は手櫛で整えただけのようにあちこちがはねていた。ハイソックスは中学のときから使っているのか緩んでいて、左足だけくるぶしのあたりまで落ちている。けれどいずみはまったく気づいていない様子だった。ずっと前からの友達みたいに話し始める。
「合格発表以来来てなかったから、ちょっと迷っちゃった。一時間前に着くつもりで行きなさいってお母さんに言われて早く出たんだけどさ、結局ぴったりだよ」
自分の発した言葉にいずみは笑っていた。
初対面の人の失敗を笑ってもいいものなのだろうか。そう迷っている間に、いずみの話はもう部活の話に変わっていた。
いずみとの距離が近づくにつれて、彼女が周りの子たちと比べて少し変わっている子だと思うようになった。みんなが胸の奥に留めておくようなことでも、いずみは簡単に口に出してしまう。それぞれが持っている言葉のストッパーが、あの子だけには最初から備わっていないみたいだった。
ある日、前髪を切るのを失敗した子がいた。気にして手で額を隠し続ける彼女に、みんな慰めの言葉をかけた。そんなにおかしくないよ、すぐに伸びるって、ヘアピンで留めちゃえばわからないよって。そんなとき、いずみがやってきた。
「どうしたの?」
変わらず手で前髪を隠し続けている子にいずみが聞いた。事情を知り、彼女の髪形を見たいずみは大笑いした。本気でショックを受けている子に向けてする笑いではないということは、普通誰にでもわかる。周りの冷ややかな目にも、いずみは気づかない。それはいつものことだった。それが繰り返されると、調和が第一の女子の間では、異物とみなされるようになっていく。次第にいずみと話すことを避ける子が増えてきた。
それでも、いずみのことは嫌いにはなれなかった。うそがへたくそで、ただ素直なのだと思っていた。周りに合わせることがなによりも大切だと思っていた自分にとって、いずみの存在は知らない土地に吹く風のように、特別な心地よさをもたらしてくれるものだった。
クラスの中には、いずみのことを空気が読めないだとか、デリカシーがないという子もいた。よくあれと付き合えるよね、と嫌悪感を煮詰めたような声で言われたこともあった。
「確かにちょっと不思議な子ではあるよね」
いずみの悪口を聞かされたとき、いつもあいまいに笑ってごまかした。沙月自身、いずみの言葉に傷つけられたことはまだなかったから。
それに打算もあったのだと思う。いずみは自分から離れていかない。だから自分は決して一人になることはない。みんなに嫌われているいずみと仲良くできる自分は、まわりよりほんの少しだけおとなだと感じられた。
胸の内に隠していた少しの安心感と優越感が、取り返しのつかないことになるなんて思ってもみなかった。