つまらない授業ばかりの午前を終え、昼休みがきた。教室の掃除当番は、田中と国木と女子二人の五人での担当だった。おしゃべりに興じながらも、女子は一応手も動かしている。
けれど、男子三人の中でまともにほうきを動かしているのは田中だけだ。当然掃除はなかなか終わらない。
「田中、もっとさっさとやれよ」
教卓にもたれながら、形だけ手にしたほうきの柄で、田中の背中を軽く刺した。田中はなんだよ、と小さく言いながらほうきを払いのける。
「遅い上に雑なんだよなぁ」
国木も翔馬の言葉に同調する。
「高橋だったら今ごろ終わらせてただろうな」
ふと午前中に思い出した高橋の名前を出してみる。国木は「そんなやついたな」と笑う。
「田中ももっと頑張れよ。高橋二号なんだからさ」
国木がスマホを見ながら言った。田中の顔から無理やり作ったような笑顔がすっと消える。
あぁ、こいつも自分と同じなのだと思った。
自分よりも下の人間がいることで安心していた。その代表であった高橋の二号扱いに、ゴミみたいなプライドが傷つけられている。田中の感情が手に取るようにわかってしまう自分がいる。
「田中と一緒にしたら、高橋がかわいそうだろ」
自分とは違うと思いたい。それを叶える手段は、田中を虐げる以外に見つからない。思いつく中で一番胸をえぐりそうな言葉を投げたときだった。
視界の端で、田中の腕が素早く動いたのが見えた。次の瞬間、視界が大きく揺れる。耳元で物が倒れる大きな音がした。机が真横を向いて倒れているのが見える。そして女子の悲鳴が続く。なにが起こったのか、すぐに理解できなかった。殴られたと気づいたのは、頬に広がる熱を感じてからだった。
「いつまでも調子乗ってんじゃねぇよ」
見下ろしてくる田中が、父親の姿と重なった。体の奥底に刷り込まれた恐怖が込みあげてくる。体を起こすよりも早く、田中が腹の上に跨って来た。重みで息を吸い込めず、力がうまく入らない。降りかかってくる攻撃を、ただ腕で受け止めるだけで精いっぱいだった。
「おまえらなにやってんだ!」
誰かが呼んだのか、担任の山本の声が聞こえてきた。いつもならうざいとしか思っていなかったバカでかい声も、今は助けのように感じた。山本は田中の襟首をつかんで、翔馬から引きはがす。
「離せよ!」
田中がいくら暴れても、学校一体格がいい山本の前では無力だった。
「黙れ! 堤、今から職員室に来い!」
山本に半分引きずられるように、田中は廊下に連れていかれる。その姿を見ながら、立ちあがる。
「とうとう限界だったか」
振り返ると、国木が笑っていた。近くにいたはずなのに、止めようともしていなかったことにようやく気づく。
「大丈夫か」
その言葉には、一滴ほどの心配も含まれていない。面白いものを見たような、楽し気な言い方だった。
「別に」
それには気づかないふりをして、ズボンについた汚れを払う。なんてことない、こうなることは予想していました、そんな雰囲気を出す。なにを守るためにそんなことをしているのか、自分でもわからなかった。
職員室では、田中が今までの鬱憤をすべてぶちまけるように一人で話し続けていた。
それを山本は足を組みながら黙って聞いていた。ときどき周りの目を気にするみたいに、田中に声をもう少し落とすように言う。それならほかの教師もいる職員室を選ばずに、もっと人のいないところを選べば良かったのにと思う。
「堤、おまえはどうなんだ」
しつこくじわじわと血が出てくる口内の傷を舌でいじっていると、いきなり話を振られた。どうってなにが。今なんの話をしていたっけ。
返答に止まってしまったのを、ふてくされていると捉えられてしまったらしい。山本は大きくため息をついた。
「親御さんに連絡してもいいんだぞ」
けれど、男子三人の中でまともにほうきを動かしているのは田中だけだ。当然掃除はなかなか終わらない。
「田中、もっとさっさとやれよ」
教卓にもたれながら、形だけ手にしたほうきの柄で、田中の背中を軽く刺した。田中はなんだよ、と小さく言いながらほうきを払いのける。
「遅い上に雑なんだよなぁ」
国木も翔馬の言葉に同調する。
「高橋だったら今ごろ終わらせてただろうな」
ふと午前中に思い出した高橋の名前を出してみる。国木は「そんなやついたな」と笑う。
「田中ももっと頑張れよ。高橋二号なんだからさ」
国木がスマホを見ながら言った。田中の顔から無理やり作ったような笑顔がすっと消える。
あぁ、こいつも自分と同じなのだと思った。
自分よりも下の人間がいることで安心していた。その代表であった高橋の二号扱いに、ゴミみたいなプライドが傷つけられている。田中の感情が手に取るようにわかってしまう自分がいる。
「田中と一緒にしたら、高橋がかわいそうだろ」
自分とは違うと思いたい。それを叶える手段は、田中を虐げる以外に見つからない。思いつく中で一番胸をえぐりそうな言葉を投げたときだった。
視界の端で、田中の腕が素早く動いたのが見えた。次の瞬間、視界が大きく揺れる。耳元で物が倒れる大きな音がした。机が真横を向いて倒れているのが見える。そして女子の悲鳴が続く。なにが起こったのか、すぐに理解できなかった。殴られたと気づいたのは、頬に広がる熱を感じてからだった。
「いつまでも調子乗ってんじゃねぇよ」
見下ろしてくる田中が、父親の姿と重なった。体の奥底に刷り込まれた恐怖が込みあげてくる。体を起こすよりも早く、田中が腹の上に跨って来た。重みで息を吸い込めず、力がうまく入らない。降りかかってくる攻撃を、ただ腕で受け止めるだけで精いっぱいだった。
「おまえらなにやってんだ!」
誰かが呼んだのか、担任の山本の声が聞こえてきた。いつもならうざいとしか思っていなかったバカでかい声も、今は助けのように感じた。山本は田中の襟首をつかんで、翔馬から引きはがす。
「離せよ!」
田中がいくら暴れても、学校一体格がいい山本の前では無力だった。
「黙れ! 堤、今から職員室に来い!」
山本に半分引きずられるように、田中は廊下に連れていかれる。その姿を見ながら、立ちあがる。
「とうとう限界だったか」
振り返ると、国木が笑っていた。近くにいたはずなのに、止めようともしていなかったことにようやく気づく。
「大丈夫か」
その言葉には、一滴ほどの心配も含まれていない。面白いものを見たような、楽し気な言い方だった。
「別に」
それには気づかないふりをして、ズボンについた汚れを払う。なんてことない、こうなることは予想していました、そんな雰囲気を出す。なにを守るためにそんなことをしているのか、自分でもわからなかった。
職員室では、田中が今までの鬱憤をすべてぶちまけるように一人で話し続けていた。
それを山本は足を組みながら黙って聞いていた。ときどき周りの目を気にするみたいに、田中に声をもう少し落とすように言う。それならほかの教師もいる職員室を選ばずに、もっと人のいないところを選べば良かったのにと思う。
「堤、おまえはどうなんだ」
しつこくじわじわと血が出てくる口内の傷を舌でいじっていると、いきなり話を振られた。どうってなにが。今なんの話をしていたっけ。
返答に止まってしまったのを、ふてくされていると捉えられてしまったらしい。山本は大きくため息をついた。
「親御さんに連絡してもいいんだぞ」