次の日は、昨日の雨がうそのように晴れ渡っていた。それなのに、加奈子の気分は重かった。
昨日のあゆみたちの会話が、何度も何度もよみがえってくる。忘れたいことほど何度も思い出してしまうのはどうしてだろう。人間にこんな機能がなければ、みんなもっと楽に生きられるはずなのに。
一日中、授業に集中できなかった。自分が今までしていた行動のなにが悪かったのかをずっと考えていた。現代文の音読も、数学の計算の答えも、答えられるけど言わない。日直が消し忘れた黒板も消さないし、誰かが配らなければいけないプリントだって配らない。正しいことをするよりも大切なことがきっとあるはずだ。結局その答えは見つからなかった。
「今日体調悪いの?」
長かった授業が終わると、あゆみが話しかけてきた。
予想していなかった指摘にどきりとする。みんなに合わせたつもりだったのに、なにかが違うと思われている。ささいな変化に気づいてくれるのは嬉しいことのはずなのに、なぜだかすごく怖かった。
「ううん。どうして?」
引きつりそうになる口角を上げながら答える。
「授業中、一回も手挙げなかったから」
「あぁ、ちょっと寝不足でぼーっとしてた」
うそじゃない。眠れなかったのは本当だ。それに、手を挙げなかったらみんなの言う「いい子ちゃん」じゃなくなれる。あんな風に裏で冷たいことを言われなくて済むなら、内申点なんてどうでもいい。
「そっか。今日はちゃんと寝なよ」
あゆみのこれはおせっかいじゃないのだろうか。わからない。どこまでがおせっかいで、どこまでが気遣いなのか。誰か教えてほしい。そんなマニュアルが存在するなら、何十回でも何百回でも読み直す。それで、嫌われずに済むのなら、時間がどれだけかかってもいい。
「あ、それと今日部活休むから」
理由はお気に入りの雑誌の発売日だから、ということだった。
本当に? また片桐さんたちと私の悪口で盛り上がるのんじゃないの?
そんなふうに考えてしまう自分が、一番嫌な人間であるような気がした。
こんなときでも足は自然に美術室に向かってしまった。しみついた習慣がそうさせるのか、それともこの期に及んでまだ「いい子ちゃん」でいたい自分が存在しているのか、自分でもわからない。
先輩たちも今日はみんな休みだった。一人きりの静かな美術室で考える。あゆみたちの言う通り、自分は誰かに褒められたいがためにやっているのだろうか。昔からいろんな人に言われてきた「いい子」という言葉。自分の普段の行いを認めてもらっているようで嬉しかった。でも本当は「いい子」ではなく、「いい子ちゃん」だったのだろうか。自分で自分がわからない。こんなこと、今までなかった。
目の前にある真っ白なクロッキー帳が、空っぽの自分のようで怖くなる。なにを描けばいいのかもわからない。でも真っ白も怖くて、すっと一本だけ線を引いた。昨日削ったばかりの鉛筆が、ポキッと小さな音を立てて折れてしまった。横にまっすぐ引いた線の端だけが、頭をもたげたヘビみたいに上にあがっている。鉛筆にもクロッキー帳にも嫌われてしまったみたいだ。
「やだなぁ」
ふいに口をついた言葉は、やけに大きく、そして寂しく聞こえた。なんだか急に泣きたくなる。でも一人で泣くのはもっと悲しい。感情のぶつけ先は目の前にあった。出来損ないのヘビがいるページを力任せにちぎる。そして、丸めて壁に投げつけた。
勝手に生み出されて、勝手にぐしゃぐしゃにされるヘビがかわいそうで、もっと泣きたくなってくる。ため息の湿気が、ほんの少しでも涙を持っていってくれればいいのに。そう思ったとき、美術室の扉が開かれた。先輩かおじいちゃん先生かと思って振りかえる。けれど、そこにいたのは、予想と違う人だった。生物担当の山津先生だった。
いつもひょうひょうとしていて、授業中に私語をしている人たちのことも、軽く注意はするものの、ほほえましい目で見ている先生だ。山津先生は、部屋の中を見回した。
「中山先生はいらっしゃいませんか」
一瞬、誰のことかと思ってしまった。みんな裏では顧問の先生のことをおじいちゃんと言っているし、目の前にいるときはただの「先生」としか呼ばないから。
「今日は来ていないです」
加奈子は答えた。来ている日の方が少ないけれど、黙っていることにした。今日はと、今日も。たった一文字の違いなのに、ずいぶん違って聞こえる。日本語は不思議だ。
山津先生が、床に落ちた紙屑を拾い上げた。それは加奈子がついさっき投げたものだった。止める間もなく山津先生はそれを広げた。適当に書いたものなのに、山津先生は丁寧にしわを伸ばす。
「それ、多分ゴミだと思いますよ」
そんなふうに触れないでほしい。力任せに痛めつけた自分が、責められているみたいだ。そのままゴミ箱に捨ててくれたら、どれだけ楽だろうか。それなのに、山津先生は手を止めない。
「これはゴミではありません」
「え?」
「きっと誰かの思いが詰まったものです」
「なんでわかるんですか」
「さぁ、なんででしょうね」
紙のしわは、どれだけ山津先生が一生懸命伸ばしても完全には戻らなかった。ただの落書きなのに、取り返しのつかないことをしてしまったような気になってしまう。どれだけくしゃくしゃになってしまっても、元通りにする方法があればいいのにと思う。落書きの紙も、そして人の心も。
昨日のあゆみたちの会話が、何度も何度もよみがえってくる。忘れたいことほど何度も思い出してしまうのはどうしてだろう。人間にこんな機能がなければ、みんなもっと楽に生きられるはずなのに。
一日中、授業に集中できなかった。自分が今までしていた行動のなにが悪かったのかをずっと考えていた。現代文の音読も、数学の計算の答えも、答えられるけど言わない。日直が消し忘れた黒板も消さないし、誰かが配らなければいけないプリントだって配らない。正しいことをするよりも大切なことがきっとあるはずだ。結局その答えは見つからなかった。
「今日体調悪いの?」
長かった授業が終わると、あゆみが話しかけてきた。
予想していなかった指摘にどきりとする。みんなに合わせたつもりだったのに、なにかが違うと思われている。ささいな変化に気づいてくれるのは嬉しいことのはずなのに、なぜだかすごく怖かった。
「ううん。どうして?」
引きつりそうになる口角を上げながら答える。
「授業中、一回も手挙げなかったから」
「あぁ、ちょっと寝不足でぼーっとしてた」
うそじゃない。眠れなかったのは本当だ。それに、手を挙げなかったらみんなの言う「いい子ちゃん」じゃなくなれる。あんな風に裏で冷たいことを言われなくて済むなら、内申点なんてどうでもいい。
「そっか。今日はちゃんと寝なよ」
あゆみのこれはおせっかいじゃないのだろうか。わからない。どこまでがおせっかいで、どこまでが気遣いなのか。誰か教えてほしい。そんなマニュアルが存在するなら、何十回でも何百回でも読み直す。それで、嫌われずに済むのなら、時間がどれだけかかってもいい。
「あ、それと今日部活休むから」
理由はお気に入りの雑誌の発売日だから、ということだった。
本当に? また片桐さんたちと私の悪口で盛り上がるのんじゃないの?
そんなふうに考えてしまう自分が、一番嫌な人間であるような気がした。
こんなときでも足は自然に美術室に向かってしまった。しみついた習慣がそうさせるのか、それともこの期に及んでまだ「いい子ちゃん」でいたい自分が存在しているのか、自分でもわからない。
先輩たちも今日はみんな休みだった。一人きりの静かな美術室で考える。あゆみたちの言う通り、自分は誰かに褒められたいがためにやっているのだろうか。昔からいろんな人に言われてきた「いい子」という言葉。自分の普段の行いを認めてもらっているようで嬉しかった。でも本当は「いい子」ではなく、「いい子ちゃん」だったのだろうか。自分で自分がわからない。こんなこと、今までなかった。
目の前にある真っ白なクロッキー帳が、空っぽの自分のようで怖くなる。なにを描けばいいのかもわからない。でも真っ白も怖くて、すっと一本だけ線を引いた。昨日削ったばかりの鉛筆が、ポキッと小さな音を立てて折れてしまった。横にまっすぐ引いた線の端だけが、頭をもたげたヘビみたいに上にあがっている。鉛筆にもクロッキー帳にも嫌われてしまったみたいだ。
「やだなぁ」
ふいに口をついた言葉は、やけに大きく、そして寂しく聞こえた。なんだか急に泣きたくなる。でも一人で泣くのはもっと悲しい。感情のぶつけ先は目の前にあった。出来損ないのヘビがいるページを力任せにちぎる。そして、丸めて壁に投げつけた。
勝手に生み出されて、勝手にぐしゃぐしゃにされるヘビがかわいそうで、もっと泣きたくなってくる。ため息の湿気が、ほんの少しでも涙を持っていってくれればいいのに。そう思ったとき、美術室の扉が開かれた。先輩かおじいちゃん先生かと思って振りかえる。けれど、そこにいたのは、予想と違う人だった。生物担当の山津先生だった。
いつもひょうひょうとしていて、授業中に私語をしている人たちのことも、軽く注意はするものの、ほほえましい目で見ている先生だ。山津先生は、部屋の中を見回した。
「中山先生はいらっしゃいませんか」
一瞬、誰のことかと思ってしまった。みんな裏では顧問の先生のことをおじいちゃんと言っているし、目の前にいるときはただの「先生」としか呼ばないから。
「今日は来ていないです」
加奈子は答えた。来ている日の方が少ないけれど、黙っていることにした。今日はと、今日も。たった一文字の違いなのに、ずいぶん違って聞こえる。日本語は不思議だ。
山津先生が、床に落ちた紙屑を拾い上げた。それは加奈子がついさっき投げたものだった。止める間もなく山津先生はそれを広げた。適当に書いたものなのに、山津先生は丁寧にしわを伸ばす。
「それ、多分ゴミだと思いますよ」
そんなふうに触れないでほしい。力任せに痛めつけた自分が、責められているみたいだ。そのままゴミ箱に捨ててくれたら、どれだけ楽だろうか。それなのに、山津先生は手を止めない。
「これはゴミではありません」
「え?」
「きっと誰かの思いが詰まったものです」
「なんでわかるんですか」
「さぁ、なんででしょうね」
紙のしわは、どれだけ山津先生が一生懸命伸ばしても完全には戻らなかった。ただの落書きなのに、取り返しのつかないことをしてしまったような気になってしまう。どれだけくしゃくしゃになってしまっても、元通りにする方法があればいいのにと思う。落書きの紙も、そして人の心も。