連れてこられたのは、まだ準備中の居酒屋が並ぶ路地裏だった。たばこの吸い殻や、空き缶がごろごろ転がっている。明らかに整備が行き届いていない。せっかく翔太の存在を忘れかけていたのに、その光景を見て自然と蘇ってきてしまう。柄の悪さと自分の兄弟を結び付けてしまう自分がいた。

 茶髪男が室外機の上に景品を置いた。

「なにが好き?」

 自分に聞かれていると思わなくて、答えが遅れてしまった。

「ほら、好きなの選びな」

 腰パン男がバケツを良太の方に向けてきた。

「あ、ありがとうございます」

 なにかも見ずに、最初に手が触れたお菓子を手にした。昔よく食べていたチョコレートがコーティングされたスナック菓子だった。

「あぁ、それうまいよね。俺も好き」

 腰パン男が、良太と同じものを選んだ。
 スナック菓子と、近くの店の換気扇から漂ってくる料理と、段ボールの湿ったような匂いが空気に混ざっているのを感じる。普段なら、絶対に不快に感じているはずなのに、今日はなぜか居心地がいい。汚れた空気に囲まれていると落ち着くのかもしれない。きれいな空気は、自分にはまぶしすぎるから。翔太もこんな空気をもとめていたのだろうか。

「何年?」

 口の端についたチョコレートの汚れをなめとりながら、腰パン男が聞いてきた。

「二年です」

「なんだ、俺らとタメじゃん。なら敬語なしな」

 初対面とは思えないくらいのスピードで距離を縮めてくる。それがなぜかありがたく感じた。いつ以来だろう。翔太の弟、ではなくただの一人の男子高校生として見てもらえたのは。そんな当たり前のことが、泣きそうなくらいに嬉しい。罰ゲーム用に作られたとしか思えない納豆味のスナックの匂いに笑って、唐辛子味のガムを押し付けあう。ずっと、こういう普通のことを友達としたかった。

「学校は?」

 頭の隅に追いやっていた存在が、金髪の言葉でよみがえってきた。

「今日は、なんとなく行く気にならなくて」

 普通なら許されない理由だ。けれど三人は特に気にした様子はない。

「まぁたまにはサボりたいときもあるよな」

 金髪が、新しい袋に手を伸ばしながら言った。

「おまえは毎日サボってるだろ」

「先週は行きましたぁ。おまえの方が休みは多い」

 金髪と茶髪が、良太の学校では到底行われないような会話を繰り広げている。一日のサボりであれほど悩んでいた自分がおかしく思えてくる。

「どっちもどっちだろ」

 腰パン男が小さく突っ込みを入れながらポケットに手を伸ばした。彼が取り出したのは、スマホよりもかなりの厚さがあるものだった。

 たばこだ。

 慣れた仕草で口を使って一本取りだす。予想もしていなかった行動に目を離せなくなってしまう。彼が吐き出した白い煙は、まだ翔太が家に帰ってきたころ、すれ違いざまに感じたものと同じ匂いがした。

「いる?」

 良太の視線を、たばこを欲していると勘違いしたのか、箱をこっちに向けてきた。

「いや、俺吸ったことないし」

「マジ? 良太優等生じゃん」

 茶髪の言葉が、胸にチクリとささった。今までずっと真面目でいることで翔太とは違う人間だと思い込んでいた。周りの人に知ってもらおうとしていた。けれど初めてその言葉を煩わしいと思ってしまった。

「そんなことない」

「じゃ、今日でデビューだな」

 ほら、と箱から抜いた一本を渡された。たばこの吸い方なんて、意識したこともない。でも、ここで断れない。もう少し、このまま遊んでいたい。翔太も自分と同じくらいの歳にはたばこを吸っていた。別にたいしたことじゃない。

 良太は口にたばこをくわえた。唇に伝わる紙の感触が不快だった。金髪が火のついたライターを顔に近づけてくる。これから吸い込むたばこの煙が、自分のなにか大切なものを奪っていくような気がした。ライターの化学的な火の匂いが鼻に触れたときだった。

「ちょっとそこの子たち」

 突然浴びせられた声に、思わず振り返る。そこには巡回中らしい警察官が自転車にまたがっていた。その姿を認識したと同時に、三人は走り出してしまった。ここから逃げた方がいい。頭ではわかっているのに、とっさに体が動かなかった。そうしている間にも、自転車から降りた警察官に腕をつかまれてしまった。

 ほんの少しの楽しい時間は、夢のように一瞬で消え去ってしまった。彼らが逃げる拍子に散らばってしまったお菓子たちだけが、あれは現実だったのだと教えてくれていた。