季節が過ぎるのは早いもので、
秋の風に揺らされていたカーテンは教室を温めようと熱心なエアコンの風によってたなびいていた。
冬の朝ほど冷たい空気を感じることはないが、
それでも透き通った世界に浸って勉強することはなんだか気分がいい。
そんな能天気なことを考えている、受験生の冬。
今日も朝学習にやってきた星宮君は険しい顔で赤本を睨んでいる。
眉間に皺を寄せて、黙りこくっている星宮君をみていると、
おじいさんになったときのシワの数が大変だろうな、なんて思う。
「どうしたの?」
我慢できなくなった私は、星宮君に声をかける。
「いや、その…」
わからないものは、言葉にできない。
だからこそ、わからない。
国語の先生がいつか言っていた言葉を思い出していると、
星宮君が私の方を見る。
「もう、受験だよなって」
「え、今更?」
受験生、に該当する三年生になってからずっと受験を意識し続けてきた私に対して、
やっと実感が湧いてきたような顔をしている星宮君。
「私たち、一応高校三年生から受験生だよ。」
「ま、そう言えばそうなるけど…」
(じゃあ、どう言えば違うのよ。)
朝から疲れているのか、私にはピンとこない発言ばかり繰り返す
不思議な彼の言葉を待つ。
「だって、受験生って言うけど、言うたら俺らずっと受験生だよ?」
「…ごめん、言っている意味がわからない。」
ひょっとしてストレスか何かでおかしくなってしまったのかもしれないと本気で心配する私をよそに、星宮君は続ける。
「いや、高校三年生で、大学受験を控える受験生ってことはわかるけど。
でも、受験のための勉強をするっていう点では俺らはずっと受験勉強してる『受験生』だよ。」
なんとなく、星宮君の言いたいことがつかめてきた気がした私は口をひらく。
「…つまり、受験のために勉強してるから、みんな受験生ってこと?」
「そうそう。」
「なるほどね…」
星宮君の言っていることを、もう一度頭の中で転がしてみる。
勉強すること、私は当たり前のように感じていたけど、それが苦痛に思う人もいることは知っている。
だからこそ、勉強は強制されるもので、全然楽しくなんかない。
「勉強が楽しい」
なんていうのは、学校では禁句であって、口から滑り落ちてしまえば、「ガリ勉」などとレッテルを貼られてしまう。
それでも、私は自分が勉強している理由は「強制されるもの」だからではない気がする。
受験のためでもないのなら、なんで勉強しているのだろう。
いつかも覚えていないある日、
「なんのために生きているか」について深く考えたことがあった。
それはきっと、傷つき、傷つけ、生きているだけでこんな傷跡ばかりつけるぐらいなら、
いっそのこと消えてしまった方が楽なのではないかって思ったから。
楽、という単語が出てきてふと思う。
楽、と楽しいって同じ漢字使うけど、全然意味が違うよなって。
私は、人生楽するより、楽しんで生きたいって思う。
楽しい、の基準が何かはまだわからないけど、
「強制されるもの」を淡々とこなすことは楽しくないって思う。
だから、星宮君にちょっと違う視点をあげたくて、
口をひらく。
「私は、多分夢を叶えるために勉強してるから、
『受験生』ではない気がする。」
「え?」
今度は、星宮君が首を傾げる番がきたらしい。
うまく言語化できないからこそ、悩むものだと思うから、
私は続ける。
「勉強も、楽しいって思えば楽しいし。
あとは、大学に入るって、入学するだけじゃなくて、そこで勉強して
そのあと何になりたいか、じゃないのかな?」
「なるほどね…」
納得したのかしてないのか、星宮君は机に肘を立てる。
しばらく宙を彷徨っていたその視線が再び私に向けられたとき、
星宮君は言った。
「それじゃあさ、下原さんは将来何になるの?」
星宮君は話題を変えることが特技なんだな、なんて思いながら
「そうだな…」
と言葉を選ぶ。
ここで、小さい夢を言っても、大きい夢を言っても、
なんでも適当に返してくれる星宮君じゃないから慎重になる。
「いや、勉強もできて、英語もできて、なんでもできちゃう下原さんなら、
何にでもなれるだろうなぁ、なんて。」
「…そんなことないよ。」
考え込んでいる私をよそに、褒めているのか、何なのかわからない星宮君の言葉が降ってきて否定する。
笑った星宮君は、
「まぁ、逆に何でもできるから選ぶの大変か。」
と一人で納得する。
「選ぶっていうか、夢の候補はいくつかあるよ。」
私が今、星宮君に出してあげるべき「下原さんの夢」は一つに絞れなくて、
諦める。
「え、やっぱりいくつもあるの?」
「いくつもっていうか…」
(まだ正解が見つけられてないだけ。)
「え、知りたい知りたい。」
さっきまで考え込んでいた姿勢は崩して、
体ごと私に向きなおった星宮君に、私ははじめる。
「子供が好きだから、幼稚園の先生。
教えることが好きだから、普通に学校の先生。
アイデアだし好きだから、キャリアウーマン。
で、パソコンもっと勉強したいからウェブデザイナー。
あとは…」
「え、ちょっと待って。まだあるの?」
指を折って数えていた星宮君は、私の夢を中断する。
「え、まだ4つしか言ってないよ?」
「…多くない?」
人生100年時代、将来やりたいこと、夢が四つあるからって「多い」という結論に至るのは、いったいどんな計算式を使ったのか。
驚く星宮君に私は言う。
「でも、やりたいこと、はいっぱいあったほうが、人生楽しいよ。」
「いっぱいありすぎても困るけど。」
苦笑いする星宮君は、私の言葉に納得がいっていないらしい。
ガラガラガラッ。
まだ予鈴がなっていないのに、教室の扉が開いて、
私と星宮君は開いたドアの先に視線を向ける。
「…ごめん、なさい。邪魔した?」
そこには、いつかの文化祭で朝のシフトを担当してくれていた子が
私と星宮君に目をやり、申し訳そうな顔をして立っていた。
「いや、そんなことないよ。」
私の一声を合図に、
一緒に登校してきたのか、他の子達も続いて入ってきた。
(今日の朝、何かあったけ…?)
いつも、誰も早めに来ない教室の人口密度が急に高くなって
私は予定黒板を見つめる。
なにも見つからずに、気のせいか、気の迷いかなんて結論づける。
そんな私に聞き覚えのある声が響く。
「ねぇ、星宮君と二人で何の話をしていたの?」
随分と図々しい質問だな、なんて思いながら顔を上げると、
私に(星宮君の)連絡先を尋ねてきたいつかのクラスマッチの子が私の机と星宮君の間にいた。
(何の話をしていたか…)
少し悩んだ、というかどこまで話せばいいのかわからなかった私は口をひらく。
「将来の夢は多い方がいいって話…?」
質問に対する答えなのに、語尾が高くなってしまう自分に、
サマリーが適当すぎるなと一人でツッコミを入れる。
「え、そうなの?」
星宮君と話していた内容に対する応答がくるとは思わなくて、
私は戸惑う。
さすがの私も、自分から言い始めて適当に言いくるめて「そうそう」なんて返すのは失礼な気がしたから、
ちょっとだけ説明を付け加える。
「だって、人生100年時代、やりたいことが一つとか、絶対無理だって思って。
それに、夢はいっぱいあった方が、夢が叶う可能性はあがるしね。」
一息に言い放つ私に、
「あ、なるほどね。」
と星宮君が相槌を打つ。
やっと私の言葉が伝わったのかと、ホッとしているところで、
「確かにー」
とさっき教室に入ってきた他の子達からもコールがかかる。
誰かにとっては、すぐに納得のいく話を私はしていたんだと思っていると、
質問してきた子は星宮君に声をかける。
「ね、なんかひなたちゃんが言うこと、全部本当にきこえるよね!」
(全部、というかこの子と言葉を交わしたの、これが二回目なんだけどね。)
「そうだね。」
顔を上げた星宮君は似合わない顔をして笑う。
「それー、なんか説得力あるよね。」
教室の後ろの方からもそんな声が聞こえてきて、
私は心の中で呟く。
(私の発言が全部本当のことのように聞こえるのなら…)
「私、詐欺師になろっかな。」
「っ!いや、それだけはやめて!」
私の呟きを拾った星宮君が戸惑う。
「冗談冗談。」とフォローすると、星宮君は「冗談で済むといいけど…」と全然信用してない視線を向けてくる。
「いや、本当だよ。人を騙すぐらいだったら、自分を騙すよ。」
キッパリと言い切る私に、
「いや、下原さんは自分のことを騙さなくても生きていけるよ。」
なんて大人気な言葉をかけてきて、
やっぱり今日の星宮君は不思議なんだなと思う。
いつもの朝には似合わない、黄色い女子たちの話し声をBGMに、
その日の朝学習は幕を閉じた。
秋の風に揺らされていたカーテンは教室を温めようと熱心なエアコンの風によってたなびいていた。
冬の朝ほど冷たい空気を感じることはないが、
それでも透き通った世界に浸って勉強することはなんだか気分がいい。
そんな能天気なことを考えている、受験生の冬。
今日も朝学習にやってきた星宮君は険しい顔で赤本を睨んでいる。
眉間に皺を寄せて、黙りこくっている星宮君をみていると、
おじいさんになったときのシワの数が大変だろうな、なんて思う。
「どうしたの?」
我慢できなくなった私は、星宮君に声をかける。
「いや、その…」
わからないものは、言葉にできない。
だからこそ、わからない。
国語の先生がいつか言っていた言葉を思い出していると、
星宮君が私の方を見る。
「もう、受験だよなって」
「え、今更?」
受験生、に該当する三年生になってからずっと受験を意識し続けてきた私に対して、
やっと実感が湧いてきたような顔をしている星宮君。
「私たち、一応高校三年生から受験生だよ。」
「ま、そう言えばそうなるけど…」
(じゃあ、どう言えば違うのよ。)
朝から疲れているのか、私にはピンとこない発言ばかり繰り返す
不思議な彼の言葉を待つ。
「だって、受験生って言うけど、言うたら俺らずっと受験生だよ?」
「…ごめん、言っている意味がわからない。」
ひょっとしてストレスか何かでおかしくなってしまったのかもしれないと本気で心配する私をよそに、星宮君は続ける。
「いや、高校三年生で、大学受験を控える受験生ってことはわかるけど。
でも、受験のための勉強をするっていう点では俺らはずっと受験勉強してる『受験生』だよ。」
なんとなく、星宮君の言いたいことがつかめてきた気がした私は口をひらく。
「…つまり、受験のために勉強してるから、みんな受験生ってこと?」
「そうそう。」
「なるほどね…」
星宮君の言っていることを、もう一度頭の中で転がしてみる。
勉強すること、私は当たり前のように感じていたけど、それが苦痛に思う人もいることは知っている。
だからこそ、勉強は強制されるもので、全然楽しくなんかない。
「勉強が楽しい」
なんていうのは、学校では禁句であって、口から滑り落ちてしまえば、「ガリ勉」などとレッテルを貼られてしまう。
それでも、私は自分が勉強している理由は「強制されるもの」だからではない気がする。
受験のためでもないのなら、なんで勉強しているのだろう。
いつかも覚えていないある日、
「なんのために生きているか」について深く考えたことがあった。
それはきっと、傷つき、傷つけ、生きているだけでこんな傷跡ばかりつけるぐらいなら、
いっそのこと消えてしまった方が楽なのではないかって思ったから。
楽、という単語が出てきてふと思う。
楽、と楽しいって同じ漢字使うけど、全然意味が違うよなって。
私は、人生楽するより、楽しんで生きたいって思う。
楽しい、の基準が何かはまだわからないけど、
「強制されるもの」を淡々とこなすことは楽しくないって思う。
だから、星宮君にちょっと違う視点をあげたくて、
口をひらく。
「私は、多分夢を叶えるために勉強してるから、
『受験生』ではない気がする。」
「え?」
今度は、星宮君が首を傾げる番がきたらしい。
うまく言語化できないからこそ、悩むものだと思うから、
私は続ける。
「勉強も、楽しいって思えば楽しいし。
あとは、大学に入るって、入学するだけじゃなくて、そこで勉強して
そのあと何になりたいか、じゃないのかな?」
「なるほどね…」
納得したのかしてないのか、星宮君は机に肘を立てる。
しばらく宙を彷徨っていたその視線が再び私に向けられたとき、
星宮君は言った。
「それじゃあさ、下原さんは将来何になるの?」
星宮君は話題を変えることが特技なんだな、なんて思いながら
「そうだな…」
と言葉を選ぶ。
ここで、小さい夢を言っても、大きい夢を言っても、
なんでも適当に返してくれる星宮君じゃないから慎重になる。
「いや、勉強もできて、英語もできて、なんでもできちゃう下原さんなら、
何にでもなれるだろうなぁ、なんて。」
「…そんなことないよ。」
考え込んでいる私をよそに、褒めているのか、何なのかわからない星宮君の言葉が降ってきて否定する。
笑った星宮君は、
「まぁ、逆に何でもできるから選ぶの大変か。」
と一人で納得する。
「選ぶっていうか、夢の候補はいくつかあるよ。」
私が今、星宮君に出してあげるべき「下原さんの夢」は一つに絞れなくて、
諦める。
「え、やっぱりいくつもあるの?」
「いくつもっていうか…」
(まだ正解が見つけられてないだけ。)
「え、知りたい知りたい。」
さっきまで考え込んでいた姿勢は崩して、
体ごと私に向きなおった星宮君に、私ははじめる。
「子供が好きだから、幼稚園の先生。
教えることが好きだから、普通に学校の先生。
アイデアだし好きだから、キャリアウーマン。
で、パソコンもっと勉強したいからウェブデザイナー。
あとは…」
「え、ちょっと待って。まだあるの?」
指を折って数えていた星宮君は、私の夢を中断する。
「え、まだ4つしか言ってないよ?」
「…多くない?」
人生100年時代、将来やりたいこと、夢が四つあるからって「多い」という結論に至るのは、いったいどんな計算式を使ったのか。
驚く星宮君に私は言う。
「でも、やりたいこと、はいっぱいあったほうが、人生楽しいよ。」
「いっぱいありすぎても困るけど。」
苦笑いする星宮君は、私の言葉に納得がいっていないらしい。
ガラガラガラッ。
まだ予鈴がなっていないのに、教室の扉が開いて、
私と星宮君は開いたドアの先に視線を向ける。
「…ごめん、なさい。邪魔した?」
そこには、いつかの文化祭で朝のシフトを担当してくれていた子が
私と星宮君に目をやり、申し訳そうな顔をして立っていた。
「いや、そんなことないよ。」
私の一声を合図に、
一緒に登校してきたのか、他の子達も続いて入ってきた。
(今日の朝、何かあったけ…?)
いつも、誰も早めに来ない教室の人口密度が急に高くなって
私は予定黒板を見つめる。
なにも見つからずに、気のせいか、気の迷いかなんて結論づける。
そんな私に聞き覚えのある声が響く。
「ねぇ、星宮君と二人で何の話をしていたの?」
随分と図々しい質問だな、なんて思いながら顔を上げると、
私に(星宮君の)連絡先を尋ねてきたいつかのクラスマッチの子が私の机と星宮君の間にいた。
(何の話をしていたか…)
少し悩んだ、というかどこまで話せばいいのかわからなかった私は口をひらく。
「将来の夢は多い方がいいって話…?」
質問に対する答えなのに、語尾が高くなってしまう自分に、
サマリーが適当すぎるなと一人でツッコミを入れる。
「え、そうなの?」
星宮君と話していた内容に対する応答がくるとは思わなくて、
私は戸惑う。
さすがの私も、自分から言い始めて適当に言いくるめて「そうそう」なんて返すのは失礼な気がしたから、
ちょっとだけ説明を付け加える。
「だって、人生100年時代、やりたいことが一つとか、絶対無理だって思って。
それに、夢はいっぱいあった方が、夢が叶う可能性はあがるしね。」
一息に言い放つ私に、
「あ、なるほどね。」
と星宮君が相槌を打つ。
やっと私の言葉が伝わったのかと、ホッとしているところで、
「確かにー」
とさっき教室に入ってきた他の子達からもコールがかかる。
誰かにとっては、すぐに納得のいく話を私はしていたんだと思っていると、
質問してきた子は星宮君に声をかける。
「ね、なんかひなたちゃんが言うこと、全部本当にきこえるよね!」
(全部、というかこの子と言葉を交わしたの、これが二回目なんだけどね。)
「そうだね。」
顔を上げた星宮君は似合わない顔をして笑う。
「それー、なんか説得力あるよね。」
教室の後ろの方からもそんな声が聞こえてきて、
私は心の中で呟く。
(私の発言が全部本当のことのように聞こえるのなら…)
「私、詐欺師になろっかな。」
「っ!いや、それだけはやめて!」
私の呟きを拾った星宮君が戸惑う。
「冗談冗談。」とフォローすると、星宮君は「冗談で済むといいけど…」と全然信用してない視線を向けてくる。
「いや、本当だよ。人を騙すぐらいだったら、自分を騙すよ。」
キッパリと言い切る私に、
「いや、下原さんは自分のことを騙さなくても生きていけるよ。」
なんて大人気な言葉をかけてきて、
やっぱり今日の星宮君は不思議なんだなと思う。
いつもの朝には似合わない、黄色い女子たちの話し声をBGMに、
その日の朝学習は幕を閉じた。