「ありがとう」を伝えたくて

(フライヤーが使えない?それ、私じゃなくて業者に電話してよ。)

お化け屋敷の列を外れ、私は廊下をバタバタと歩く(ルール上、走ってはいけないらしい)。

「ごめん、星宮君。私、お化け屋敷いけなくなっちゃった。」

「いや、いいよ。クラスの危機を救う方が大事。」

なぜか私の後をついてくる星宮君に、振り返ることもなく言う。

「でも、星宮君は午後のシフトないし、お化け屋敷いってていいよ。
なにも、私について来なくても。」

「んー、お化け屋敷、一人で行ってもな〜。」

乗り気じゃない声がうしろから聞こえ、
そう、と納得していないけど今はそれどころじゃないと足を速める。

「ところでさ」

「どうしたの?」

「下原さん、どこ行ってるの…?」

「家庭科室。」

フライヤーが使えない、ときいてから私にできることは何か考えてみた。
使えなくなった、故障したフライヤーを修理することはもってのほかだし、
他のクラスから借りることも、できない。

(なんで今年に限ってフライヤー使うのが三年八組だけなの…?)

どうしようもない、と諦めることもできたけど、
あと20袋もある冷凍ポテトをクラス全員で分けようなんて馬鹿馬鹿しいことできない。

そこで思いついたことは、一年生にしか授業がない「家庭」の教室を借りること。
調理室には、調理器具があり、ガスコンロがあり、冷蔵庫もある。
借りることができれば、フライヤーよりも断然生産性が高い。

(問題は、借りられるかどうか、だけど…)

「家庭科室、廊下の突き当たりじゃなくて、階段上がって二階だよ。」

普段使わない別校舎の廊下をずんずん進んでいく私に、
星宮君が後から声をかける。

こんな時に方向音痴が作動して、自分にうんざりする。

「ありがとう。」

星宮君に従って、階段まで戻った私は、
星宮君がついてきてくれていてよかったと思った。


家庭科室では、家庭部の売店があった。
「サクほろバタークッキー」というなんとも美味しそうなクッキーを四百円で売っていて、
バター買ってクッキー作れる、なんて皮肉を思ったのは秘密。

のれんをくぐって、教室を覗くと、
家庭科の和田先生が厨房に立って指示をしている。

「すみません、三年八組の下原です。
和田先生に頼み事があってお伺いしました。」

職員室に入るときと同じセリフをドア付近に立って言う私を訝しげに見つける家庭部員と、
和田先生の注目を浴びる。

「あぁ、下原さん。いらっしゃい。」

和田先生には、「唯一家庭の授業を真面目にきく生徒」としていい印象を与えていた。
だから、「唯一家庭の授業を真面目にきく生徒」の頼みごとは、「授業中に寝ている生徒」よりもきいてくれるだろうという望みを持って、口をひらく。

「あの、非常に言い難いことですが…三年八組のフライヤーが故障してしまい、
ポテトが揚がらないようになってしまいました。あと20袋分、ポテトが残ってしまっているので、かなり困っています。ご迷惑だとは思いますが、ガスコンロと揚げ鍋をお借りしてもよろしいでしょうか?」

長文になってしまった私の頼み事を、和田先生はにこやかにきいている。
返事がないことに不安を感じて、というか沈黙に耐えきれなく、

「お願いします。」

と頭を下げる。

すると、隣に立っていた星宮君まで頭を下げ、

「お願いします。」

と口にする。

(あーあ、星宮君まで巻き込んじゃった…)

そもそも、家庭科室を探す段階で星宮君を巻き込んでしまっていたのだが、
今更申し訳ないなと胸が痛くなる。

そんな私たちを見て、気の毒だと哀れんだのか、和田先生が言う。

「本当は、家庭科室、使用禁止なのですけどね。
一回貸してしまうと、ほら、キリがないじゃない。」

ニコニコと笑顔を絶やさずに、和田先生はごもっともなことを言う。

「すみません…」

ルールは、守るためにある。
破るためではない。

そんなことすらわかっていない自分が恥ずかしくて、
謝らずにはいられない。

「ただし、今回は特別ですよ。」

「え?」

和田先生の言葉に、私は顔を上げる。

「普段から真面目に頑張っていらっしゃる下原さんが困っていたら、
誰だって手を差し伸べてあげたくなるものです。
現に、私だって頭を下げる下原さんを手ぶらで帰したくはありません。」

いつもの笑顔で和田先生は続ける。

「文化祭、いい思い出にしましょうね。」

一瞬、絶望が見えた私に光が差し込んだ。

「「ありがとうございますっ」」

再び頭を下げた私たち二人を見て、和田先生はさらに口角を上げる。

「では、教室で待ってくれている人たちに伝えてください。
あぁ、それと…揚げ油は貸せませんが、大丈夫でしょうか?」

「大丈夫です!!」

フライヤーは使えないのに、フライするための道具なら揃っている教室に戻ろうと、
のれんをくぐり直す。

「「本当に、ありがとうございますっ!!」」

再び感謝の言葉を伝えて頭を下げる私と、星宮君の言葉がハモる。

家庭科室を飛び出し、教室に向かってバタバタと歩く私は、
気づけば走っていた。


「はい、これ、家庭科室から!」

「あ、次、このポテトお願いっ!」

「家庭科室に冷凍ポテト全部運び終わった??」

家庭科室使用許可をもらって以来、
私は教室と家庭科室を往復するポテトの「運び屋」になっていた。

家庭科室で調理されるポテトだが、お客さんに手渡しするのは教室だから、
この移動が必要。

元々、ポテトを揚げる「調理班」とポテトを渡したり、受付をしたりする係しか設けていなかったから、
「運び屋」のポストに、私が入ることになった。

そして、なぜか「他にすることないから」と言う星宮君と、
生徒会の見回りを終えて教室に戻ってきた五十嵐君も「運び屋」に加わってくれた。

私よりもずっと体格の大きい二人のおかげで、
ポテトが大量にのったトレーもスイスイ教室を往復している。

「うわー、このポテト、そのまま食いてぇ」

「ダメよ!商品だからっ!!」

「はいはい…」

繰り返される五十嵐君と林さんのやりとりを暗記した頃、
無事にポテトは全部揚がりあがった。