最寄り駅から自転車で十分、
急行は止まらなくて電車は二十五分に一本、
広々としたグラウンドのすぐそばを今日も急行電車が嘲笑うかのように通り過ぎていく。
急行が止まる駅の近くには「進学校」があり、
「自称進学校」と評される私の高校との格差を感じる。
生徒のほとんどは、専門学校か短期大学に進学する。
残りの生徒は、就職する者と、四年制大学に進学する。
その進学実績に私が関わる年がやってきたと
高校三年生の私、下原(しもはら)ひなたは自転車で坂道を登りながら思う。
「この坂道を登るのも…」
そう言いかけて、あと百回あまりもあることにげんなりする。
少し遅刻している桜の木を尻目に、
校門に立つ野球部の顧問に挨拶をする。
いつもと変わらない、
だけど何かが変わる。
そんな一日がはじまろうとしていた。
クラス発表ほど、ひらがなの名前でよかったと思うことはない。
「ひらがなの名前って、ふわふわして、柔らかくて可愛いよね!」
なんて褒められることもあるけど、
「ねぇ、どうして私の名前ってひらがななの?」と親に質問したら、
「漢字が思いつかなかったのよね。」
なんてケロッと笑った母のことは誰も知らない。
そんな私をよそに、
どの国にいるのか忘れるほど、
周りの生徒は凝った漢字を使っている。
小学校の時、愛に華と書いて「まなか」とよむ友達がいたが、
私の頭はそれでギブアップだ。
七に音と書いて「ぴあの」とよむ生徒がいると去年ウワサになり、
私は勘弁してよ、とため息を漏らさずにはいられなかった。
今年も、私のクラスにはひらがなが一人。
漢字の羅列を眺めても、
知り合いなんて一人も見つからず、
クラス発表の紙がはりだされている昇降口をくぐった。
私の学校は、昇降口が吹き抜けになっていて
二階からみえる構造になっている。
そんな昇降口に一目惚れして、この高校に決めたことは我ながらどうかしていると思ってしまう。
(二階で好きな人を待っていて、昇降口に入ってくるなり
おはよーって元気に挨拶するの、映画か何かのシーンでありそうだな。)
なんて、私には無縁なことを考えて靴を履きかえる。
もう、三年目だというのに校舎で迷子になりかける私は
ひとり、教室を探す。
春の風が優しく吹く、なんて言葉も似合わない、
湿気を全て校舎内にとどめてしまうコンクリートの壁に囲まれた廊下をひたすら進む。
一階の廊下のつきあたり。
三年八組、と札がかかった教室を見つけ、
中に入る。
朝しか強くない私だから、学校に着いたのは七時。
自称進学校だから、「朝学習」は推奨しているらしく、
学校は朝七時に開くことになっている。
教卓のすぐ前の席に「下原ひなた」と名札が置いてあるのを見つけ、
荷物を置いて座ってみる。
使い古された小さな机は、床の歪みのおかげで不安定に佇む。
「この高校はまだ築三十年で、この辺りでも新しい方の高校なんですよ。」
と、いつかの入学式で校長先生が話していたことを思い出す。
築三十年が新しいって…私が住むところは田舎なんだなと思い知らされる。
まだ誰も来ていないガランとした教室で一人、
朝の風に吹かれながら考え事をすることが私の趣味だ。
「ひなたは考えすぎて、結局何もしないじゃない。考えることに疲れ果ててしまうよ。」
いつかの母の言葉が胸に浮かぶが、
四月、一人きりの教室ですることといえば、考えること以外、何もない。
今日のテーマは、将来について。
高校三年生、というよりも「受験生」という肩書きのせいで、
私たちは将来について考えることを要求される気がする。
人生百年時代、まだ十八歳の私たちにこの先八十年分の予定を立てろと言われても、
私は今日、もっと言えばこの後の朝のHRで何が起きるかすらわかっていない。
朝の教室で一人、想いをはせる。
そんな平和な私の日常は、
午前八時二十五分、予鈴の音にかき消された。
急行は止まらなくて電車は二十五分に一本、
広々としたグラウンドのすぐそばを今日も急行電車が嘲笑うかのように通り過ぎていく。
急行が止まる駅の近くには「進学校」があり、
「自称進学校」と評される私の高校との格差を感じる。
生徒のほとんどは、専門学校か短期大学に進学する。
残りの生徒は、就職する者と、四年制大学に進学する。
その進学実績に私が関わる年がやってきたと
高校三年生の私、下原(しもはら)ひなたは自転車で坂道を登りながら思う。
「この坂道を登るのも…」
そう言いかけて、あと百回あまりもあることにげんなりする。
少し遅刻している桜の木を尻目に、
校門に立つ野球部の顧問に挨拶をする。
いつもと変わらない、
だけど何かが変わる。
そんな一日がはじまろうとしていた。
クラス発表ほど、ひらがなの名前でよかったと思うことはない。
「ひらがなの名前って、ふわふわして、柔らかくて可愛いよね!」
なんて褒められることもあるけど、
「ねぇ、どうして私の名前ってひらがななの?」と親に質問したら、
「漢字が思いつかなかったのよね。」
なんてケロッと笑った母のことは誰も知らない。
そんな私をよそに、
どの国にいるのか忘れるほど、
周りの生徒は凝った漢字を使っている。
小学校の時、愛に華と書いて「まなか」とよむ友達がいたが、
私の頭はそれでギブアップだ。
七に音と書いて「ぴあの」とよむ生徒がいると去年ウワサになり、
私は勘弁してよ、とため息を漏らさずにはいられなかった。
今年も、私のクラスにはひらがなが一人。
漢字の羅列を眺めても、
知り合いなんて一人も見つからず、
クラス発表の紙がはりだされている昇降口をくぐった。
私の学校は、昇降口が吹き抜けになっていて
二階からみえる構造になっている。
そんな昇降口に一目惚れして、この高校に決めたことは我ながらどうかしていると思ってしまう。
(二階で好きな人を待っていて、昇降口に入ってくるなり
おはよーって元気に挨拶するの、映画か何かのシーンでありそうだな。)
なんて、私には無縁なことを考えて靴を履きかえる。
もう、三年目だというのに校舎で迷子になりかける私は
ひとり、教室を探す。
春の風が優しく吹く、なんて言葉も似合わない、
湿気を全て校舎内にとどめてしまうコンクリートの壁に囲まれた廊下をひたすら進む。
一階の廊下のつきあたり。
三年八組、と札がかかった教室を見つけ、
中に入る。
朝しか強くない私だから、学校に着いたのは七時。
自称進学校だから、「朝学習」は推奨しているらしく、
学校は朝七時に開くことになっている。
教卓のすぐ前の席に「下原ひなた」と名札が置いてあるのを見つけ、
荷物を置いて座ってみる。
使い古された小さな机は、床の歪みのおかげで不安定に佇む。
「この高校はまだ築三十年で、この辺りでも新しい方の高校なんですよ。」
と、いつかの入学式で校長先生が話していたことを思い出す。
築三十年が新しいって…私が住むところは田舎なんだなと思い知らされる。
まだ誰も来ていないガランとした教室で一人、
朝の風に吹かれながら考え事をすることが私の趣味だ。
「ひなたは考えすぎて、結局何もしないじゃない。考えることに疲れ果ててしまうよ。」
いつかの母の言葉が胸に浮かぶが、
四月、一人きりの教室ですることといえば、考えること以外、何もない。
今日のテーマは、将来について。
高校三年生、というよりも「受験生」という肩書きのせいで、
私たちは将来について考えることを要求される気がする。
人生百年時代、まだ十八歳の私たちにこの先八十年分の予定を立てろと言われても、
私は今日、もっと言えばこの後の朝のHRで何が起きるかすらわかっていない。
朝の教室で一人、想いをはせる。
そんな平和な私の日常は、
午前八時二十五分、予鈴の音にかき消された。