「思いつかない…」
さっきまでの元気良さはどこ吹く風。
五十嵐君は頭を抱えて、先生に配られたワークシートと睨めっこをしている。
「なぁなぁなぁ、晴輝っ!お前、なんかアイデア出してくれよ〜。」
「いや、何も思いつかない。」
「いや、何も考えてない、だろっ!手伝ってくれよ〜」
「うん、ごめん。」
そんな〜と嘆き悲しむ五十嵐君と心底興味なさげな星宮君をぼんやり眺めていると、
「って、下原さんは何か思いついた?」
と星宮君が尋ねてくる。
ハッと目を見開いた五十嵐君のせがむような圧力に根負けした私は、
星宮君が尋ねたその時から、
五十嵐君と目が合った今のたった一瞬で思いついた、
というか頭に浮かんだ言葉をそのまま言った。
「いじめない、暇じゃないから、いじめない」
言葉が口から滑り落ちたところで、
父の言葉を思い出した。
「ひなたは時々、考える前に飛び込むよね。そして、そういう時は大体…」
大きく転ぶ。
私の標語を聞いてさっきよりも一段と大きく目を見開いた五十嵐君に私が気づき、
(しまった…っ)
と思うのと、
星宮君の笑い声が重なった。
ハハハッと笑った星宮君は目をこすりながら、
「眠気吹き飛んだわ。下原さん、斬新すぎでしょ。『いじめない、暇じゃない…』」
最後まで言い終わることなく一人でツボっている。
いや、その、これは…と必死に言い訳を探そうと挙動不審になっている私に、
「いや、それでいこう。」
漫画に出てくる生徒会長らしく、真面目な声を出した五十嵐君が言う。
「え、あの、ちょっと待って…」
もう少し、考えてみない?という提案をする間もなく、
五十嵐君は、ワークシートにボールペンで書き込みはじめる。
ボールペンを握った五十嵐君をみて顔が青ざめる。
(この人、本気で…)
私の予想は当たっていたらしく、
「いじめない、暇じゃないから、いじめない」
とボールペンでハッキリと記入し終わっていた。
ついさっきまで睨めっこの相手でしかなかったワークシートを掲げ、
「終わったぁ…」
と感嘆している五十嵐君と、
(終わった…)
と絶望している私の間に、
「いや、この標語に込められたメッセージ、説明しないと」
と星宮君が割ってはいる。
「あ、そっか。」
と一旦冷静さを取り戻した五十嵐君が私をまっすぐ見つめる。
え、なに…と次に五十嵐君が言い出す言葉を待っていると
「ズバリ、この標語のこころは…」
「え、なに、なんのこと?」
寝ぼけた目をこすりながら私の隣の席に座っていた男子生徒が顔を上げる。
(そっか、三年八組は四十人のクラスだから、四人で一つの班を作って十組の班ができるのか、)
なんて今更気づいたことも申し訳ない。
「いや、こころってお前のことじゃないから。」
五十嵐君の声を耳に挟みつつ、
私の隣に座る男子生徒に目をやる。
さっきまで机に突っ伏して寝ていたせいで名札が見えなかったけど、
こころ、と聞いて目が覚めたのか、大きく伸びをしているおかげで胸元にある名札を確認できた。
島崎茲露、と書いてあるのを見て目が点になった。
(これのどこをどう読んだら、こころになるの…?)
彼の名前をつけた人は、きっと天才なのだろう。
それとも漢字検定一級とか。うん、そうとしか考えられない。
私の視線に気づいたのか、島崎君はえ、何?と顔をしかめる。
急に隣の席に座る人から、
つまりほぼ赤の他人から視線を送られることは誰にとっても気持ちがいいものではないみたい
と私は理性を取り戻し、
「あ、珍しい字を書くなと思って。」
とさっきまで名札を見てたことをアピールする。
決して、あなた単体に興味があるわけではないですよって。
ふーん、
と自分の名前の漢字のことを言われたのに
まるで他人事のような返事をしてきた島崎君に星宮君が声をかける。
「あ、こころはどう思う?この標語。」
そう言いながらワークシートをペラりとかざす。
目の前にふってきたワークシートを確認して、島崎君がつぶやく。
「いじめない、暇じゃないから…」
「音読しなくていいからっ!」
自分が考えもしないで口にした標語が音声化する現象に耐えられなくて島崎君を遮ると、
「え、これ俺、聞いたことある。」
表情を全く変えないで島崎君が言った。
「「「え?」」」
と私、星宮君、五十嵐君の声が揃う。
「うーん、どこかで聞いた気がするんだけどな…」
そう言って頭をかいた島崎君に6つの目が集まる。
あ、わかった!
と大袈裟に手を掲げた島崎君はニッと笑って言葉を続けた。
「夢の中だっ!」
ズコーっと音を立てて転ぶのが典型的なオチなのだが、
五十嵐君はこんな島崎君に慣れているらしく、
お前なぁ…、
と小さなため息を吐いただけだった。
ごめんごめん、
と笑っている島崎君をおいて、
気を取り直して、と五十嵐君が私に目をやり、
「この標語で、下原が伝えたいことってなんだったの?」
と尋ねてくる。
伝えたいこと、と言葉を口の中で転がし、自分自身に問いかける。
(いや、単純にいじめる人って相当暇な人なんだろうな、って思っただけだけど…)
いじめる人を、私はわからないから、悩んでも仕方がないって思って
一回転ぶのも、二回転ぶのも一緒だと腹を括り五十嵐君に言葉をかける。
「暇じゃないから、いじめない。暇だったら、いじめる。
私、いじめられる人に非があるとは思ってなくて、ただいじめる側の問題なんだと思う。」
つまり?
と説明の続きを求めてくる五十嵐君に
(続きなんてないけどな…)
と思いながら、
「だから、なんでいじめられるんだろうとか考えながら自分を嫌いになっていくよりも、
いじめてくる向こうの心…あ、こころというか精神?の問題だって割り振ったほうがいじめられている、
被害者側は楽になれると思う。
あとは、
加害者を責めるんじゃなくて、人をいじめてしまうほど精神が病んでいると考えて、
いじめる側の人の話も聞くことが大切だと思う。」
と五十嵐君が頷いてもくれないから一気に話した。
なるほど、
と再度ワークシートに視線を落とした五十嵐君を見て、
これで良かったのかな?と思っていたら、
ふいに顔を上げて
「俺もこの話、聞いたことある。」
と言い出した。
え、島崎君に対するなるほど、だったの?
とさっきまでタラタラと説明していた自分が嫌になる。
そんな私をよそに、五十嵐君は続ける。
「なんか、人権に関するテーマの…、でもだいぶ前だったと思う。記憶が曖昧だし。」
(だいぶ前のことでなくても記憶が曖昧なことあるよ、現に私なんか島崎君の下の名前の漢字、一文字も覚えてないし)
なんて思っていたら、
「あ、下原って小学校どこ?」
と突拍子もない質問が横から飛んできた。
小学校。
できれば思い出したくない、私の過去を抉り出してくるこの単語に思わず顔がこわばる。
「隣の市にある、第二小学校だよ。」
と答えると、
じゃあ、違う。と私の答えに満足しなかった島崎君は俯く。
「え、第二小ってことは、中学は?」
人の過去を聞くことはすっかり慣れっこのような五十嵐君に尋ねられ、
中学は第一…と答えたら、
「それだっ!」
と何か思い当たったことがあったらしく五十嵐君は笑顔になる。
「下原って、あの、なんか人権学習の一環でスピーチ…」
スピーチ。
ダブルパンチにあった私の頭は、
ずっとずっと奥底に隠してきた過去が色を取り戻し始めることを防げなかった…。
さっきまでの元気良さはどこ吹く風。
五十嵐君は頭を抱えて、先生に配られたワークシートと睨めっこをしている。
「なぁなぁなぁ、晴輝っ!お前、なんかアイデア出してくれよ〜。」
「いや、何も思いつかない。」
「いや、何も考えてない、だろっ!手伝ってくれよ〜」
「うん、ごめん。」
そんな〜と嘆き悲しむ五十嵐君と心底興味なさげな星宮君をぼんやり眺めていると、
「って、下原さんは何か思いついた?」
と星宮君が尋ねてくる。
ハッと目を見開いた五十嵐君のせがむような圧力に根負けした私は、
星宮君が尋ねたその時から、
五十嵐君と目が合った今のたった一瞬で思いついた、
というか頭に浮かんだ言葉をそのまま言った。
「いじめない、暇じゃないから、いじめない」
言葉が口から滑り落ちたところで、
父の言葉を思い出した。
「ひなたは時々、考える前に飛び込むよね。そして、そういう時は大体…」
大きく転ぶ。
私の標語を聞いてさっきよりも一段と大きく目を見開いた五十嵐君に私が気づき、
(しまった…っ)
と思うのと、
星宮君の笑い声が重なった。
ハハハッと笑った星宮君は目をこすりながら、
「眠気吹き飛んだわ。下原さん、斬新すぎでしょ。『いじめない、暇じゃない…』」
最後まで言い終わることなく一人でツボっている。
いや、その、これは…と必死に言い訳を探そうと挙動不審になっている私に、
「いや、それでいこう。」
漫画に出てくる生徒会長らしく、真面目な声を出した五十嵐君が言う。
「え、あの、ちょっと待って…」
もう少し、考えてみない?という提案をする間もなく、
五十嵐君は、ワークシートにボールペンで書き込みはじめる。
ボールペンを握った五十嵐君をみて顔が青ざめる。
(この人、本気で…)
私の予想は当たっていたらしく、
「いじめない、暇じゃないから、いじめない」
とボールペンでハッキリと記入し終わっていた。
ついさっきまで睨めっこの相手でしかなかったワークシートを掲げ、
「終わったぁ…」
と感嘆している五十嵐君と、
(終わった…)
と絶望している私の間に、
「いや、この標語に込められたメッセージ、説明しないと」
と星宮君が割ってはいる。
「あ、そっか。」
と一旦冷静さを取り戻した五十嵐君が私をまっすぐ見つめる。
え、なに…と次に五十嵐君が言い出す言葉を待っていると
「ズバリ、この標語のこころは…」
「え、なに、なんのこと?」
寝ぼけた目をこすりながら私の隣の席に座っていた男子生徒が顔を上げる。
(そっか、三年八組は四十人のクラスだから、四人で一つの班を作って十組の班ができるのか、)
なんて今更気づいたことも申し訳ない。
「いや、こころってお前のことじゃないから。」
五十嵐君の声を耳に挟みつつ、
私の隣に座る男子生徒に目をやる。
さっきまで机に突っ伏して寝ていたせいで名札が見えなかったけど、
こころ、と聞いて目が覚めたのか、大きく伸びをしているおかげで胸元にある名札を確認できた。
島崎茲露、と書いてあるのを見て目が点になった。
(これのどこをどう読んだら、こころになるの…?)
彼の名前をつけた人は、きっと天才なのだろう。
それとも漢字検定一級とか。うん、そうとしか考えられない。
私の視線に気づいたのか、島崎君はえ、何?と顔をしかめる。
急に隣の席に座る人から、
つまりほぼ赤の他人から視線を送られることは誰にとっても気持ちがいいものではないみたい
と私は理性を取り戻し、
「あ、珍しい字を書くなと思って。」
とさっきまで名札を見てたことをアピールする。
決して、あなた単体に興味があるわけではないですよって。
ふーん、
と自分の名前の漢字のことを言われたのに
まるで他人事のような返事をしてきた島崎君に星宮君が声をかける。
「あ、こころはどう思う?この標語。」
そう言いながらワークシートをペラりとかざす。
目の前にふってきたワークシートを確認して、島崎君がつぶやく。
「いじめない、暇じゃないから…」
「音読しなくていいからっ!」
自分が考えもしないで口にした標語が音声化する現象に耐えられなくて島崎君を遮ると、
「え、これ俺、聞いたことある。」
表情を全く変えないで島崎君が言った。
「「「え?」」」
と私、星宮君、五十嵐君の声が揃う。
「うーん、どこかで聞いた気がするんだけどな…」
そう言って頭をかいた島崎君に6つの目が集まる。
あ、わかった!
と大袈裟に手を掲げた島崎君はニッと笑って言葉を続けた。
「夢の中だっ!」
ズコーっと音を立てて転ぶのが典型的なオチなのだが、
五十嵐君はこんな島崎君に慣れているらしく、
お前なぁ…、
と小さなため息を吐いただけだった。
ごめんごめん、
と笑っている島崎君をおいて、
気を取り直して、と五十嵐君が私に目をやり、
「この標語で、下原が伝えたいことってなんだったの?」
と尋ねてくる。
伝えたいこと、と言葉を口の中で転がし、自分自身に問いかける。
(いや、単純にいじめる人って相当暇な人なんだろうな、って思っただけだけど…)
いじめる人を、私はわからないから、悩んでも仕方がないって思って
一回転ぶのも、二回転ぶのも一緒だと腹を括り五十嵐君に言葉をかける。
「暇じゃないから、いじめない。暇だったら、いじめる。
私、いじめられる人に非があるとは思ってなくて、ただいじめる側の問題なんだと思う。」
つまり?
と説明の続きを求めてくる五十嵐君に
(続きなんてないけどな…)
と思いながら、
「だから、なんでいじめられるんだろうとか考えながら自分を嫌いになっていくよりも、
いじめてくる向こうの心…あ、こころというか精神?の問題だって割り振ったほうがいじめられている、
被害者側は楽になれると思う。
あとは、
加害者を責めるんじゃなくて、人をいじめてしまうほど精神が病んでいると考えて、
いじめる側の人の話も聞くことが大切だと思う。」
と五十嵐君が頷いてもくれないから一気に話した。
なるほど、
と再度ワークシートに視線を落とした五十嵐君を見て、
これで良かったのかな?と思っていたら、
ふいに顔を上げて
「俺もこの話、聞いたことある。」
と言い出した。
え、島崎君に対するなるほど、だったの?
とさっきまでタラタラと説明していた自分が嫌になる。
そんな私をよそに、五十嵐君は続ける。
「なんか、人権に関するテーマの…、でもだいぶ前だったと思う。記憶が曖昧だし。」
(だいぶ前のことでなくても記憶が曖昧なことあるよ、現に私なんか島崎君の下の名前の漢字、一文字も覚えてないし)
なんて思っていたら、
「あ、下原って小学校どこ?」
と突拍子もない質問が横から飛んできた。
小学校。
できれば思い出したくない、私の過去を抉り出してくるこの単語に思わず顔がこわばる。
「隣の市にある、第二小学校だよ。」
と答えると、
じゃあ、違う。と私の答えに満足しなかった島崎君は俯く。
「え、第二小ってことは、中学は?」
人の過去を聞くことはすっかり慣れっこのような五十嵐君に尋ねられ、
中学は第一…と答えたら、
「それだっ!」
と何か思い当たったことがあったらしく五十嵐君は笑顔になる。
「下原って、あの、なんか人権学習の一環でスピーチ…」
スピーチ。
ダブルパンチにあった私の頭は、
ずっとずっと奥底に隠してきた過去が色を取り戻し始めることを防げなかった…。