翌日。
いつになく、風奏は体がだるいと感じ布団の中で包まっていた。起きないといけないギリギリの時間まで横になっていた。
「流石にもう起きないと。」
と思い、無理矢理体を起こした。
重い体をひきづるように学校へ行くため準備した。身支度を整えて玄関に立った。
「行ってきます。」
声をかけた。
「行ってらっしゃい!体調、大丈夫?昨日は少し疲れていたようだけど。」
家の奥から母親の声がした。
「あ、うん。大丈夫。」
声が暗くならないように努めて家を出た。
お母さんに心配をかけたくない。
「奏空(かなた)起きなさーい!」
と弟を起こす声を後ろで聴き、
「はぁ〜、、」
風奏は大きく息を吐き、学校へ向かった。
やっぱり、憂鬱。
英子は、すごく良くしてくれてる。だから入学当初より楽になった。
でも、、。
でも、、いつ終わるかわからない。不安で押しつぶされそう、、。
渦巻く胸の内を誰にも話せない風奏だった。

やっとのことで学校に辿り着いた。
「おはよー!」
英子が後ろから走りより挨拶してきた。
「おはよ。」
「今日も元気なさそうよ。風奏。」
と英子が心配そうに言った。
「ごめん。」
なんて言っていいか分からず、俯いた。
「なんでそこでこめんなのよ。別に私怒ってないし。体調悪いなら、すぐ言ってね。」
と元気に言った。
「ありがと。」
少し不安が減った。
「ねぇ。もう少しで中間テストよね?風奏、準備出来てる?」
「ん?もう少しって1ヶ月以上あるけど?」
唐突に言った英子の言葉に風奏は首を傾げた。
「もう、1ヶ月前なのよ。テストまで。舐めてたらダメよ!わかってる?」
「はあ、ごめん。確かに勉強苦手だし。」
「あ!、、あたしも言い過ぎたわ。ちょっと。、、あ、あたし、勉強教えてあげるわ。」
ハッとしたように言った。
「へ?」
「だから、あたしが教えてあげるって言ってるの。勉強。」
「本当?ありがとう!」
素直に礼を言った。
「任せときなさい!」
英子は胸を張ってドンと拳を当てた。
「絶対これよ。コレ。絶対に成功させるわ。」
と英子は呟いた。
「ん?なにが?」
「え?うんん?なんでもないわ。」
英子の気持ちが未だよくわからない風奏だった。
「風奏。藍川来てるよ!行かないの?今気づいたわ。」
「ホントだ。」
「、、、そんだけ?」
「うん、そんだけ。」
「、、。」「、、。」
2人は黙った。
「あ、あれ、。」
風奏は声を上げた。
「なに?」
「シャーペン落ちてる。」
と指差した。
「ホントだ。」
英子はシャーペンを拾った。そしてすかさず
「シャーペン落ちてたけど、誰の?」
と教室のみんなに訊いた。
「あ、俺の!あざっす!!」
と男子の元気な声が聴こえてきた。
「あ!む、村雨くんの、だったのね。ど、どうぞ。」
英子はあたふたしながらシャーペンを渡した。
隣で風奏も見ている。
2人にさせたい、と思ったのだが、英子が風奏の手を握って離さない。
「ありがとう、英子ちゃん。と、潮見さん。」
「え?いや、私はなにも。」
「うんん。そうだ、お礼になにかするよ。」
「は?それは私じゃなくて、英子、、。」
と英子に振ろうとすると
「チッ」
と舌打ちが聞こえ
「おい、お前。」
と、声をかけられた。
「はあ。」「なに?」
風奏と英子の声が揃った。
目の前には、律を押し退けるようにして近づいてきた千絃がいた。
「あー、お前じゃねぇ。風奏。」
と英子に言い、風奏に目を向けた。
「えっと、、。」
「ピアノ、また聴きたい。弾けるようになったら、あそこに来い。待ってるから。そんだけ。」
と一気に言って、窓際の自分の席に戻っていった。
「、、。」
なにがなんだか分からなくて風奏は黙ってしまった。
「じゃあ、英子ちゃん。お礼にお昼奢るよ。」
「え?そこまでしなくてもいいわ。逆に申し訳ないし。」
英子も戸惑っている。
「実は、ちょっと話があるんだよね。コレならいい?」
律は英子の心をよむかのように言った。
「へ?い、いいわよ。」
「良かった。じゃ、また後で。」
と千絃の方へ行ってしまった。
「よかったね。」「よかったわね。」
風奏と英子の声が重なった。2人して驚いた顔をしたあと、
「話って?」
「さあ?ピアノって?」
「さあ?」
「まあ、どっちも良かったわね。」
「うん。」
と言いあって、微笑みあった。


そして、昼休み。
英子は律と昼ご飯を食べに行ったので、風奏は1人でお弁当と睨めっこ。
また英子はカツサンドだろうか。と考えながら風奏はお弁当の卵焼きにかぶりつく。
「おい。」
声のした方を向くと、千絃が立っていた。
手には売店で買ったと思われる菓子パンを持っていた。
見渡すと、教室には風奏と千絃しか残っていなかった。
「あ、藍川くん。」
「千絃でいい。」
「千絃くん?」
「千絃」
「千絃」
千絃は満足そうに頷き、風奏に向かい合うように前の席、英子の席に座った。
「そういえば、私の音が綺麗ってどういうこと?」
待ってるとか言われて、内心恥ずかしい風奏は真意を確かめるために訊いた。
「別に。そう聴こえたから事実を言ったまで。」
と淡々と言った。そして、風奏のお弁当から卵焼きをつまみ食いした。
「あ、ちょっと!」
「うまいな、コレ!」
本気で美味しいというように目を輝かせていうので怒るに怒れない風奏だった。
「あのさ、千絃はどうしてルイスが好きなの?」
前から気になっていたことを訊いた。
「あ?どうしてって、好きだから、、じゃね?」
「あぁ、ごめん。言い方変える。好きになったキッカケとかあるの?」
「ん?あぁ。これ見たから。」
と短く答え、スマホを取り出した。
なにやら操作してから、風奏に差し出した。
「ほら、これ。ルイスの曲、over the dark の和訳動画なんだけど。このコメント欄に、『僕はゲイですが、この歌詞を見て、勇気を貰えました。自分らしく生きていきたいと思えました!』とか『自分に自信がなかったのですが、一歩踏み出す勇気が持てました!』とか書いてあるのを見て、音楽でこんなにも人を勇気づけれるんだって、こうグッときたんだ。」
心の底から感動した、というように優しく微笑んだ。
「それに、このコメントの返信見ろよ。」
と指差した。
そこには、優しい言葉の数々で埋まっていた。
『大丈夫です!私もレズ!一緒に頑張りましょう!』
『ゲイなんて言葉俺にはないぞ!』
『私もこの曲大好き!前を向けますよね!』
など数十件の返信が寄せられていた。その全てが明るいコメントだった。
「こんな、人の繋がりまでつくっちまうんだぜ。この和訳書いた人もすげぇ尊敬するし、こんな歌作っちまうルイスもすげぇ好き。それで、ルイスの歌にはまった。毎日聴いて、元気もらってる。そんなルイス・ハワードは、俺の憧れだ。」
とニッコリ笑った。
「あぁ、悪い。俺だけ喋っちゃって、、。」
俯いて千絃のスマホを見ている風奏に慌てて声をかけた。
途端。
「うおっ!?なんで?泣いてんの、、?」
千絃は変な声を上げて風奏の顔を覗き込んだ。
「、、ごめん。なんか、わからないけど、涙出てきた。本心を、打ち明けて、そしてその本心を受け止めてくれる、そんなコメント欄だなって思ったら、なんか、涙出てきた。」
風奏の頰に涙が流れている。必死になって拭いている。が、どんどん流れてくる。
「風奏って、すげぇな。」
千絃が静かに言った。
「そっか、そりゃ、そうだ。風奏はすげぇから、綺麗な音が出せるんだ。」
何度もうんうんと頷いている千絃を見ると笑けてきた。
「なんで?」
微笑みながら訊くと、
「あ?こっちの話。」
と口角を上げて言った。
「あのさ、俺も訊くけど、風奏はなんでルイス知ってんの?」
「うーん、なんでって言われても。あ、友達が好きだったんだよね。だから、その影響、かな。友達についていってライブ行ったらもう、圧倒されちゃって。」
「わかる。ライブ行ったらもう、ルイスの歌に圧巻だよな、、。」
「そうそう、心に響く声っていうのかな。それで、、。」
「おい、また涙出てきたのか?」
言葉を詰まらせた風奏に声をかけた。
「うんん。ごめん。」
肩を上下させて息をする風奏。声が弱々しい。
まただ、、。頭が痛い。胸がどくどくと波打つ。しんどい。
「おい、行くぞ。」
千絃が立ち上がった。しばらく風奏の息遣いに包まれていた教室に久しぶりに千絃の声が響いた。新鮮な気持ちになった。
「何処、に?」
「音楽室」
というと、風奏の腕を掴み立たせた。
「行くぞ。」
真っ直ぐに風奏を見てもう一度千絃が言った。
「うん。」
なんだか、千絃には敵わない気がした。その力強い大きな手で守ってくれそう、、。ふと風奏はそう感じた。
2人で並んで歩いて、音楽室に着いた。歩いたことで気分も落ち着いた。
「よし、開いてる。」
と千絃は音楽室の扉を開いた。
陽の光が差し込み、木の壁に囲まれた、静かな空間。そんな音楽室のなんとも言えない雰囲気が風奏は好きだった。
「やっぱり、いいな。音楽室。」
と風奏は呟いた。
「じゃ、どうぞ。」
と言うなり、千絃はピアノの椅子を引き、手で示す。
「えっと、、。」
どうすればいいかわからない風奏。
「前の続きだよ。」
「でも、、。」
前みたいに止まってしまいそう。それに、また、頭痛がぶり返してきそう、、。風奏は不安でいっぱいだった。
「ほら、早く。」
千絃の口調がきつくなった。
「ごめん。無理。」
「あ?無理かどうかは、弾いてからにしろ。あと、俺は謝ってほしいんじゃねぇ。弾いてほしいんだよ。」
腕を組み、しょうがねぇな、とでも言うように風奏をみている。
しばらく考えるそぶりをした。
そして、まだうじうじとためらっている風奏に千絃は言った。
「俺が歌ってやるから。弾け。」
「え?」
「だから、俺が walking in the night 歌うっつってんだよ。」
「歌えるの?」
「あ?当たり前だろ?俺を誰だと思ってんだよ。」
そこまでして、私のピアノが聴きたいんだ。こんな私の音を聴きたいんだ。と、風奏は嬉しくなった。
「分かった。弾く。あ、でも、千絃は別に歌わなくていいよ。私のピアノ聴きたいんでしょ?」
必死で訴える千絃が本気で歌うと思っていないような風奏。
「あ、あぁ、、。」
「なに?」
なにか言いたげに千絃を見ている。
「いや、なにがお前をそんなに変えさせたんだよ、、。」
「大袈裟な、、。」
と呟きピアノの前に座った。
むしょうに千絃の前で弾きたくなった。聴いてほしいと思った。千絃の前でなら、大丈夫だって思った。確証なんかないけれど、千絃と一緒なら。風奏はそう思った。
ピアノの鍵盤に指を置く。鍵盤を押す。音が鳴る。
綺麗か、、。この音が。千絃の耳には綺麗な音に聴こえたのか、、。あんなイヤホンをつけた耳だけど、、。
明るい気持ちで風奏はピアノを奏でた。
穏やかに風奏のピアノは、終盤に入った。
突然。
「っ!?」
息が荒くなる。頭が重い。指が痺れる。
やだ、、。やめたくない、、。まだ、千絃に聴いていて欲しい。嫌だ、、。最後まで弾きたい、、。お願いだから。
風奏は自分自身に切実に願った。
「風奏」
千絃が名前を呼ぶ。
ダメ、、。止めないで、、。
涙で視界が白くなる。
「風奏!」
千絃がもう一度呼ぶ。
風奏の手が自然に止まった。
あぁ、、。やっぱり無理だった、、。いけるかなって思ってたのに、、。千絃怒ってるかな?と恐る恐る顔を上げた。
「ありがと。やっぱお前、いい音出すよな。」
千絃は目を細めて、笑いかけながら言った。
「ごめん。やっぱり無理だった。弾けなかった。ごめん。」
風奏は泣きながら訴えた。
「あ?なんでだよ?一回失敗したくらいで泣いてんじゃねぇよ。俺、言っただろ?待ってるって。弾けるまで、いつまでも待ってやるよ。それに、、弾いてくれて、ありがと。俺のわがままなのに。挑戦してくれて、ありがとう。」
優しい言葉が千絃の口から溢れ出る。
涙でなにも見えなかったけど、風奏には千絃が本気で言ってくれていると分かった。
「ありがと。」
必死にその言葉を口にした。ただただ、千絃のその言葉がとても嬉しかった。
風奏は気づかなかったが、その時千絃の頬は真っ赤に染まっていた。