憂鬱、、。
学校に行くのが憂鬱になったのはいつからだろう。
そう思いながら風奏(ふうか)は学校への道を歩いていた。
潮見(しおみ)風奏、砦ヶ丘高校の1年生。先月入学式が行われて晴れて進学したばかりだ。
「はぁ、、」
風奏は今日12回目のため息をついた。
足のつま先をじっと見つめながら歩いていたら、前から賑やかな声が聞こえてきた。
「はぁ、、」
意識していないのにまたため息が出た。
「おはよー!」
元気な声が聞こえた。
自分に向けられたものではないと思い、黙って歩き続けた。
「おはよー!!」
今度はもっと大きく聞こえた。
思わず立ち止まった。
誰、、?
そう思い、辺りを見渡すと長い髪を靡かせた少女が隣に立っていた。
切れ長の鋭い目で風奏を見つめている。
「えっと、、。私?」
とりあえず訊いた。
「他に誰がいるのよ。おはよー!」
その少女は一方的に言い放った。
「えっと。おはよう、ございます?」
「なんで疑問形なのよ。」
そんなの訊かれても、どう返事したらいいかわからなかったのだから仕方がない。
「どちら様?ですか?」
「はあ?クラスメイトの名前も知らないの?あたし、姫路英子(ひめじえいこ)よ。」
なんだかんだ言いながら名前を教えた。
「潮見風奏です。」
「そんなこと知ってるわよ。知らなくて挨拶するわけないじゃない。」
「なんで挨拶してきたんですか?」
「同じ年なのになんでそんな敬語なの?もっと軽くしなさいよ。」
「わかった。」
英子は黙って頷き、
「あたし、風奏と友達になりたいの。」
真っ直ぐに風奏を見つめ、言う。
「は?なに?」
思わず訊き返す?
「だから、友達!」
「はあ。私と、、。」
「よろしく!」
「あ、うん、よろしく、、。」
ん?、、え?友達!?
思わず流れで受けてしまった。
これが、風奏と英子の出会いだった。


それから、風奏は英子と過ごすようになった。
「風奏!早く行くよ!」
と英子が声をかける。
「何処へ?」
風奏は首を傾げた。
「売店に決まってんでしょーが!」
「あぁ。わかった。」
英子は売店の特製ダブルトンカツサンドが大の好物。昼休みになると飛んで走っていく。風奏は母親の手作りのお弁当があるから売店に行く必要はないのだが、英子にいつも引っ張られる。
お目当てのものが買えた英子は笑顔でかぶりつく。
「大好きだね。」
風奏は英子を横目に言った。
「好物は毎日食べてなんぼでしょ!」
「うんん。いや、それもそうだけど。」
英子はトンカツの方だと思ったみたいだ。
たしかにこの流れだとトンカツか。
風奏は我ながらタイミングが悪かったと内心反省。
「じゃあなに?」
「村雨律(むらさめりつ)くんのこと。」
売店で、数人の男子と喋っている男子に視線を向けながら言う。明るい好青年という印象がある男子だ。
「ブッ!?」
英子は食べていたカツサンドを吐きそうになって慌てて手で押さえた。
「えぇ!?えっ!え、、?」
タコのように真っ赤になった。
「えっと、、そんなに驚く?ごめん、ほんとごめん。わざとじゃないんだ。」
慌てて風奏は言い繕った。
「いや、そんなに謝らなくても。別にいいわよ。」
「そう、、よかった。」
風奏は胸を撫で下ろした。
「大袈裟ね。そんなことで傷つかないわよ。そうよ。村雨くんのこと好き。」
「やっぱり。」
「なんでバレたの?」
心底不思議だ。と言うように英子が訊く。
「いつも目で追ってるよ。あと、村雨くん売店にいつもいるし。最初それが目当てかなって思ってた。」
「嘘!嘘嘘ぉ〜!ホントに?あたしが?ありえない、、。」
何度も首を振って否定する。
バレバレだよ。と内心呆れる風奏。
「ねぇ!あたしが風奏には好きな人いないの?って訊こうとしてたのに、なんで先に言っちゃうの?もう!」
腕を組んで頰をぷくりと膨らませた。
「ご、ごめんなさい。」
風奏は慌てて頭を下げた。
「風奏って冗談通じないのね。本気じゃないわよ。」
しれっと言う。
「聴いて!あたしと村雨くんの関係!」
「うん、わかった。」
と風奏は頷いた。
「彼とは同中でさ。なんか元気な奴って感じのイメージだった。中3の体育祭の時、印象がガラって変わった。あたしたち、同じ組だったんだけど、負けてたのよ。最下位であたしたちの組は意気消沈状態。そのまま最後の種目、色別対抗リレー。彼が代表でね。いきなり、彼、『なにボケっとしてんだ?まだ祭りは終わってねぇだろーが!点数なんて関係ねぇよ。一番楽しんだもんが勝ちだろーが!俺がその一位取ってくるから、まぁ、ついでに、優勝も取ってくるから待ってろ!』って叫んだの。アニメみたいでしょ?」
「うん、結構言うの恥ずかしい。」
「そうそう。あたし、そんなことできるわけないって思ってたの。でも、アンカーのバトン受け取った彼の顔見たら、やってくれるって直感した。だって輝いてたの。心から楽しんでる、キラッキラの笑顔。それで一目惚れ。無茶苦茶カッコよかった。それでほんとに一位取って優勝も掻っ攫ってきたのよ。すごいよね。それから、ず〜っと、、片思い。」
英子の話が終わった。
「そうなんだ。」
「そ!さ、次は風奏の番よ。」
「は?」
「なによ。自分だけ聞いて、言わないつもり?逃がさないわよ!」
といきなり風奏の肩を掴んだ。
「えぇ?私、別に好きな人いないし。」
「付き合ったことは?」
「ないけど。」
「ホントにいないの?」
「いないよ。」
そんな会話を何度か繰り返した2人。
と、予鈴のチャイムが鳴った。
「くっそ、じゃあ違うのかしら?なんでなのよ?」
「英子?どうかしたの?」
英子がなにやら呟いている。
「まあいいわ。行くわよ。」
「え?何処、、」
「教室に決まってるでしょーが!」
風奏の言葉が終わる前に英子が重ねた。
「あぁ。わかった。」


5限目は、国語の授業だった。
友人関係で悩む主人公は、学校で飛び降り自殺しようとする、というハードな内容だった。
「っ!?」
風奏はいきなり後頭部を殴られたような衝撃を感じた。息が上がる。
「風奏?」
心配して前の席の英子が覗き込む。
「ちょっと、しんどいから、保健室、行ってくる。」
途切れ途切れにそう呟いた。
「ついてこうか?」
「いい。」
少し突っぱねるように言い風奏は足速に教室を出た。
「はぁ〜、、」
大きく息を吐いた。油断したら涙が出てきそうだ。頭が痛い。
保健室って言っちゃったけど、正直嫌だ。とにかく1人になりたい。
そんなことを思いながら歩いていたら、音楽室が目に入った。引き戸を開くと鍵はかかっていなかった。幸い授業もしていない。
少し休ませてもらおう、と音楽室に入った。
音楽室、といってもただ中央にグランドピアノが置いてあり、数台の机が並べてあるだけの空間だった。
「ピアノ、、。」
そう呟きながら風奏はピアノに触れた。
吸い込まれるように鍵盤に指を置き指で押した。音が鳴った。風奏の好きな音だ。
風奏はピアノを弾くことが好きだった。気分を落ち着かせるために弾くことにした。
指が軽い。気持ちも軽くなっていく。夢中になった。
「っ?!」
突然、また、頭が痛くなった。ガンガンと頭がなる。思わず顔を顰め、手を止める。息が上がる。さっきのがぶり返してきたようだった。
「ルイス・ハワードのwalking in the night じゃねぇか。」
いきなり声が聴こえた。
「誰、、?」
声のする方を見る。
窓にもたれかかって風奏を見ている男子がいた。緩くネクタイを締めて、前髪は目にかかるくらい長い。耳にはイヤホンをつけている。
「続きは?」
「え?」
「弾かねぇのか?」
「えっと、、。」
話が噛み合わない。
「今は、無理。」
「弾けねぇのか。」
なーんだ。というように肩を落とした。
「別に、弾けるけど。今は弾けない。」
頭が痛い。手も重くなった。
「なんだよそれ。まあいい。」
素っ気なく言うと、話は終わりというように窓から出て行こうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
立ち上がって慌てて声をかけた。
「なんで、、此処にいるの?あなたは、、誰?」
むしょうにその男子のことが気になった。
「あ?なんでって、いたら悪ぃかよ。此処は音楽室なんだから、生徒ならいていいだろ?」
窓を乗り越えようとしていた手を止めて振り返った。
「ごめんなさい。」
慌てて頭を下げた。そして、
「授業中だよね?でも、此処にいる理由を訊いてるの。」
と続けた。
「別に、俺が此処にいたいだけだ。ってか、お前も一緒じゃねぇか。授業中だろ?お前だって。」
と顎で風奏を指しながら答えた。
「まぁ、そうだけど。ごめん。」
「あと、名前訊くなら名乗ってからにしろ。」
心底不愉快というように腕を組んだ。
「ごめんなさい。私は潮見風奏。あなたは?」
めんどくさい奴、と内心毒づきながら素直に名乗った。
「知ってる。」
短く答えた。
「え?」
「同じクラスだぜ。普通知ってる。」
「そうだったの?」
「俺、藍川千絃(あいかわちづる)。1-D組。」
「そういえば、いたかも。」
記憶の微かに藍川という名前を思い出した。
「お前、馬鹿かよ。」
「で、でも、いない時、多くない?」
慌てて反論する。
たしか、名簿1番の席はいつも空席だった。
「あ?俺の自由だろ。授業受けるのも受けねぇのも。」
千絃は顔を顰めた。
「そう、だよね。ごめん。人それぞれだよね。勝手に言ってごめん。」
思わず風奏は俯いた。
「なんだよお前。謝ってばっかだな。別に俺、お前に謝って欲しいわけじゃねぇから。」
「ごめん。」
「だから謝んな。」
「ごめ、じゃない、分かった。」
「やれば出来んじゃん。」
人を小馬鹿にするようにニヤッと笑った。
「なぁ、お前、授業どうしたんだよ。エスケープするやつには見えねぇけど。」
今度は千絃が訊いた。
「気分が悪くなって。で音楽室が空いてるのに気づいて。ピアノ見たら弾きたくなって。」
「ふーん。」
そっちから訊いてきたくせにそれだけ?と呆気に取られた風奏。
千絃思わず訊いた。
「ねぇ、なんで、ルイスってわかったの?ピアノだけなのに。」
「あん?俺、音楽に詳しいんだよ。プロだし。」
「プロ?」
「あぁ。」
得意そうに頷いた。
言っている意味がわからない風奏だった。洋楽の博士みたいなものかな、と勝手に解釈した。
「それに俺、大好きなんだぜ。ルイス。」
「そうだったの?私の周り、知らない人ばかりで知ってる人いてすごく嬉しい!」
思わず勢い良く言った。
ピアノの音だけで分かったんだから相当なファンに違いない、と思い、風奏は嬉しくなった。
「そうかよ。」
と短く答えて、今度こそ千絃は窓を越えて外へ出た。
「じゃな。」
と屋上へ続く梯子を登って行った。
千絃は屋上から此処へ来たようだ。
「あ、ちょっと!」
1人で喜んでるみたいで恥ずかしい、と思い風奏は窓まで走り寄って声をかけた。
「そろそろ教室戻った方がいいぜ。あと、、お前の、音、、綺麗だった。」
小さく途切れ途切れに上から声がした。
「え?どういう意味?」
と呟いたが、返事は返って来なかった。


「風奏、大丈夫?心配して授業集中できなかったわ。」
と教室に戻ってきた風奏に英子が言った。
「え?あぁ。ごめん。もう大丈夫。」
千絃と喋っていたら不思議と気分が落ち着いた。英子に体調を訊かれるまで気分が悪かったのを忘れていたほどに。
「あのさ、藍川千絃って知ってる?」
唐突に風奏は訊いた。
「藍川?、、あぁ。一応あいつも同中だったわよ。だから喋ったことはあるけど。そんなに仲良くはないかな。彼がどうかしたの?」
「あー、うんん。なんであんまり来てないのかなって。」
「中学の3年生の時一緒のクラスだったけど、、休みがちだった気がするわ。でも、村雨くんと仲良かったと思うわ。」
「そう、、。」
友達はいるんだ。内心ほっとした風奏だった。
「藍川が気になってるの?」
「へ?」
瞬間、英子の顔が緩くなり、
「そう、そうだったの。藍川ねー、何処が?」
英子が変な方向へ突っ走っている。
「あの、別にそういうわけじゃないんだって。」
確かに、なんで来ないのかなって気にはなっているけど、好きとかそういうわけじゃない。しかも今日初めて会ったと言っても過言ではない。
「ホントに?」
「ホントに。」
「嘘だ。」
「嘘じゃない。」
途端、英子が後ろを向き、
「また違うの?じゃあ、なに、、?」
ぶつぶつ呟いている。
英子が何を考えているのか、風奏には分からなかった。