月曜日、玄関で一緒になった席が近い田中さんと吉岡さんと柚奈、そして梨乃と女子会が急遽行われることになった。圧倒的コミュ力の田中さんが「カラオケ行かない?」と言い出したのが発端だ。カラオケは人数がいた方が盛り上がるらしい。部屋に入るなり、「トイレ行ってくる!」と梨乃は退出してしまい、変なメンツで座った。一番に口を開いたのはやはり田中さんだった。

 「いや〜ずっと沖田さんともっと話したいなって思ってたんだよね!」
 「え?私?」
 「ねえお母さん、沖田アナだって本当?私ら中学違うから噂で聞いたんだけど、ずっと気になってたんだよね」

 なんだ、それを聞きたかっただけか。話したいって言葉、ちょっと嬉しかったのにな。

 「あーうんそうだよ」
 「いいな〜!あんな綺麗なお母さんとか自慢だよね〜芸能人とか家来た事あるの?」
 「うーんと…」

 返事に困っていると、大音量で音楽が鳴り出した。マイクを握ったのは柚奈だ。もしかして、気を利かせてくれたのだろうかと、横目で見てみるけれどそんな感じはしない。気になる選曲は絶対に誰でも知っているであろう盛り上がる曲だった。

 「ちょっと、結奈これ歌うの〜?!」
 「えー?カラオケといえばこれじゃないの〜?」

 とケラケラ笑いながら、出だし完璧で歌い出した。田中さんも吉岡さんもすっかり柚奈に夢中で、さっきの質問の答えはもうどうでもよさそうだった。すると梨乃がトイレから帰ってきて、「あ!これ私も好きなのにー!」と言いながら一緒に歌い出すから、私は思わず笑ってしまった。
 4時間コースの丁度折り返しに来たところで、休憩という名の女子トークタイムが始まった。

 「梨乃〜最近龍とどうなの」

 切り出したのはやっぱり田中さんだった。

 「えー?どうって普通だよ。いつも通り」
 「なんかいいな〜そういう想い合ってるって状態がいつも通りになるのって」
 「何、あんた好きな人いんの?」
 「いる、数学の坂本先生」
 「はー?!マジで言ってんのそれ」
 「先生は辞めときなよ〜」

 飛び交う会話にナチュラルに柚奈も参戦した。

 「いいじゃん、別に実る訳ないから、想うだけは自由じゃん?」
 「まあね〜」
 「てか他好きな人いないの。ほら、柚奈は?」

 ギクリ、と本当に心臓が音を鳴らしているような感覚になった。ここで柚介と言われたら…両思い確定じゃん。

 「んー、好きってなに〜て感じ」

 柚介の名前が出なかったことにホッとする。コンマ1秒の出来事に心臓がやられそうだ。

 「絶対嘘だね。柚奈みたいなタイプは絶対にモテてきてるでしょ!ほら、好きになった人が好きとか前言ってたしさ!あ、じゃあ前好きになった人はどんな人だったの」
 「んー、かっこよくて、綺麗で、強くて、逞しかった」
 「何それ、全然男じゃんか」
 「私―…」

 柚奈の話題で盛り上がっていると、急にそれまでずっと静かにしている私と同類みたいなタイプの吉岡さんが口を開いた。

 「ん?どした」
 「私、柚介くんが好き」
 「え?!?!」

 やばい、思わず大きな声が出てしまった。ていうか、好きだと言う告白よりも、柚介のことを柚介くん呼びする人いるんだってことに驚いたのかもしれない。

 「吉岡ちゃんそれまじ?」

 梨乃が追いで聞いてみると、

 「うん…」

 と恥ずかしそうに答えた。こんなに大人しい子が柚介を好きだなんて…て、周りから見たら私も柚介とつるんでるのが意外なのかもしれないし、私が言えたことではないか。

 「そうなの、この子ゆずのことが好きで、沖田さんとか梨乃さ仲良いでしょう?だから取り持ってくれないかなって」

 田中さんがまるで自分の飼い犬の紹介でもしているかのような口ぶりで言った。

 「なるほど…だからカラオケ行こって言ったのね」
 「そう」

 なんだ、お母さんの話も口実か…本題に入るための障り、序章だったってことか。
 …お母さん、どうやら貴女の話も、序章に使われるくらいに落ちぶれたらしいです。

 「別にわざわざ口実とか作らなくても普通に話しかけてくれてよかったのに」

 少し呆れた声で梨乃が話す。

 「だ、だって…恥ずかしくて…」
 「そう、教室とか廊下で誰かに聞かれたら大変だと思ってさ。この子、人のこと好きになったの初めてなんだよね。私ずっと昔から仲良いんだけど、恋とか一切してこなくてさ。それなのにゆずを好きになったから、この気持ちを大事にしてあげたくて…」

 また、飼い主による愛犬の説明が入った。
 柚介はモテる、と言うことを今の今まで忘れていたように思う。近くにいるのが当たり前すぎて、側から見て柚介が他の女の子にどう思われているかなんて見失ってしまっていた。この子も、私と一緒で、人生で初めて好きになったのが柚介なんだ。その気持ちは痛いほど分かる。どこがそんなに好きなの?なんてきっと聞かなくても分かるんだ、私なら尚更。そして、この子にとって、どれだけ私と言う存在が不安材料なのかと言うことも、私にはわかる。好きな人に仲がいい異性がいるなんて、不愉快だよね。…分かるな。

 「取り持ってって言われてもねぇ…ねえ恵菜」
 「いいよ」
 「え恵菜?」
 「取り持つの意味は分からないけど、協力するよ…ほら明日の英語の授業のグループ分けとか?話す機会が欲しいんだもんね」
 「い、いいの…?」
 「うん!」
 「沖田さんも一条くんのこと好きなのかなって思ってたから、絶対断られると思った」
 「私が?ないない、ただの仮の幼馴染だよ。ちょっと仲良いだけだから気にしないで」
 「恵菜?」

 隣にいる梨乃の手を私は握った。

 「よかったね!!これからゆずとたくさん話して距離縮めてこう!」

 飼い主が愛犬の頭を撫でた。
 別に、これでいいと思った。ここで私に引き留める権利もないんだから。人の恋をとやかく言うのも可笑しいし、それにこの子の気持ちも分かるし、と、それからまた始まった残り2時間のカラオケを、私はそう心で呟きながら過ごした。まるで飼い主が愛犬の頭を撫でた時、ぼそっと小さい声で「くだらな」と言った柚奈の声を打ち消すように。
 
 英語の授業。クリスマスシーズンの今は、グループを作って英語で対決する、授業という名の遊びをみんなで楽しむ。私は約束通り、仲介人を担い、吉岡さんと柚介を同じグループにした。流石柚介のコミュ力と言ったとこか、側から見るともう既に物凄く打ち解けているように見える。意外と吉岡さんも話せるタイプだと言うことを知った。なーに楽しそうにしてんのよ、全く。二人の姿を片足重心で見守った。

 「そーんなにヤキモチ妬くなら私も好きだから嫌だって言えばよかったのに」

 梨乃が小声で呟いてきた。

 「別に妬いてないってば、てか、そう言うの教室で言わないでよ。誰かに聞かれたらどうすんの!」
 「素直になればいいと思うけどな〜」
 「うるさい」
 「て言うか、昨日のあれ、恵菜に対する宣戦布告だと思うけど」
 「どゆこと?」
 「多分だけど、恵菜がゆずを好きなんて事、この教室みんな知ってるよ?まあ、鈍感すぎる本人とあのバカな龍を除いては、だけど」
 「それ本当に言ってる?私そんな分かりやすい?」
 「うん、中学から同じ子はほとんど気づいてるよ、きっとね」
 「え、で、私が柚介好きだって知ったから、協力してって言いに来たってこと?」
 「そう、なかなかやり手よ、彼女」
 「そりゃー、やり手だ…」
 「あんな可愛らしい顔しておいてね、まああの飼い主の策略かもしれないけど」

 そう言い放った梨乃の視線の先は、田中さんだった。柚奈の言っていた「くだらな」の意味がやっと分かった気がする。

 「なになになんの話?」

 龍が駆け寄ってきた。

 「梨乃が龍のこと、相変わらずかっこいいな、だって」
 「はー?」
 「え?何、梨乃また俺に惚れた?」
 「自惚れるな!あっちいけ!」

 梨乃は犬をあしらう様にして、根掘り葉掘り聞いてきそうな龍を遠ざけた。クスッと笑っていると、柚介と目が合った。キラキラスマイルで笑いかけてくる。別に今のは柚介に向けて笑ったんじゃないんだけど。なんだよ、その笑顔は。とは思いつつも、つい笑い返してしまった。どうにも、柚介の笑顔には昔から弱いみたいだ。

 ほんとベタだけど、柚介の笑顔が他とは違う、太陽みたいだなと感じたのは、柚介が丁度私の家に初めて来た時だった。あの時はこの笑顔は私にだけ向いているなんて、自意識過剰も甚だしい気持ちさえ持ち合わせていて、この先もずっと私を見ていて欲しいと思っていた。普段なら誰もいない静かな自分の家が、いつもの冷たい雰囲気には思えなくて、誰かがいるってこんなにも暖かいんだとき気がついた。テスト勉強をただしていただけなのに、夕陽が差し込んだ部屋が優しくて、

 「わーめっちゃ綺麗じゃん!」

 とベランダに飛び出して行った柚介の背中はすごく大きく見えた。

 「キレーだな!ほら来いよ!て、ここ恵菜んちだからこれが普通か!」

 と満面な笑みで笑っていた。ベランダに出る一歩手前で立ち止まっていた私は、その笑顔に引き込まれるように、飛び出した。 
 ベランダから外の景色を見るなんて、いつぶりだろう。無駄に景色がいいだけで、塔の上のラプンツェルのように、閉じ込められている気分にしかならなかった。みんなとの距離が遠くて、寂しかった。暖かい家族で、戸建ての家で過ごすのに憧れていた。なのに柚介がいるだけで、こんなにも明るくなるんだと、柚介の笑顔や横顔が、あの日見た夕日に負けないくらいに眩しかった。




 私の母親は昔から大事にしている漫画がある。アナウンサーをやっていて、小説を好みそうな風貌なのに、母親はある漫画が死ぬほど好きで、いくら引越しをして断捨離をしても、あの漫画だけは決して手放さなかった。
 小さい頃、母親が休日に読んでいて、表紙を見ても英語がまだ分からなかった私は何を読んでいるのか分からなかった。

 「それ何―?」

 と聞くと、母親は

 「これはね、ママの人生のバイブルなんだ〜」

 小さい子供が分かるわけがない「バイブル」という言葉を口にした。その時は何を言っているのか分からずそのままにしていたけれど、中学の頃、母親の部屋に洗濯物を置きに入った時にふと本棚が気になって漫画を手にした。だいぶ年期が入っていて古いなと思った。それほど読み込んでいるということだろう。そこで母親が昔「人生のバイブルだ」と言っていたのを思い出してこっそり読み始めた。読み始めたのはいいものの、私はすっかりハマってしまい、未だに完結していないことにもどかしさを覚えた。  
 その漫画には名言であろう言葉がたくさん綴ってあり、物語も妙にリアルで心を揺さぶりに揺さぶるものだった。苦しくて、辛くて、読み進めれば進めるほど、胸が高鳴った。漫画の世界に入り込んだ様な気持ちになり、私も強く、でも脆く誰かに上手に頼って生きていける様な気がした。中でも私に衝撃を与えた部分があった。
 それは、『シンデレラのガラスの靴はサイズがぴったりなのに途中で脱げてしまったのは、王子様の気を引くためにわざとやったんだと思う』と言うところだ。漫画を読む前はそんなこと一回も思ったことがなくて、12時の鐘が鳴り止むその前に姿を消さないといけなくて、急いだからたまたま脱げてしまったという、シンデレラに起こった鈍臭い悲劇だと思っていたし、それがきっかけで二人は結婚までいったのだから、二人が近づく運命の手助けだと思っていた。どうしてプリンセスなのにこんなにも鈍臭い描写があるのだろうと、私なら絶対脱げてもスッと拾って走っていけるのになと思っていたけれど、もしかしたら王子様の気を引くためにわざとやったのかと思ったら、すごく納得がいった。
 シンデレラでさえ、王子様の気を引くために行動しているのに、こんなちっぽけな偽ラプンツェルは何をやっているんだろうと思った。気を引くために何かするとか恥ずかしい。好きな人の前で可愛らしく振る舞うとか恥ずかしい。そう思って、振り向いてくれない王子様を、後ろから指を咥えて睨みつけることしか出来ていない事に気がついた。
 その辺りからだったと思う。私は柚介の為に髪の毛を伸ばし始めた。それは少しでも女の子らしく見てもらうため。スカートも少しだけ短く履いて、柚介が前に好きだと言っていた金木犀の香りを身につけた。すると、王子様は少しだけ振り向いてくれた。

 「あれ、この匂い」
 「な、何」
 「香水付けてる?」
 「うん」
 「俺この香りめっちゃ好き」
 「へ、へー。そうなんだ」

 少し近づいた距離が、嬉しかった。中学生で香水なんてませているのかもしれない。それでもよかった。学校に使うのはおかしいのかもしれないけれど、そんなのどうでもよかった。いつもとは違う私を感じて欲しかったからだ。ほんの少しだけ、王子様は振り向いた。それでもそんな時間は長くは続かない。匂いは慣れるものだ。一時を過ぎると、王子様はまた前を向いてしまった。そんな頃に私は、柚介に漫画の台詞を口にした。柚介がどう返してくるか気になったからだ。

 「ねえ、柚介、もし私が死んだら一緒に死んでくれる?」

 柚介は目をまん丸くしていた。当たり前だ。付き合ってもいない、思い合っているわけでもない相手からこんな意味深い質問をされたのだ。驚いて当然だった。なのに柚介は意外にもすんなり質問に答えた。

 「俺はー、恵菜が死ぬ原因を潰しに行く。だから俺たちは死なない」
 「病気になったら?」
 「俺が医者になって治してやる」
 「事故に遭ったら?」
 「俺が守ってやる」
 「自殺したら?」
 「させない」

 最後の言葉だけ、私の言葉にくい気味で答えてくれた。
 漫画には「いいよ」の三文字だけだったけれど、私たちのこの形もたまらなく嬉しかった。