朝、学校に着いてまず一つ最悪の事実が分かった。
 「おはよう蒼唯!もう体は大丈夫なんだね!」
 「……うん。おかげさまで。というか、僕ら同じクラスだったんだね」
 「え!?それは酷くない?もう秋だよ?!」
 まさか紫音が同じクラスだったとは……。
 僕が今までいかにクラスメイトを見てこなかったというのがよく分かった。
 紫音の言っていた通り、もう秋だというのにこんなに目立つ人を認識してなかったことはさすがに自分を疑った。
 でも、よく考えれば僕は普段からどの心の声がどの人の声なのかを認識しないために極力人の顔は見ないようにしていたし、人の話し声は聞き流すことを徹底していたからありえないことではない。
 心の声でなにか言われてもそれが誰か分からなかったら心へのダメージが少ないのだ。
 だって、その人の顔を見る度に僕が嫌な気分にならなくて済むから。
 ただ、それがここにきてマイナスに働くとは……。
 確か彼女はクラスでここ二日間の午後登校の理由を「命の恩人のため」と言っていたはず。
 そして、今まで微塵も関わりがなかった僕なんかに朝、扉を開けて直ぐに紫音が話しかけに来たら教室にいる人たちがどう思うかなんてすぐに分かる。
 (え、あれが紫音が言ってた命の恩人!?めっちゃ陰キャじゃん。てか、クラスにあんな子居たんだ)
 (紫音そういう男がタイプだったとか意外〜!というか、同じクラスなのウケる!)
 (あいつ、俺の後ろの席でずっと寝てる奴か?なんであんなやつなんかに紫音さんが……!)
 (あいつ程度なら俺の方が……!羨ましい!)
 女子からは精神的にきつい心の声が入り、男子からは身の危険を感じる声がチラホラ聞こえる。
 というか、自分のせいとはいえ誰一人僕の存在を明確に覚えている人がいないとは……。
 僕も紫音が同じクラスと分からなかった程だから人のことを言えた立場ではないのだけれど。
 やっぱり学校なんて来なければ良かった。
 「てか、なんで話しかけに来たの!?僕、あんまり人と関わりたくないって話したよね?目立ったりしなくないんだけど?」
 「いいじゃん!これくらいなんともないよ!」
 「僕にとってはあるんだよ!!」
 周りに聞こえないように話すと紫音もそれに乗ってきて二人して小声で話す。
 本当にこの空気をどうしよう?!
 僕がなんか言ったりするのは逆効果だよね?
 さっきから本当に身の危険を感じる言葉も聞こえるんだけど?!主に男子から!
 紫音ってこんなに人気だったのか。だったら、紫音はもっと自分の影響力というものを自覚してほしい。
 すると、僕らが話している扉の方に大柄で小麦色の肌をした男の人と、ポニーテールで色白のスレンダーな女の人が教室の席から寄ってきた。
 「紫音、こいつがお前が前言ってた『命の恩人』とやらか?」
 「そうだよ!事故に遭いそうなところを助けてくれたの!」
 「紫音危なっかしいから事故に巻き込まれそうになるんだよ。もっと気をつけて!」
 「私も一応助けに入った側なんだけどね?!」
 「え?そうだったの?」
 クラスメイトであろう女の子が僕の方を見て言った。
 「確かに、しお……花宮さんは小学生を助けようとしてましたよ」
 (蒼唯。次、上の名前で読んだら蒼唯のこと学校中に話して回るからね)
 心の声で紫音から思ったより真面目なトーンで脅されて背筋がピンッと伸びた。
 恐る恐る紫音のことを見ると……なんというか、怖い顔をしてた。
 それから、紫音の鋭い眼光が僕を射抜いて思わず目を逸らす。
 何も知らないクラスメイトからしたら僕なんかと紫音のような人が下の名前で呼び合っていたらどう思われるかなんて分かるでしょ!っと突っ込みたかっけどこれ以上言うと本当に学校中に僕の話を広めそうなので言う通りにすることにした。
 「でも、紫音が事故についてあんまり教えてくれなかったから紫音が飛び出したんだと勝手に勘違いしてた」
 「教えてくれないっていうか学校にいる時間が少なかったからな」
 「確かに」
 男の人の声は低いけど、どこか人の良さが滲み出ているような、人懐っこい大型犬のような人という印象に対して女の人はよく見たらスカート折ってるし、ノリが軽い感じがする。……ちょっと怖い。
 「蒼唯ももう体は大丈夫なのか?」
 「え、あ、はい。というか、名前……」
 「比奈蒼唯だろ?窓側の後ろの角席の。もちろんクラスメイトの名前くらい全員分覚えてるって!」
 僕より頭一つ分高い彼は熱血な雰囲気ながら爽やかにはにかんだ。
 僕が聞きたかったのはいきなり下の名前で読んできたことについてだったんだけどなぁ……。
 クラスメイト全員の名前覚えているのも十分すごいことなんだけど。
 まさか、このクラスに僕の下の名前まで覚えている人がいるとは。
 「もちろんとか言うけどクラスメイト全員の名前全員とか、あんただけだからね?」
 「普通春までには全員覚えてるだろ?」
 「大輝君すごいね!私もみんなの上の名前までなら言えるんだけどなぁ」
 「紫音のそれも十分すごいことだからね?」
 三人の会話は次第に盛り上がっていき、僕はあっという間に置いてけぼりになってしまった。
 こういう時ってどうするのが正解だろうか?
 席に行っていいのか?一番角が立たない行動はなんだろう?
 思考停止しそうになりながら突っ立っていると紫音に大輝君と呼ばれていたクラスメイトがこっちにようやく気づいてくれた。
 「そういえば今まで俺たち、なんだかんだでまだ喋ったこと無かったよな!改めて俺は加賀(かが)大輝(だいき)。大輝でいいぜ」
 「私は佐倉(さくら)乃々(のの)。好きな呼び方でいいよ」
 「……比奈蒼唯です。よろしく」
 「二人は私の中学校からの友達だよ!」
 大輝君が右手を出してきたので僕も手を取る。
 彼の手は運動していない僕なんかよりずっと硬くてゴツゴツしていた。
 体格的に野球とか、なにかスポーツをしていたのかもしれない。
 相変わらず大輝君の笑顔は眩しかった。
 笑顔が素敵な男性とはこういう人のことなんだろうなと腑に落ちた気分だった。
 だけど、申し訳ないが正直に言ってしまえばこの状況は厄介そのものだった。
 この二人はいい人だ。今話している表面上でも、心の声を聞いていてもそれが分かる。
 人の愚痴やら悪口やらが二人からは一切出てこないのだ。
 でも、人間関係というのは話している本人同士だけのものではない。
 それを見て、他の人がどう感じるかも、また人間関係なんだ。
 見ている人だけではない。誰と誰が話しているという噂話を聞いた人もまた、当人達に色々な感情を抱く。
 人間関係というのは複雑に絡み合う糸のようなものなんだ。
 決して人には推し量れない、無限に広がっていくもの。
 だから紫音はさておき、この二人とはこれ以上関わることはできない。
 他の人の心の声を聞く限り、大輝君も佐倉さんもクラスでは人気者のようだし、廊下を歩くだけでも僕とこの三人が話していたという噂話を聞いた人は僕に色々なことを思うだろう。
 紫音が僕に駆け寄ってきたときのクラスメイトの反応しかり、それは決していい感情ばかりではないはずだ。
 だから、これ以上深く関わるのは辞めておこう。
 話しかけられたら頑張って失礼な態度にならない程度の最低限の会話をしていたら、きっと二人もそのうち僕に飽きて離れていくだろう。
 今だけ耐えれば大丈夫。
 心の中でそう思っていた時だった。
 (蒼唯、聞こえる?)
 紫音からの問いかけが頭に響いた。
 紫音の方を振り向くと目が合い、それで僕が聞いていることを確認したようだ。
 (これから記念すべき第一回目のお手伝いをしてもらいます)
 「え?こんな時に?今じゃなきゃダメなの?」
 「ん?蒼唯なんか言ったか?」
 「え、あ、なんでもないです!」
 小声で紫音に話したつもりだったんだけど、大輝君耳良すぎない?
 佐倉さんは心の中で(なんか言ってた、今?)なんて言ってるのに。
 紫音は心の声で僕に黙っていても思いが伝わる一方で僕が紫音になにか伝えなければいけない時は喋らないといけないのは不便だな。
 教室の中じゃ、僕は紫音と会話しただけで命の危機を感じるというのに……。
 (それで、お手伝いの内容なんだけどね……)
 紫音はもうこのまま喋り続けることを決めたようで、僕も自然体を装ってその声に集中した。
 (実は蒼唯にはこの二人の恋を実らせて欲しいの)
 僕は思わず紫音を二度見した。
 僕は人と関わるのは嫌だとさっきも言ったはずなんだけど!
 (二人は私の大切な友達なんだ。だから、二人が幸せになるところをこの目で見たいの)
 紫音は明るく、分け隔てない性格の通り、友達も多いだろう。他の人からの心の声でもそうなのが分かる。
 でも、そんな紫音が二人を『大切な』友達とするということは二人は特別な存在なのだろう。
 力になってあげたい気持ちはもちろんある。
 ただ、僕は……。
 (もちろん、それには私も協力する!二人で成し遂げるんだよ!人と関わるのが怖いくても私が隣にいるから大丈夫。だからお願い!)
 紫音のその必死なお願いに僕は嫌とは言えなかった。
 この件といい、事故から人を庇ったりとなんだかんだ僕ってお人好しだったのかな?
 人と関わることがないから初めてそんなことを思った。
 大輝君と佐倉さんが二人で喋っている横で僕は黙ったまま紫音の方を向いて渋々頷いた。
 すると、紫音の顔は途端と明るくなり、今にも飛び跳ねそうに身震いをした。
 「さぁ、二人ともそろそろチャイムなるから席ついて!蒼唯も呼び止めてごめんね!」
 「確かに病み上がりを呼び止めて悪かったな。万が一辛くなってら相談してくれよな!」
 「改めて紫音のことありがとね!」
 紫音に背中を押されながら去っていく二人に手を振りながら自分の席に向かう。
 まだ登校しかしてないのにこんなに話したのも久しぶりでなんだか疲労で体が重い気がした。
 一限目のチャイムも鳴り、号令に合わせて頭を下げた時に、紫音からの心の声がまた頭の中に響いた。
 (蒼唯なら、二人の好きな人を心の声を聞いてたら分かるでしょ?)
 紫音の言葉通り、僕なら二人の好きな人を簡単に知ることができる。
 というか、二人の好きな人なら既にもう分かっている。
 ただ、この恋はちょっと……いや、非常に複雑なようだった。