心の読める僕が君に出会って変わった物語

 「紫音!」
 病室のドアを開けると紫音は白いベッドの背もたれに体を預けるように力なく座っていた。
 「蒼唯……授業はどうしたの?まだお昼だよ?」
 「すっぽかしてきた。紫音が倒れたって聞いて心配で」
 そんな中でずっと返事が来なかったブレスレットが突然震え始めたらすぐに向かうに決まってる。
 「もう大丈夫なの?」
 「……うん」
 「そんなわけないでしょ。ならなんでそんなに泣きそうな顔をしてるんだ」
 「泣いてなんかない」
 紫音は強がって目の下に溜まっていた涙を拭った。
 いつもそうだ。紫音は肝心な時に話をはぐらかそうとする。
 「紫音。何があったの?」
 「だから、何も無いって」
 紫音の口調は珍しく強気だった。
 多分僕もそれに触発されてしまった。
 僕らの口調は徐々にエスカレートしていく。
 「何もないことはないでしょ?大輝や乃々さんもずっと心配してたんだよ」
 「そう。なら二人にも大丈夫だよって言っといて」
 「だから、大丈夫なんかじゃ……」
 「もううるさい!」
 初めて聞く紫音の怒号だった。
 途端に病室は静寂に満ち、窓からの風と紫音の鼻をすする音だけが響いた。
 「何も知らない人には分からないよ……」
 僕は何も言えなかった。
 最近聞こえていた紫音の心の声は病室に入った時から何も聞こえていなかった。
 それだけ紫音と僕の間に心の壁ができてしまっているんだ。
 「ごめん……配慮が足りてなかった」
 僕はすぐに謝ったけど、紫音はずっとワナワナと震えていた。
 「蒼唯、今日で『お手伝い』は終わりにしよう」
 「えっ……」
 「蒼唯だって、この日をずっと待ち望んでたでしょ?」
 「それは……」
 確かに最初紫音に『お手伝い』をお願いされたときはすぐにでも辞めてやると思っていた。
 でも、紫音と色んなことして、色んな場所に行って、心から信用できる友達もできた。
 だから今はそんなこと思っていない。
 それに……僕は紫音に恋をした。
 ルールに反していると分かっていてもその思いは止められなかった。
 心を読む力を手に入れて、人を信じることができなくなって、灰色で止まっていた僕の時間を再び進めてくれたのは紫音。誰でもなく君なんだ。
 「ルール二、『お手伝い』が終わったらそれまでのことをきれいさっぱり忘れること。覚えてる?」
 そんなこと言わないでくれ。
 僕はやっと人と過ごす楽しみを見つけたところなんだ。
 やっと君が好きだと分かったところなんだ。
 「もうここには来ないで。そう二人にもそう伝えて。今までありがとう。それじゃあ」
 僕が何か言う隙もなく、紫音に病室から追い出されてしまい、閉められたドアの前に立ちつくした。
 なんでこうなってしまったのだろうか。
 紫音の身に一体何があったのだろうか。
 さっきから振動しているスマホを見ると大輝や乃々さんから大量のメッセージが届いていた。
 「紫音は無事なのか?」
 「紫音は大丈夫なの?!」
  二人からのメッセージは紫音のことで同じような言葉ばかりが送られてきていて、僕はなんて返せばいいか分からずスマホも乱暴にポケットに閉まった。
 「あら紫音ちゃんのお友達?今から検査の時間だから後でもいいかしら」
 近づいてくる看護師さんに気がつかず、下を向いていた顔を持ち上げる。
 目の前には薄いピンクの服を着た、おばちゃん看護師と若い一つ結びの看護師の二人が立っていた。
 さっき話しかけてくれたのはおばちゃん看護師の方で、気さくな人のようで普段の紫音となら会話が弾みそうだなぁとぼんやり思った。
 「すみません……」
 「いいわよ。私はこの子をエントランスまで送ってくるからその間は紫音ちゃんのこと任してもいいわね?」
 「はい。分かりました」
 「それじゃあ僕、行くわよ」
 若い方の看護師に指示を出すとおばちゃん看護師は僕の背中を半ば強引に押して足を動かせた。
 (紫音ちゃんの友達だなんて酷な事ね……。全部忘れられてしまうと言うのに。ただの高校生がこんな思いをするなんて)
 全部忘れる……?
 どいうことだ。
 紫音の入院は怪我や病気が原因じゃないのか?
 「あの……紫音ってどこが悪いんですか?」
 そういうとおばちゃん看護師は怪訝そうな顔をした。
 (何も知らないのね……。なら、教えてあげることはできないわ)
 「ごめんなさい。それは言えないの」
 おばちゃん看護師はそれ以上は心の中でも紫音の身体のことには言及しなかった。
 多分今の僕の発言でこの人と僕の間にも心の壁ができてしまったんだ。
 (ごめんね、蒼唯……寂しいよ……)
 押されながら病室を離れているとそんな紫音の声が僕の頭に響いたが、今の僕には紫音に確認を取る術もなかった。