心の読める僕が君に出会って変わった物語

 「やっぱり居た!乃々だ……」
 乃々さんは学校から一番近くの海の防波堤に一人座っていた。
 潮風が僕らの髪を撫で、光は雲に隠れ海はまるで灰色の世界のようだった。
 乃々さんはそんな灰色の海をじっと見つめている。建物の塀の影に隠れて見ている僕らにはまだ気づいていないようだ。
 「蒼唯はまだしも、大輝はよく分かったね」
 「あいつ、落ち込むことがあるといつもここに来るんだ。俺を励ますときにもよくここに連れてきてくれた」
 大輝はきっと何度もここで乃々さんに話を聞いて、助けて貰ったんだろうな。
 乃々さんを真っ直ぐ見つめている目を見れば二人が並んで話している姿が想像できてくる。
 「おい乃々!」
 落ち着いていたのも束の間。そう大輝が声をかけようとしたのを見てに慌てて僕と紫音で慌てて口を塞ぐ。
 「馬鹿!今不用意に寄って行ったらさっきと同じことになるでしょ!」
 「お……おう。そうだな、悪い冷静さを失ってた」
 良かった。大輝も落ち着いてくれたみたいだ。
 でも、乃々さんの状況は全然良くない。むしろ悪化している。
 乃々さんは今、足を海側へ下ろして座っている。言ってしまえば少しでも前にズレれば海に落ちてしまう場所とも言える。
 どんなことが彼女の起爆剤となるか分からない。
 慎重にいかないと。
 「でも、だからといってどうする?」
 乃々さんに見つからないように少し離れた建物の影で小さな声で話す。
 「情けないけど、俺は今乃々の隣に行っても何もできる気がしない……」
 大輝はまだ、乃々さんがこうなったのは自分のせいだと自責の念にかられている。
 今行っても乃々さんをどうこうできそうにないのは確かに同意だ。
 だけど……。
 「なら私が!」
 「それはだけはダメだ」
 「蒼唯?!なんで?私は乃々ちゃんとは中学の頃からずっと一緒に居るんだよ?!今行かなくてどうするの!」
 でも、紫音だけは行かせちゃダメなんだ。
 今の乃々さんが一番会ってはいけない人は紫音。君なんだ。
 「ねぇ!蒼唯なん……で……」
 「ごめん。言えない」
 多分僕の酷い顔を見て紫音は察してくれたのだろう。
 紫音にそんな顔をさせたかったわけじゃなかったんだけどなぁ。
 「お願いだ。紫音。君だけは行ってはいけない」
 「……分かった」
 紫音は渋々ではあるが引き下がってくれた。
 「じゃあ、どうするんだよ?俺も紫音も無理って」
 「今から乃々ちゃんと仲がいい子呼び出してみる?」
 「今授業中だぞ?!」
 「友達のためなら来てくれるでしょ!」
 「それまではどうするんだよ!その間に乃々が飛び込みでもしたら……」
 二人の言い合いが徐々にエスカレートして、声も大きくなっている。
 二人だって余裕が無いんだ。
 覚悟を決めないと。
 僕は大きく息を吸って深呼吸をした。
 「僕が行くよ」
 そう言うと、僕らの周りの空気が凪いだように静まった。
 僕だって今まで、こんな僕にも優しくしてくれた乃々さんを失いたくなんてない。
 人のことが嫌いだと散々言っておきながら、僕は大輝と紫音。それから乃々さん。皆のおかげで人と居て楽しいと思えるようになったんだ。
 僕はまだそのお礼も言えていない。
 「蒼唯……お前……」
 「大丈夫。僕は心が読めるから最悪何かあっても行動を起こす前に何とかすれば……」
 言い切る前に大輝は僕を思い切り抱きしめた。
 男の抱擁というやつだ。
 「ありがとう……お前なら大丈夫だ」
 涙を流す大輝に困惑して紫音に助けの目線を送る。
 「そんな建前なんて言わなくてもいいんだよ。友達が困ってるから助けたいんでしょ?」
 僕は唇を噛んだ。
 この後に及んで僕はまだ怖がってたみたいだ。
 心が読めるようになって、人と深く関わるのが怖くなった。
 紫音と、皆と出会うまで僕は人を避けて、自分を隠して生きてきた。
 友達を大切に思うことってこういうことなんだってことを今になってようやく実感できた。
 「うん。行ってきます」
 「乃々ちゃんのこと、頼んだよ」
 大輝と紫音に背を押されて僕は乃々さんの方へと一歩足を踏み出した。
 覚悟は決めたし、二人にも僕が行くと堂々と宣言しておきながらも乃々さんにどうやって声をかけるのが正解だろうかと頭をフル回転させた。
 そもそも僕は今でも人に自分から声をかけに行くことはほとんどないというのに。
 その上、乃々さんがヤケにならないように気にしながら話すことが必須条件だ。
 いざ一歩目を踏み出すとあれやこれやと考えてしまう。
 僕にできるだろうか?
 そう考えていた時に、乃々さんの声が頭に響いた。
 それを聞いて僕はどうするべきかを見つけることができた。
 右往左往していた足を乃々さんの方へと速度を上げて進めていく。
 「お隣いいかな?」
 しばらく返事を待ったけど乃々さんは何も言わず、僕は乃々さんの隣に同じように海側に足をぶら下げて座った。
 (蒼唯、話が終わって乃々ちゃんが大丈夫そうなら合図を送って!)
 紫音からの心の声が響き、乃々さんにはバレないように僕は肯定の意味でブレスレットを一回タップして紫音のブレスレットに振動を送った。
 そこから僕と乃々さんの間には沈黙が続き、海の波の音だけが聞こえていた。
 もっとも、僕にとっては沈黙ではなかったけれど。
 しきりに隣にいる乃々さんの心の声が聞こえてくる。
 ここは人が居なくて静かだから、乃々さんの声がよく聞こえた。
 乃々さんは今悩んでるんだ。
 本人もこの状況をどうすればいいのか分かっていない。
 でも、それもそうか。
 腕を強引に掴んでしまった張本人が一人で隣にやって来て、なにも喋らなかったら確かに気味が悪い。
 無言の時間が三十分を超えた頃、乃々さんは静かに、いじけたように口を開いた。
 「……馬鹿じゃないの。黙ったまま隣にずっと居るだなんて」
 やっと乃々さんは僕の方を見てやっと僕らは目が合った。
 「乃々さんがずっと謝りたいって言ってるのが聞こえたから」
 「はぁ?そんなの言ってませんけど」
 乃々さんは動揺で少し裏返った声で返してきた。
 いつも堂々としてる乃々さんがこんなに慌てているのは初めて見る。
 乃々さんはやっぱり根が素直な人だ。
 「実は僕、人の心の声が読めるんだ」
 それから大輝と同じように僕の持つ力についての話をした。
 乃々さんにも友達として胸を張って一緒に居るためにはいつかは言っておかなければいけないことだと分かっていても大輝の時と同様、やっぱり話すのは少し怖かった。
 拒絶されたらどうしようとか、信じてもらえず戯言だと笑われたらどうしようとか。そんな考えは人に力のことを話そうとする度に何度もよぎった。
 でも大輝の時と同様、乃々さんにならそれでもいいと思った。
 乃々さんからの印象がどうでもいいって話なんかじゃない。
 乃々さんが今抱えているものの重さに比べたら、僕も人にこの力のことを話すという重圧を背負わなければ対等で無くなると思ったから。
 「えぇ!なら私が心の中でウダウダ言ってるのは蒼唯には全部聞こえてたってこと?恥ずっ!」
 でも、乃々さんは僕の話を笑わずに聞いて、信じてくれた。
 それどころか自分が何に悩んでいるのかがバレたのが分かって吹っ切れたみたいだ。
 「あーあ、全部バレてたのか」
 と自虐的に乃々さんは笑って見せた。
 「ごめん。勝手に聞いちゃって」
 「蒼唯が謝ることじゃないよ。だって勝手に聞こえてくるんでしょ?不便じゃないの?」
 「めちゃくちゃ不便だよ」
 「だよねー」
 とりあえず、乃々さんが自暴自棄になってしまう最悪の状況は回避できたみたいだ。本当に良かった。
 心の中でホッと胸を撫で下ろす。
 「……まだそのこと紫音には言ってないんだよね?」
 「誰にも言ってないよ」
 「そっか。さすが蒼唯だ。前々から気遣いのできる人だとは思ってたけどね」
 それは回り回って自分のためのことなのだが、今はそれを言うときではないことくらい僕でも分かる。
 今回はありがたくその言葉を受け取ることにした。
 「蒼唯はどう思う?こんな私の事?」
 どう思う……か。
 僕もこの力についてで確かに悩みを抱えているけれど、乃々さんとは別方向のものだ。
 いや、普通でない人という点では同じなのかもしれないけど。
 「乃々さんは乃々さんだよ。僕が心が読めることを知っても乃々さんは、大輝は、それから紫音も誰も僕に接する態度は変わらなかった。多分それと同じなんじゃないかな。その悩みも全部含めて乃々さんで、僕はそんな乃々さんのことを大切な友達だと思ってるよ」
 「私は私……ね。」
 乃々さんは言葉を口の中で咀嚼するように反芻した。
 大輝の受け売りだけど、僕に響いたということはきっと乃々さんにも響くはず。
 ある日突然、僕は紫音に陽の当たる場所に連れ出された。
 そんな場所で大輝と乃々さんは僕に居場所を与えてくれた。
 そんな彼女に僕は報いたかった。
 「蒼唯のおかげでなんか吹っ切れた気がする」
 乃々さんは明るい顔をして言った。
 「私ね、実は一度女の子に告白して「気持ち悪い」って言われて振られてたの。今でもそのことずっと引きずってた」
 「そんなことがあったんだね」
 大輝の時と同じで、僕は心を読めるのにそんなこと少しも知らなくて驚いた。
 「あの子と今の私の好きな人とでは全然違うのにね」
 乃々さんは自分に諭すように言った。
 「気持ちを隠しても、口にしても私は私でそれ以外のなんでもないんだ。だから報われない恋だと分かっていても私はやっぱりきちんとした形で思いを伝えたい」
 乃々さんは防波堤の上に立ち上がって広い広い海を見て言った。
 「私はやっぱり紫音のことが好き!一人の女の子としてあの子が好きなの」
 「……そっか。なら、頑張って思いを伝えなきゃね」
 「うん。ありがとう蒼唯」
 僕はブレスレットをもう一度タップした。
 すると離れたところから大輝と紫音が走ってやってくる。
 「乃々ちゃん!」
 紫音は乃々さんに抱きついて涙を流していた。
 紫音は待っている間、乃々さんのことをずっと心配していた。
 それだけ乃々さんのことが大切なんだ。
 「乃々!」
 大輝も言いたいことはたくさんあるだろうけど、今は乃々さんと紫音を二人きりにしてあげたかった。
 「大輝」
 「蒼唯?!なんで!」
 「……頼むよ」
 僕は大輝の背中に手を添えて、二人から離れていく。
 大輝もそんな僕を見て何かを察したようで寂しそうな目をしながらも僕の誘導にしたがって歩いてくれた。
 (蒼唯ありがとう。私頑張るよ)
 二人きりになった紫音と乃々さんを尻目に僕は大輝に今まで乃々さんが抱えていた思いを伝えた。
 女の子である乃々さんが同じ女の子の紫音に恋をしていること。
 それが普通じゃないと分かっていたし、過去のトラウマもあり、今まで自分の中で押し殺していたこと。
 そして今、その思いに終止符を打つために紫音と二人きりにして欲しかったこと。
 それを聞いた大輝は「そっか」とだけ言って二人のことをじっと見守った。
 「乃々が俺じゃない誰かを好きなのは、何となくだけど分かってたし、実際に本人からもそう聞いてた。でも、それが紫音だったなんてな」
 「……驚いた?」
 「驚いたよ。でもそれを俺たちに言って何か言われるかもしれないと思われていたことに一番驚いた。この中に乃々を否定するやつなんて居るはずないのにな」
 大輝らしい言い分だけど、その顔は大輝らしくは無かった。
 (くそっ……。俺も初恋だったのになぁ)
 涙を流す大輝に僕は肩を寄せ、背中をさすってあげた。
 この程度しかできない自分の無力さに少し腹が立った。
 「蒼唯の前では、振られてもないも変わらないとかかっこつけてたくせにいざその時になったらこれだよ。ほんとダセェな、俺」
 「今の大輝がダサいもんか」
 自分の好きな人が告白するっていうのに、今の大輝は本気で乃々さんのことを応援している。
 心の声でもそれが伝わってくる。
 そんな人に誰がダサいなどと言おうか。
 「でも、蒼唯。お前もお前だぞ」
 涙を止めた大輝は唐突にそんなことを言い出した。
 「え?どういうこと……」
 大輝はやれやれといった顔でため息をついた。
 僕はなにかやらかしてしまったのだろうか?
 「心が読めたってここには誰も蒼唯を拒絶するやつなんて居ないんだから、もっと俺らのこと頼ってくれていいんだからな」
 大輝は照れ隠しで僕の方は見ないように乃々さんと紫音の方を凝視していた。
 僕は人が嫌いだった。
 病室で紫音に出会い、大輝と出会い、乃々さんと出会うまでは。
 小さい頃に人の心が読めるようになり、人が隠している本音が全部僕の頭の中に昼夜問わず一日中響くようになった。
 笑顔の裏で悪口を言ってる人、友達を応援している裏で自分のために負けろと祈っている人、人の人生をめちゃくちゃにしてやろうと画策している人、そんな人達の声がずっと聞こえてくる生活を送ってきた。
 人を信じられなくなって、嫌われるのが怖くなって、人との関わりを絶った。
 でも最近になってやっとそうじゃない人もいると知った。
 根から優しい人もいると知った。
 人のことを心から応援できる人がいると知った。
 乃々さんは僕にお礼を言ったけど、お礼を言いたいのは僕の方だ。
 暗い影にいた僕に光を教えてくれたのは紛れもなくみんななんだよ。
 「そして、次は蒼唯の番だぞ?」
 「僕の番?なんのこと?」
 「とぼけたって無駄だぜ。蒼唯は紫音のことが好きなんじゃないのか?」
 「僕が……紫音を?」
 『お手伝い』のルールで僕らはお互いに恋をしてはいけない。
 実際に僕は紫音に恋をしているつもりはないけれど……。
 「蒼唯は紫音といる時は俺や乃々といる時よりもいつも楽しそうに笑うからそうだって思ったんだけど」
 僕が笑ってる?
 あまり自覚はなかったけどそうなのだろうか?
 「なぁ、蒼唯は紫音のことどう思ってるんだ?」
 「僕は紫音のこと……」
 返答に困った。
 そんなこと今まで考えたことがなかったから。
 ただ、『お手伝い』があるから紫音と一緒に過ごす時間が増えて、紫音と一緒にいることが僕の中では当たり前に近い感覚になってしまっていた。
 「今答えを出さなくてもいい。けど、いつかちゃんと決断しないと後悔することになるぞ」
 「……うん」
 考え込んでいると僕のブレスレットが振動した。 「乃々!」
 それを合図に、大輝に声をかけると大輝は走って二人の方へ行ってしまった。
 乃々さんは紫音に抱きついたまま泣いていた。
 結果的に乃々さんは紫音に振られてしまったらしい。
 でも、紫音は友達として乃々さんのことが大好きだと言って二人はハグをして、乃々さんは紫音の腕の中で涙を流していた。
 結果的に見れば乃々さんと大輝、二人は失恋したことになる。
 でも、二人とも暗い顔はしていなかった。
 むしろ、肩の荷が降りたような顔だった。
 長い間、自分の中に蔓延っていた気持ちがきっと発散されたのだ。
 『失敗することっていうのは無駄な事じゃないんだよ?』
 一年前にショッピングモールでの帰り道に紫音言われた言葉が頭をよぎる。
 あの時は紫音の言う通り、僕にはその言葉の意味が分からなかったけど、二人を見て、そしてなにより僕自身の体験で分かった気がする。
 僕は今まで、「どうせ無理だから」と色んなことをやらないまま諦めてきた。
 紫音はきっと『行動すること』自体に意味があると言いたかったのだ。
 行動してみて、僕は無理だと思っていた友達作りをすることができて、今目の前には僕のことを理解してくれている友達がいる。
 二人だって成功はしなかったけど、自分の抱え込んで悩んでいたものを軽減できたように見える。
 それは実際に行動を起こして初めて得られた結果なんだ。
 そのことにやっと、なんとなくだけど気がつくことができた。
 「あぁ、そうだ。蒼唯と紫音に言い忘れてたことがあるの」
 乃々さんは涙を拭いて僕らの腕を交互に見た。
 「そのブレスレット、最高に似合ってるよ」
 紫音はもう一度乃々さんを抱きしめた。
 さっきまで曇天だった海も今は光が差し込んできて明るくなって僕らを照らしているように見えた。
 「乃々ちゃんに何事もなくて良かったね」
 「本当にそれに尽きるよ」
 紫音と二人の帰り道にしみじみと言う紫音に思わず深く頷いた。
 結局、乃々さんが落ち着いた後は僕らは大人しく学校に戻りこっぴどく叱られた。
 その後四人仲良く欠席した授業分の補習を受け、辺りはすっかり夕日に染まっている。
 「紫音は乃々さんの告白受け入れなくて良かったの?」
 紫音にとっても乃々さんは他の友達と違ってより距離も近かったし、『お手伝い』として乃々さんの恋を成就させたいと願うほど乃々さんのことを大切に思っていた。
 紫音の心の声が聞こえないからそれが恋愛感情かどうかは分からないけど紫音にとって乃々さんは特別なのに違いないはず。
 「乃々ちゃんのことはもちろん大切で大好きだよ。でも多分私のこの好きの気持ちと乃々ちゃんの好きの気持ちは違う。私は友達として紫音のことが大好きなの。なのにそんな気持ちで乃々ちゃんの気持ちを受け入れてしまったらそれこそ不誠実だよ。私は乃々ちゃん達とはお互い対等で大切に思い合える存在でいたい……それに私は恋人なんて作る気ないから」
 紫音が決めたルールの中でも『お互いに恋をしないこと』というルールがあったように紫音は昔に恋愛関係で何かあったのだろうか?
 紫音は歪で少し苦しそうな顔で笑っていた。
 「でも乃々ちゃんと大輝の両方が立ち直ってくれて良かったよね」
 パッといつもの笑顔になり、露骨に話を逸らしてきた紫音に僕は何も言わなかった。
 出会った時から紫音にはそういう節があった。
 紫音本人は自覚してないだろうけど、紫音は人に嘘こそつかないけど都合が悪くなったり言いにくいことがあったらすぐに有耶無耶にして話をはぐらかす。
 紫音が心を読ませないようにしている以上、その秘密を聞くには紫音の口から聞き出さないといけないがそんな酷な事をお願いすることは僕にはできないからいつもこうして紫音に流されている。
 いつか、僕も紫音の力になれたらいいのだけど今の僕にはできそうにもないから今回も大人しく紫音に流されておくことしかできない。
 「二人とも本当に強い人だよ。でも紫音のおかげでもあるでしょ?」
 あの後も乃々さんは僕らに対して責任を感じていたみたいだけどそこはさすがコミュニケーション強者の紫音と大輝と言ったところで下校する時には二人のおかげですっかりいつも通りの乃々さんに戻っていた。
 下校も今日は部活がオフだからと大輝が乃々さんを家まで送って行ってくれるみたいで僕らも安心して二人を送り出せた。
 大輝だって傷心中だと言うのに、本当に彼は良い奴 人だ。
 一方紫音と僕も今日は駅まで一緒に帰る約束をして帰路に着いた。
 「二人が居てくれたから乃々さんも変に責任を感じずに済んだし本当に助かったよ」
 「蒼唯だって乃々ちゃんのことずっと気にかけてたし、乃々ちゃんが今何を気にしているのかを逐一教えてくれたから私達もベストな対応ができたんだよ?」
 「この力が役に立つこともあるんだね」
 「何言ってるの?私達が出会えたのもその力のおかげでしょ?」
 そういえば、紫音と出会ったきっかけは心の声で助けを呼ばれたからだったな。
 今までこの力を理由に引きこもり、何もしてこなかった僕にとって紫音と出会ってからの一年間はあまりにも濃い日々で僕らが出会ったのが昔のように思えてしまう。
 「蒼唯、すごく変わったよね?」
 「僕が……変わった?」
 「うん!自分で思い当たる節が無いわけじゃないでしょ?」
 確かに考えが変わったという意味なら僕は紫音と大輝と乃々さんの三人のおかげで多くの価値観が変わったかもしれない。
 紫音のおかげで今までしてこなかった数多くの経験をした。
 大輝と乃々さんのおかげで学校生活が少しだけ楽しくなった。
 それから時には失敗してもいいんだと分かった。
 二人の恋は実らなかった。
 けど、二人の告白に意味が無かっただなんて僕は言いたくなかった。
 それぞれが自分の秘めていた思いを口にして相手に、それから自分に真摯に向き合った。
 つまづいても、思い通りにいかなくても紫音が一年前に言ったように『行動する』ことに意味があることを知れた。
 これは僕一人だと気がつくことができないことだった。
 「なに?蒼唯くんはだんまりなの?」
 「……うるさい」
 「照れ隠しじゃん!」
 ここぞとばかりにからかってきて……!
 ケラケラと笑っていた紫音も深呼吸をすると夕方の空を感慨深そうに見上げた。
 「そういえば、私の心が読めない理由分かったの?」
 確か、僕がまだ入院して頃……。
 ―― 本当にいったいどうやってるの、それ……
 ――さぁ、当ててみる?
 あの時の僕には検討もつかなかったけど、最近では心が読めない時のとある規則性に僕は気がついていた。
 大輝の中学生時代の話や乃々さんが告白した話にはある共通点があった。
 それはそのことを二人は他の人に知られたくないと思っていたということ。
 二人はその話題について文字通り、心を閉ざしていたんだ。
 もっとイメージしやすくするように言うと――
 「僕とその人の間に『心の壁』があったんだ」
 今まで僕が聞いていた心の声は知られることを強く拒絶する『心の壁』がない情報だった。
 本当に知られたくない話題については『心の壁』が邪魔をして聞こえないようになっていた。
 「紫音は僕に心の声を聞かせたくない時は意図的に僕が心の声を聞くことを強く拒絶して、心を閉ざしていたんだ」
 「大正解!よく分かったね」
 「だからといって、それを辞めさせる手段もないんだけどね」
 強いて言うなら心の壁が無くなるくらい拒絶されなくなって、文字通り心を開いてくれるようになったら聞こえるようになるかもしれないけど、いくら最近少しづつ心の声が聞こえるようになったからと言って、その原理をとうに知っていて一年間やり通して来た紫音にはその手は通じないだろう。
 「残念だったね」
 紫音はいたずらっぽく笑った。
 「でも、二人の告白するのを応援しようって始めた『お手伝い』がまさか一年も続くなんてね」
 「……そうだね」
 事故に会ってから紫音を殺人鬼だと勘違いしたことで始まったこの『お手伝い』。
 僕に貸された一番大きなお手伝いの『大輝と乃々さんの恋を成就させる』というのも、成就こそしなかったものの、大輝と乃々さんの本人二人が納得のいく結果に終わった。
 ……ってことはだ。
 「――これで『お手伝い』も終わりか」
 長くて卒業までと言われて覚悟していたけど二年の秋に終わることになるとは。
 紫音から『お手伝い』だと呼び出されると気が参ってしまいそうなこともあったけどなんだかんだ終わりとなると寂しいものかもしれない。
 でも、ルールではこの関係が終わったら『お手伝い』に関する記憶は速やかに忘れる必要がある。
 それだけが今の僕にはなんだな惜しくてたまらなかった。
 約束を結んだ当時の僕は『お手伝い』の約束を結んだのは、自分の力を周りに言いふらされないためのその場しのぎだった。
 けれど、今は違う。
 紫音に連れたれた日々はなんだかんだ楽しかったし、大輝と乃々さんも僕から心を読める力を教えるくらい信用している……友人だ。
 そんなみんなのことや思い出を忘れることが、果たして僕にはできるだろうか?
 不安になってきて紫音の反応が気になった。
 紫音はこのことについてどう思っているのだろうか?
 紫音の方を恐る恐る見ると紫音はポカンっと呆けた顔をしていた。
 「え?『お手伝い』終わっちゃうの?」
 「え?終わらないの?」
 冗談ではなく紫音は本気で言っているようだ。
 「なんで『お手伝い』が終わっちゃうの?」
 「なんでって、もう『大輝と乃々さんの恋を成就させる』っていう『お手伝い』は果たされたわけで……」
 「あれ?私、それが終わったら『お手伝い』も終わりなんて言ったことあったっけ?」
 「え?」
 その紫音の言葉に僕は必死に記憶を一年前に遡らせた。

 ――卒業まで『お手伝い』は続く予定なの?

 ――それは、私と蒼唯次第かな?早く終わらせたいなら、頑張って二人とも仲良くなってね!

 確かに紫音は早く『お手伝い』を終わらせたいなら、と言っただけで、それが終われば『お手伝い』も終わりなんてことは一言も言っていない……かも?
 「もしかして蒼唯、勘違いしてたの?!」
 あははっ!とお腹を抱えて笑う紫音につい寂しいと思った記憶を消したくなった。
 この人に最初から『お手伝い』をさせる関係を解消させる気は無かったのだろうか。
 「安心して蒼唯。まだまだ『お手伝い』は続くんだからね」
 「……悪魔め」
 恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた僕の顔が秋の風で冷やされたような気がした。
 「じゃあ、そんな寂しそうな蒼唯にさっそく『お手伝い』のお願いをします」
 すると、さっきまでふざけて笑っていた紫音の顔は急に真剣になり、一呼吸間を置いてから僕の目を見て言った。
 「今週の土曜日、大切な場所へ行くのから手伝って欲しい」
 「おまたせ蒼唯!遅刻して本当にごめん……」
 「気にしてないよ。何かあったの?」
 「ううん。本当になんでもないの、気にしないで!」
 「それ紫音が言っちゃうんだ……」
 「なら……寝坊ってことで!」
 「『なら』って……」
 土曜日になり、僕らはお互いの家の最寄りの駅かつ、県内で一番大きな駅に朝九時に集合を約束した。
 だが、紫音が来たのは午前十一時。
 理由を聞いてもはぐらかすばかりでいつも通り、何か隠し事があるのだろう。
 相変わらずこういう時ばかり心の声は読めないし。
 「ほら蒼唯!時間もないしキビキビ動こう!」
 「だから遅れたのは紫音でしょ!……って早歩き速すぎない?!ちょっと待って!」
 人混みをものともしない様子ですり抜けていく紫音を僕は必死で追いかけた。
 幸い、その路線はいつも紫音について歩いているだけの僕にも覚えがあったので道には迷わず、ホームへ向かうことができた。
 僕らの到着と同時に電車も到着し僕らはそれに慌てて駆け込んだ。
 「というか紫音。言われるがままについて来たけど、今日はどこへ向かってるの?」
 電車に乗りこんだはいいものの、行き先を告げられずにどこかに連れていかれるのは今までで初めてなので困惑した。
 今までは突然「ボーリングに行くよ!」とか「隣県の水族館に行きたいから付き合って!」なんて言ってくることはあったけど、逆を言えば紫音は毎回行き先は事前にきちんと伝えてくれていたので今回の場合が『お手伝い』史上初めての出来事だった。
 「言ってもいいんだけど、それを伝えるにはまず私のことを話さないといけない」
 「紫音のこと?」
 紫音はいつも明るい人物である一方で自分自身のことを頑なに話そうとせず、一年間ともに過ごしてなお謎の多い人だった。
 僕らの出会いといい、いつものはぐらかしてくる態度といい、紫音はいつも僕の核心をつくような質問からは逃げているような感じがしていた。
 これは大輝と乃々さんも同様で中学校からの友達である二人も紫音のことをよく知らないでいた。
 これは二人が隠しているとかじゃなくて二人の心を読んでも分からないのだ。
 二人も「そういえば……」と紫音の持ち前の明るい性格で霞んで見えなくなっていただけで、僕らはあんまり紫音のことを知らなかったんだなというのを知った。
 「面白くもないだろうけど私の昔話、聞いてくれる?」
 「うん。もちろん」
 紫音は一つ大きく深呼吸をした。
 各駅停車のこの電車はホームで止まり、「他の車両との運行の関係で今しばらくお待ちください」が後ろから聞こえてくる。
 深呼吸を終えた紫音の手は微かに震えていた。
 僕はそれを見逃さなかった。
 (なら、ここからは少し重い話になるから心の中でにするね。……それじゃあ、蒼唯には聞いてほしい。私の過去について)
 僕の方へ向き直った紫音に僕も背筋が伸びた。
 (今日行くのは、私のお母さんのお墓参りなんだ)
 お墓参り?!
 つまり紫音のお母さんは……。
 (私のお母さんは私が小学生低学年の頃に癌が原因で亡くなったの。悪性の肺がんで、この辺りで一番大きな病院を紹介してもらって全力で治療に当たってもらったけど、お母さんはこの世を去った)
 実を言うと死についての話は僕にとってすごい遠い話では無い。
 心を読めるという力を持っていると、道を歩くだけでも誰かの死が原因の傷を持っている人をよく見かける。
 でもそれは、言い方は悪いかもしれないけどあくまでどこの誰か分からない人の話。
 紫音ほど身近な人がこんな傷を抱えていたことはない。
 僕はどう反応すればいいか分からなかった。
 それと同時にあることにも気がついた。
 僕が事故で入院した時、何故紫音が僕の病室にすぐに来ることができたのか。
 この辺りで一番大きい病院と言えるのは僕が入院していたあのショッピングモール裏の病院だ。
 きっと紫音もお見舞いのために何度もあそこに通ったのだろう。
 そこの医者の先生や看護師さんと顔見知りでもおかしくはなさそうだ。
 (今向かっているのは私たちの住んでるところの二つ南の街。母さんが生まれた故郷で、私たち家族が昔住んでいた家があるところだよ)
 そして、紫音のお母さんのお墓が安置された場所。
 紫音にとって思い出も深い場所なんだろう。
 (今住んでいる家はお母さんが亡くなって、お父さんの職場に近い場所に引っ越した家なの。当時の私はまだ小学生だし、お母さんの実家の祖父母はもう既に他界していて、お父さんの家のおじいちゃんは認知症で施設に、おばあちゃんも老人ホームへ入っているから頼れる人も居なくて、育児と仕事を両立するための選択だったらしい)
 「……大変だったね」
 僕が頑張ってかろうじて絞り出した言葉だった。
 (私は優しいお母さんが大好きだった。お母さんは花が好きでいつも花の匂いがしてて、指先も器用で病室では二人でずっと折り紙を折ってたんだけだどね、毎回私はお母さんのやつと出来を較べてガッカリするんだよね)
 慈しむような、懐かしむような。
 紫音の柔らかく降りた目尻からそんな気持ちを感じる。
 (そんなお母さんに蒼唯を合わせてあげたかったのが理由一つ目)
 「理由一つ目?二つ目があるの?」
 (あるよ。自分でも気がついてるんじゃない?今向かっている場所は蒼唯にも心当たりがあるでしょ?)
 確かに紫音の言う通り、僕らが今向かっている場所には心当たりがあった。
 でも、紫音にとってその場所に行くのはお母さんの墓参りのためという正当な理由があった。
 だから考えなかった。
 そもそもその考えに至ることができるはずがないんだ。
 だって紫音にそのことを話したことはないはずだから。
 (今から向かう場所。それは蒼唯の前の家、つまり蒼唯のお父さんがいる場所だよ)
 紫音には僕が離婚して母に引き取られた話まではした。一年前のショッピングモールの時の話だ。
 でも、引っ越す前の場所まで教えたつもりは無い。
 「ど、どうして……」
 「今はそんなこといいでしょ?」
 紫音は今度は口に出して言ってきた。
 「これはチャンスなんだよ?紫音がお父さんとお話ができる機会なの」
 「そんなことって……」
 いつものように紫音は都合が悪くなるとはぐらかしてきたけど、今の僕にはそれを気にする余裕もなかった。
 「無理だよ……」
 「なんで無理って決めつけるの?」
 「だって僕と父さんが会った時、心の中でなんて言われるか分からない。暴言を吐かれるかもしれないし、ここまでわざわざ来た僕に呆れるかもしれない」
 「そうじゃない可能性もあるでしょ?」
 「ないよ!ならなんで父さんは何年も僕のスマホに何も送ってこない!?」
 僕はスマホで父さんとのメッセージアプリの会話履歴を見せた。
 その画面は空欄だった。
 何年も前からそうだ。
 父さんは連絡先は渡してきたものの、もうとっくに僕を見放しているに違いない。
 だって二人を離婚に追いやったのは他の誰でもない、僕自身なのだから。
 「なら、いっそ何も知らないまま幸せな方がいいじゃないか……」
 僕は情けなく小さな声で絞り出した。
 「なら帰るまで考えてみて。会うのか、会わないのか。蒼唯がこれ以上会わないと言うんだったら私もこれ以上は何も言わない」
 紫音は僕の肩に頭を乗せて静かになった。
 心の声ももう聞こえない。
 紫音は僕に失望してしまっただろうか?
 僕は肩に乗った紫音の頭を押し返すことが出来なかった。
 父さんと会う。
 その想像をするだけで僕の足は鉛のように重くなった。
 もし会ったらどうなるだろうか。
 (お前のせいで俺達は離婚したんだ)とか(何で来たんだ。顔も見たくなかった)とか言われるかもしれない。
 心が読める力なんてなかったら僕だってそこまで考えなくても良かったかもしれないのに。
 思い返してみればいつもそうだ。
 僕をこんな性格にしたのは、僕を絶望させるのはいつもこの力が原因だった。
 なつくんの時だってそうだ。
 小さい頃はそこまでの考えに至らなかったけど、彼のしたことは別に酷いことなんかじゃなかったんだ。
 一緒に遊びに行きたいと言った僕に対してなつくんは実際は口では「いいぜ!」と嫌な顔なんて全くせずに言ってくれた。
 (こいつがいると場がシラケるんだよな)
 それと同時に思っていた心の声を勝手に聞いたのは僕の方だ。
 あの時のなつくんの対応は至って普通の、心の読めない人にとってはとても大人でいい人の対応だっただろう。
 それと同じように父さんも表の顔では子供の僕にいい言葉をかけてくれるかもしれない。
 けど実際にそう思っているかどうかを知れてしまう僕はやはりどうしても行く気が起きない。
 「どうしたの蒼唯?足なんか止めてなんかあった?」
 「え、いやなんでもないよ」
 紫音のお母さんへのお墓参りのために道を歩いているっていうのに急に足を止めてしまうほど僕の意識はその事ばかりに集中してしまう。
 「なんでもないことないでしょ?まだ怖い?お父さんと会うこと」
 「だから、それじゃないって」
 図星をつかれて本当はそうなのに嘘をついた。
 僕は人と話すのも苦手であれば嘘をつくのも苦手みたいだ。
 言い訳を探すように目線を動かすと公園から道路にはみ出した満開の金木犀があって思わず見惚れた。
 「……金木犀を見てたんだ」
 「金木犀?いい匂いだけど、何か思い出でもあるの?」
 紫音は不思議そうに尋ねた。
 「僕が心を読めるようになった時に今まで知らなかった、人の黒い部分に晒されて気分が滅入っている時に僕を慰めてくれた子がいたんだけどその子は僕を慰めるために手の平いっぱいの金木犀の花をくれたことがあるんだ」
 金木犀を見ていたというのは咄嗟に思いついた苦しい言い訳だけどこの話は嘘じゃない。
 僕はもう名前も顔も覚えていないその子に実際に救われたんだ。
 「……可愛いお友達だね」
 「ちょっと待っててなんて言って家まで帰って摘んできてくれたみたいで、帰ってきた時には息も絶え絶えで」
 僕はその時のことを思い出してクスッと笑った。
 「人の負の面を目の当たりにした僕にとって、あれが本当の人の善の面に出会えた瞬間だったんだ」
 「その子は今はどうしてるか知ってるの?」
 「いや、知らない。心を読んだ限りではその時にはもう引っ越しが決まっていたみたいで僕らが出会ったのはその数回きりなんだ」
 紫音は僕の顔を覗き込んでまじまじと見つめた。
 「え、紫音?どうしたの?」
 「……その思い出が今まで蒼唯を支えてきたの?」
 「僕を……支えてきた?」
 僕を見つめたままの状態で紫音は口を開いた。
 僕を支えた?
 そうなのだろうか?
 「そう。だって、そのことを話している今の蒼唯のずっと笑ってるからそうなのかなって」
 紫音は今の僕がそうであるかのようににんまりと笑って見せた。
 手で口角を触ってみると確かに口角が上がっている。
 「そう……なのかも」
 「ほらね!」
 でも、紫音の笑顔はやりすぎだ。
 僕がそんなに笑ったら表情筋がつってしまう。
 「じゃあ、その子は蒼唯にとって特別な子なんだね」
 「……今となっては僕の昔の初恋の人に当たるんじゃないかな?」
 「へぇ、初恋」
 「……なんで紫音がそんなに笑ってるのさ」
 「えっ?私笑ってる?!」
 「笑ってるよ、ニヤニヤ顔でね。そんなに僕が恋愛してたのが意外?」
 今度は紫音が自分の口角を触り、「あれ?ほんとだ?!」なんて一人で呟いている。
 「なんというか……蒼唯にもそういう時期があったんだなぁって」
 「もう!早く行くんでしょ?!」
 未だニヤニヤが止まらない紫音からそっぽを向いて僕は歩き始めた。
 元はと言えば僕が止まったから始まった会話だと言うのに、照れ隠しとはいえ言える立場ではないけど当の本人は気にしていないしそのまま僕は紫音の横を通り過ぎ、前を早足で逃げるように歩く。
 (そこ左だったけど蒼唯には黙っとこ)
 「それをもう少し早く言ってよ!」
 「お母さん、ただいま」
 紫音とお墓を綺麗に磨き、線香を立て、僕らは手を合わせた。
 紫音のお母さんが亡くなっているのは話を聞いて頭では分かっていたけれど、いざお墓を目の前にすると現実を突きつけられたようで自分ごとの様に心が痛む。
 紫音のお母さんが亡くなったのはちょうど僕の両親が離婚したくらいの時期と重なる。
 小学生高学年の頃に親がいなくなる寂しさは十分分かっているつもりだ。
 だから今の紫音に僕はかける声が中々見つからずにいた。
 「お母さんに紹介するね。この人は蒼唯。私の同級生で命の恩人なの。言っとくけど彼氏じゃないからね?」
 「……最後の一言余計じゃない?」
 そもそもお互いに好きにならないようにする。なんてルールを作ったのは紫音の方でしょ?
 でも、改めてお墓に向き直る。
 「初めまして。……いつも紫音には助けて貰ってます。本当に、たくさん」
 紫音はそんな僕の言葉を聞いて少し意外そうに目を見開き、また前を向いた。
 (お母さん……)
 紫音の悲痛の声が頭に響いた。
 きっと紫音もまだ自分の母の死を受け止めることができていないのかもしれない。
 僕らは今でもまだ子供だし、お母さんが亡くなった当初は当たり前だけど、今よりもずっと幼かったんだから。
 「僕は向こうに居るよ。ゆっくり話しておいで」
 「……ありがとう」
 紫音はいつにも増して小さな声で呟き、僕は墓地のすぐそばにある木陰の下に入って待った。
 その間も僕はずっと父さんのことを考えていた。
 正直、僕は父さんに会いたいのだと思う。
 でも父さんに会うことを考える度に最終的には「もし父さんに嫌われていたら」という思考に陥って足が止まる。
 嫌われるのを覚悟して自分の思いを告白した大輝や乃々さんがどれだけすごかったのかがよく分かる。
 二人は今の僕と同じように拒絶されるかもしれないという不安を抱えてなお、自分の思いを伝えるという選択をした。
 今の僕にはそんなこと……。
 「まだ悩んでるの?」
 「わっ!びっくりした」
 考え込んでいると下から紫音が顔を覗かせた。
 「そんなにお父さんに会うのは怖い?」
 「怖いよ。拒絶されたらと思うと震える。僕には無理だったんだ。僕がこんな力を望んでしまったから。僕には大輝や乃々さんのような強さがないから……」
 手をぎゅっと握りしめた。
 こんな力があれば、こんなに深刻に考えなくて良かったかも知らないのに。
 大輝や乃々さんと同じ強さを僕が持っていたら、父さんにどう思われてもいいからと会いに行けたのに。
 僕は本当にどうしようもない中途半端なやつだ。
 「僕には無理だよ……」
 「それは自分には無理だと自分に言い聞かせているだけじゃないの?」
 紫音は腰に手を当て、頬を膨らました。
 まるで怒ってますと言わんばかりの格好だ。
 (私は今怒ってます!)
 やっぱり怒っているらしい。
 「なんで紫音が怒ってるの?」
 「私はね、蒼唯には私と同じ後悔はして欲しくないの。だから蒼唯にはお父さんと会って欲しいって思ってる」
 紫音の目の前から隣に移動し、後ろの木にもたれかかった。
 「私、お母さんの死ぬ瞬間に立ち会えなかったの。お母さんが死んでしまうってことが怖くて逃げ出した。私はお母さんが死んでしまうことを認めたくなかったの。でも、本当に馬鹿なことをしたと思ってる。お母さんの最期の時間を私への心配の気持ちに使わせてしまった。お母さんだって私に何か直接言いたかったことがあったはず。私はずっとずっとそのことを後悔してきた」
 いつも意地でも目を合わせようとしてくる紫音は下を向いて僕とは目を合わせようとしなかった。
 心配して紫音を見ていると、ガバッと顔を上げ、僕の顔を見つめた。
 その表情は真剣そのものだった。
 「だから、蒼唯には私と同じ轍を踏んで欲しくない。後悔のない選択をして欲しい」
 紫音の伸ばした人差し指が僕の鼻先に触れた。
 「会いに行きたいなら、会いに行くべきだよ」
 紫音のその思いは本物だった。
 心なんて読まなくても分かる。
 彼女のその言葉の重さが、表情が、意思が、それら全てが本当だと告げていた。
 「じゃあ、もし。僕が父さんに疎まれていたらどうしたらいい……?」
 (やっとその気になったね)
 紫音の声が頭に響くと同時に紫音の手が今度は頭に触れた。
 「その時はこの私が慰めてあげよう。人と接し合う以上、衝突っていうのは避けて通れないものなんだよ。誰かの物語ではいい主人公でも、違う視点からだと悪役になったりする。万人に好かれるなんてことはとっても難しいことなんだよ?蒼唯のお父さんの代わりにはなれないかもしれないけど、少なくとも私は君がいい人だって知ってるからね」
 ……紫音は本当に酷い人だ。
 自分のことは関係が終わったら忘れろなんて言って、好きになったらいけないとも言った君がそんな言葉をくれるのは狡いだろ。
 大輝に言われてからずっと考えていたけど、今ようやく自覚した。
 僕は紫音が好きだ。
 人なんてずっと嫌いだと言っていた僕を暗闇から引っ張り出してくれた君が大好きだ。
 君のおかげで僕は友達が作れて、今まで行かなかったような場所に行って、やらなかったことをたくさんやった。
 全部全部、君のおかげなんだ。
 僕は携帯を取り出して、メッセージアプリを起動した。
 「会ってくるよ。父さんに」
 紫音に見せた携帯の画面の父さんとの会話履歴には最初のメッセージが打ち込まれていた。
 「蒼唯のお父さん、後どれくらいで到着しそう?」
 「えっと、仕事が終わりのメッセージをもらって十分くらい経ったしあと少しで来るはずなんだけど」
 「了解!蒼唯のお父さんが来たら私は別の場所に行くから、その後は二人で話してね」
 「ありがとう、わざわざついてきてくれて」
 父さんに「父さんと話したいことがあるんだけど、今日会える?」とメッセージを送ると急な連絡なのにも関わらず父さんからすぐに「仕事を早めに切上げる。どこへ行けばいい?」とメッセージが届いて、僕らは離婚前に通っていたファミリーファミレスに集合する予定を立てた。
 紫音は「やっぱり愛されてるじゃん」と言っていたけど、僕はやはり不安を拭えずにいた。
 人は上辺ならいくらでも取り繕うことができるからだ。
 本来なら取り繕うことは悪いことじゃない。でもこの力のせいで僕はその人の本音が聞けてしまう。
 きっと優しい父さんは上辺では僕に優しく接してくれるに違いない。
 心配なのは心の声の方だ。
 心の声を隠すことができた紫音でも、心の声を偽ることはできなかったし実際にそれを実現できた人を僕は見た事なかった。
 心の声では嘘をつけない。
 僕は内容がどうであろうと父さんの僕への本音が否応なしに聞こえてしまうんだ。
 僕はなんと言われるだろうか。
 あまりの不安の感じ様に紫音も父さんがファミレスに到着するまでは一緒に居てくれていることになった。
 一人でいつまでも悩んでいるよりも紫音のように明るい人が傍に居てくれるだけで随分と気持ちが楽になった。
 ……恋心を自覚してしまったせいでちょっとだけ、本当にちょっとだけ、ドキドキもした。
 「蒼唯!」
 (あぁ!本当に蒼唯だ)
 ファミレスすぐ横の曲がり角からスーツを来た父さんが出てきた。
 父さんの額には秋も終わるというのに汗が滲んでいた。
 本当に仕事が終わってすぐに来てくれたんだ。
 父さんばかりに気が向いていると左手のブレスレットが振動して慌てて紫音の方を見た。
 (それじゃあ、あとは頑張ってね!)
 紫音は父さんにぺこりと一礼し、父さんが出てきた方とは逆の側の曲がり角を曲がって去っていく時にまた紫音の声が頭に響いた。
 (困ったら蒼唯の気持ちを素直に伝えてごらん。案外、人って言うのは実際に口に出して言わないと何も伝わっていないものなんだから。蒼唯はもっと自分に素直に生きてみてもいいと思うよ)
 紫音はそれだけ言うとすぐに姿が見えなくなった。
 紫音は何が伝えたかったのだろうか?
 「蒼唯、元気にしてたか?」
 「え!?あ、うん」
 いや、今はそれどころじゃない。
 やっと父さんに会えたんだ。今はそれに集中しないと。
 久しぶりに見た父さんは記憶の中よりも白髪が増え、僕が大きくなったからか、なんだか小さく見えた。
 「とりあえず、店入るか?」
 「うん」
 平然を装って発した声は震えていた気がした。
 中に入ると案内されたのは偶然にも昔いつも使っていた厨房横の角のテーブル席だった。
 (蒼唯、背が伸びたなぁ。もう越されてしまっただろうか?)
 席に座る時も仕切りに父さんの心の声が聞こえてくる。
 「それで、いきなりどうしたんだ?何か困ったことでもあるのか?」
 「それは……」
 しまった。父さんに会うこと自体が目的で会った後のことを何も考えていなかった。
 会いに来ただけ。なんて言ってわざわざ慌てて来てくれたのに面倒くさいやつだと思われないだろうか。
 父さんにだって、今の父さんの生活があるだろうに、僕がそこに割って入っても良かったのだろうか?
 「どうした、蒼唯?」
 『困ったら、蒼唯の気持ちを素直に伝えてごらん』
 さっき聞いた言葉がやけに耳に残っていた。
 素直な気持ちを伝える……自分に素直に生きる……。
 そんなこと、僕がしてもいいのだろうか。
 心の声が聞こえる前までは、多分僕もそうやって生きてきた人だった。
 でも心の声が聞こえるようになって、人の本音が聞こえるようになった。
 そこで僕の生き方は間違いだったんだと気がついた。
 (あいつがいると場がシラケるんだよな)
 今だって、そんな言葉たちが僕の頭から離れない。
 『誰かの物語ではいい主人公でも、違う視点からだと悪役になったりする』
 これも紫音が言っていた。
 なんだか今日の紫音はいいことばかりを言う。
 そしてそれを全部覚えている僕も僕だなって思って暗かった気持ちが前向きになる。
 僕は最初、出会う人全員に対していい人で居られるように努めた。
 そしてそれが失敗に終わり、いつしか人が嫌いになって避けるようになった。
 紫音やみんなのおかげで今は多少だけど人と話すようになった。
 それでも今だって人と話して嫌われるのは嫌いだ。
 でも今この瞬間だけは悪役でもなんでもいいから、父さんとただ話してみたいと思った。
 悪役でもいい。そう思うと心が少し軽くなった。
 悪役でいいなんて思えたのはこれが初めてだ。
 意を決して父へ向かって口を開いた。
 「父さんに……久しぶりに、会いたくて」
 「俺に、会いに?」
 やっぱり僕の声は少し震えてしまっていた。
 父さんは驚いた顔をして(そうか)と心の中で呟いた。
 さぁ、どう反応されるだろうか。
 面倒くさいやつと思われるだろうか。
 それとも用もないのに呼んだことを怒るだろうか。
 父さんは席から身を乗り出し、右手を上へ振り上げた。
 「っ……!」
 僕は咄嗟に身構えたが次に訪れたのは空を裂くような平手の音でも、鈍い痛みでもなかった。
 「よく来たな。俺も会いたかった」
 父の大きな手は僕の頭を優しく、包み込むように撫でていた。
 「メールくれてありがとうな」
 (こんなことならもっと早くに連絡してやれば良かった)
 肝心の父さんの心の声も僕を思うような言葉ばかりだった。
 今までの僕の不安は杞憂だったようだ。
 「……僕はもうそんなに小さくないよ」
 「俺からしたら蒼唯はずっと子供だよ」
 そう言って父さんも僕の頭をこねくり回し、父さんも僕も涙を堪えて笑っていた。
 それから父さんと今まで会えなかった時間を埋めるようにたくさん話をした。
 「今は母さんと二人で暮らしてる。料理が上達しちゃったよ」
 「いつかお父さんも食べたいな」
 (成長したなぁ)

 「今は三人の友達と一緒に学校を楽しく過ごしてる」
 「そうか。友達は大切にするんだぞ」
 (友達と楽しそうでなによりだ)

 そんな感じで、父さんが心から僕のことを思っていてくれていたことが話をするたびに分かっていった。
 「父さんは今は何してるの?」
 今まで穏やかな顔で話を聞いてくれていた父さんの顔が途端に曇った。
 「仕事は離婚する前とは変わらないところに勤めてるのだが……」
 父さんの話も徐々に歯切れが悪くなっていく。
 (この子にそんなことを話してもいいものだろうか。傷つくかもしれない)
 僕は父さんがさっき、咄嗟に隠した左手を見た。
 確かにその内容は僕にとって酷なことだけど、なにより父さんが僕のこと心配してくれていることが嬉しかった。
 「話してみてよ。大丈夫だから」
 (……この子はこんな顔をすることができたのか。本当に優しい子だ)
 父さんが僕の顔を見るくらいで安心できたらなら本当に良かったと思う。
 「実は……父さん、今は再婚して新しい人と暮らしているんだ」
 父さんは左手を隠していた手を退けると僕が昔見ていた指輪と同じ場所に別の指輪がついていた。
 「少し前に新しく息子も産まれたんだ。今は三人で暮らしてる」
 「僕……弟ができてたんだ」
 「報告できずにすまなかった」
 父さんは僕に頭を下げた。
 「父さん!?」
 でも下げている頭を戻してよ、なんて言えなかった。
 (本当にごめんな)
 父さんの今の謝罪の気持ちは決して口だけのものではなかったから。
 僕は心が読めるだけで記憶まで読めるわけじゃないけど、きっと父さんはこのことをずっと負い目に感じていたんだろうなってことはよく分かった。
 だから僕が呼んだ時に無理をしてでもすぐに来てくれたんだ。
 父さんは本音で、本当のことを話してくれてたんだ。
 「実は……父さんからずっと連絡が来ないことってことは僕は父さんに嫌われてるのかもしれないって今まで思ってたんだ」
 だからこそ、僕も父さんに本音で語りたいと思った。
 僕と真剣に向き合ってくれている父さんに、自分を押し殺した都合のいい返事ばかりで逃げたくないなんてない。
 「でも、父さんと母さんが離婚したのは僕が二人の気持ちなんて考えずにわがままばかり言っていたせいだから、父さんに会いたくても我慢しなきゃってずっと思ってた」
 (……っ!)
 父さんは今にも涙が流れそうな目で僕を抱きしめた。
 「嫌ってなんているものか!俺はずっと蒼唯のことを愛してた。離婚もお前が原因なんかじゃない。蒼唯が一人で抱え込むことなんて何も無いんだ!」
 (こんなに追い込んでしまったなんて……本当にごめんな)
 「こんな不甲斐ないお父さんを許してほしい……。こんなことになるのなら、蒼唯に俺からすぐに連絡を取れば良かった。蒼唯はお母さんについて行ったから、てっきり俺のことは嫌いだと思っていたんだ。そんな俺が蒼唯を置いて新しい場所で家族を作っているなんて知ったらきっと裏切ったと思われてしまうと、そんな自分勝手な思い込みばかりをしてしまっていた……」
 僕の肩に回された父さんの腕は昔のようにとても大きく感じた。
 僕は思わず父さんのスーツを裾を引っ張った。
 「離婚したのだって父さんと母さんが合わなかっただけなんだ。決して蒼唯が原因じゃない!蒼唯は俺たちを最後の最後まで繋ぎ止めてくれていた二人の宝だったんだ」
 父さんは今にも消え入りそうな声で呟くように言った。
 「……それを聞いて安心したよ」
 驚いたように顔を上げた父さんに僕は慣れない笑顔でニコッと笑ってみせた。
 「またこうやって会いに来てもいい?」
 「あぁ!もちろんだ」
 僕はハンカチを父さんに手渡すと、父さんは情けないなと言いながらそれを受け取り涙を拭いた。
 その後父さんに奢りで食べたオムライスは昔と全く変わらない味がした。


 「ご馳走様でした。父さん、今日はありがとう」
 「いいんだ。今まで辛い思いをさせてた分をこれから償わせてくれ。帰りは送って行こうか?」
 「友達と来てるから大丈夫。早く帰って弟の面倒でも見てあげて」
 料理を食べた後、デザートのバニラアイスまで奢ってもらい僕らは店を出た。
 父さんがお会計している間にブレスレットで紫音に合図を送ったし、もう少ししたら紫音はこのファミレスに戻って来るはずだ。
 それまで待って、合流してから電車で帰ると七時を過ぎる頃だろうか。
 紫音も居るしできるだけ早めに帰らないとなぁ。
 紫音がここについたらまたブレスレットに合図が来るはずだし、待ち時間ギリギリまで父さんと話すために駐車場まで一緒に向かった。
 「またいつか僕にも弟を紹介して欲しいな」
 「もちろんだ。彰って名前で最近四歳になったばかりなんだ。俺も仕事の都合が良くければすぐに会いに行くからいつでもメッセージをくれ」
 「うん。楽しみにしてる」
 父さんはニコッとした顔で笑うと車に乗り込んだ。
 エンジンをつける音を聞いて、この車の向かう先が僕の帰る場所と同じでないことに少しだけ寂しさを感じてしまう。
 「そうだ!シオンちゃんにもよろしく言っといてくれ。最初蒼唯と一緒に居るあの子も見違えるほど美人になってびっくりしてしまったよ」
 「えっ?なんで紫音を知って……」
 父さんとの話で大輝や乃々さん、紫音の名前までは紹介していない。
 父さんに僕の友達の名前をいきなり言っても混乱するだけだろうから僕は父さんとの話の中では「友達」としか言っていないはず。
 父さんはなんで知ってるんだ?
 頭がこんがらがってどうにかなりそうだった。
 「あれ、人違いだったか?確か、昔小学校は違ったけど蒼唯と同い年のシオンちゃんって子がこの辺にいなかったか?ほら、よく公園で見た……」
 (やっぱり人違いだったか?碧唯を迎えによく公園に行っていたはずなんだが……高校生にもなるともう誰が誰だか分からなくなってしまうな。俺ももう歳か)
 「でも、蒼唯達が引っ越す前にどこかへ行ってしまったようだし俺の人違いだったんだろう。混乱させて悪かったな。俺もそろそろ帰るよ。蒼唯の言う通りたまには家族孝行しないとな」
 「う、うん……。気をつけて帰ってね」
 「蒼唯もな。身体に気をつけて過ごすんだぞ」
 父さんは車を出し、駅とは逆の方向へ走り去って行った。
 車へ向かって手を振り、車が交差点を左折して見えなくなると手を下ろし考え込んだ。
 父さんの言っていたシオンと紫音は同一人物なのだろうか。
 父さんの言った通り紫音もここに昔住んでいたと言っていた。
 紫音のお母さんの死とお父さんの育児と仕事の両立をきっかけにお父さんの職場の近くに引っ越したとも。
 確かな情報は少ないけど、少なくともここまでは父さんが言っていたことと完璧に辻褄が合っている。
 もしかして僕は昔に紫音に会っているのか?
 そんなことを考えていると左手のブレスレットから振動が送られてきた。
 同時にスマホにも『いまファミレスの入口付近にいるんだけどどこにいるの?』とメッセージが入った。
 慌ててファミレスの入口まで戻ると紫音は一目散に僕の方まで駆け寄ってきた。
 「どうだった?お父さんとはお話できた?」
 (上手くいっているといいんだけど……)
 紫音の顔は笑顔だったが、僕を励ます準備はしていてくれたみたいだ。
 「うん。また会う約束までしてきたよ。紫音のおかげだよ。本当にありがとう」
 「私は何もしてないよ。蒼唯が頑張ったんだって!」
 まるで自分事のように喜び、興奮気味語りかけてくるテンションは帰りの電車を降りるまで続いた。
 「本当に上手くいって良かったよ!私、失敗してたらどうやって励まそうかずっと喫茶店でシュミレーションしてたんだからね」などとしきりに言っていたのは僕を父さんと会うように勧めた張本人として責任を感じていたからなのだろう。
 安心が一転して興奮しているように見えた。
 だけどそのせいでずっと聞きたかったことは聞けず仕舞いで、結局僕は紫音と昔会ったことがあるのかどうかは分からないまま別れてしまった。
 その時はどうせまだ『お手伝い』は続くんだからまた明日聞けばいいと思って、モヤモヤはしていたものの大して重く受け止めずにいた。
 でも、あの時無理をしてでも聞いとけば良かったと悔やんでも悔やみきれない後悔になってしまった。
 「おい!蒼唯!」
 「あ、おはよう大輝。乃々さん……どうしたのそんなに慌てて?」
 いつもは教室で話しながら待ってくれているはずの二人が何故か昇降口まで降りて僕を出待ちしていて、何が何だか分からず混乱した。
 酷く狼狽する乃々さんを宥めながら大輝は落ち着きもなく声を荒らげて言った。
 「昨日の夜に紫音が倒れて意識がまだ戻らないって!」
 「うそでしょ……」
 震える手で触ったブレスレットからはいつまで経っても紫音からの返信は帰ってこなかった。