「おまたせ蒼唯!遅刻して本当にごめん……」
 「気にしてないよ。何かあったの?」
 「ううん。本当になんでもないの、気にしないで!」
 「それ紫音が言っちゃうんだ……」
 「なら……寝坊ってことで!」
 「『なら』って……」
 土曜日になり、僕らはお互いの家の最寄りの駅かつ、県内で一番大きな駅に朝九時に集合を約束した。
 だが、紫音が来たのは午前十一時。
 理由を聞いてもはぐらかすばかりでいつも通り、何か隠し事があるのだろう。
 相変わらずこういう時ばかり心の声は読めないし。
 「ほら蒼唯!時間もないしキビキビ動こう!」
 「だから遅れたのは紫音でしょ!……って早歩き速すぎない?!ちょっと待って!」
 人混みをものともしない様子ですり抜けていく紫音を僕は必死で追いかけた。
 幸い、その路線はいつも紫音について歩いているだけの僕にも覚えがあったので道には迷わず、ホームへ向かうことができた。
 僕らの到着と同時に電車も到着し僕らはそれに慌てて駆け込んだ。
 「というか紫音。言われるがままについて来たけど、今日はどこへ向かってるの?」
 電車に乗りこんだはいいものの、行き先を告げられずにどこかに連れていかれるのは今までで初めてなので困惑した。
 今までは突然「ボーリングに行くよ!」とか「隣県の水族館に行きたいから付き合って!」なんて言ってくることはあったけど、逆を言えば紫音は毎回行き先は事前にきちんと伝えてくれていたので今回の場合が『お手伝い』史上初めての出来事だった。
 「言ってもいいんだけど、それを伝えるにはまず私のことを話さないといけない」
 「紫音のこと?」
 紫音はいつも明るい人物である一方で自分自身のことを頑なに話そうとせず、一年間ともに過ごしてなお謎の多い人だった。
 僕らの出会いといい、いつものはぐらかしてくる態度といい、紫音はいつも僕の核心をつくような質問からは逃げているような感じがしていた。
 これは大輝と乃々さんも同様で中学校からの友達である二人も紫音のことをよく知らないでいた。
 これは二人が隠しているとかじゃなくて二人の心を読んでも分からないのだ。
 二人も「そういえば……」と紫音の持ち前の明るい性格で霞んで見えなくなっていただけで、僕らはあんまり紫音のことを知らなかったんだなというのを知った。
 「面白くもないだろうけど私の昔話、聞いてくれる?」
 「うん。もちろん」
 紫音は一つ大きく深呼吸をした。
 各駅停車のこの電車はホームで止まり、「他の車両との運行の関係で今しばらくお待ちください」が後ろから聞こえてくる。
 深呼吸を終えた紫音の手は微かに震えていた。
 僕はそれを見逃さなかった。
 (なら、ここからは少し重い話になるから心の中でにするね。……それじゃあ、蒼唯には聞いてほしい。私の過去について)
 僕の方へ向き直った紫音に僕も背筋が伸びた。
 (今日行くのは、私のお母さんのお墓参りなんだ)
 お墓参り?!
 つまり紫音のお母さんは……。
 (私のお母さんは私が小学生低学年の頃に癌が原因で亡くなったの。悪性の肺がんで、この辺りで一番大きな病院を紹介してもらって全力で治療に当たってもらったけど、お母さんはこの世を去った)
 実を言うと死についての話は僕にとってすごい遠い話では無い。
 心を読めるという力を持っていると、道を歩くだけでも誰かの死が原因の傷を持っている人をよく見かける。
 でもそれは、言い方は悪いかもしれないけどあくまでどこの誰か分からない人の話。
 紫音ほど身近な人がこんな傷を抱えていたことはない。
 僕はどう反応すればいいか分からなかった。
 それと同時にあることにも気がついた。
 僕が事故で入院した時、何故紫音が僕の病室にすぐに来ることができたのか。
 この辺りで一番大きい病院と言えるのは僕が入院していたあのショッピングモール裏の病院だ。
 きっと紫音もお見舞いのために何度もあそこに通ったのだろう。
 そこの医者の先生や看護師さんと顔見知りでもおかしくはなさそうだ。
 (今向かっているのは私たちの住んでるところの二つ南の街。母さんが生まれた故郷で、私たち家族が昔住んでいた家があるところだよ)
 そして、紫音のお母さんのお墓が安置された場所。
 紫音にとって思い出も深い場所なんだろう。
 (今住んでいる家はお母さんが亡くなって、お父さんの職場に近い場所に引っ越した家なの。当時の私はまだ小学生だし、お母さんの実家の祖父母はもう既に他界していて、お父さんの家のおじいちゃんは認知症で施設に、おばあちゃんも老人ホームへ入っているから頼れる人も居なくて、育児と仕事を両立するための選択だったらしい)
 「……大変だったね」
 僕が頑張ってかろうじて絞り出した言葉だった。
 (私は優しいお母さんが大好きだった。お母さんは花が好きでいつも花の匂いがしてて、指先も器用で病室では二人でずっと折り紙を折ってたんだけだどね、毎回私はお母さんのやつと出来を較べてガッカリするんだよね)
 慈しむような、懐かしむような。
 紫音の柔らかく降りた目尻からそんな気持ちを感じる。
 (そんなお母さんに蒼唯を合わせてあげたかったのが理由一つ目)
 「理由一つ目?二つ目があるの?」
 (あるよ。自分でも気がついてるんじゃない?今向かっている場所は蒼唯にも心当たりがあるでしょ?)
 確かに紫音の言う通り、僕らが今向かっている場所には心当たりがあった。
 でも、紫音にとってその場所に行くのはお母さんの墓参りのためという正当な理由があった。
 だから考えなかった。
 そもそもその考えに至ることができるはずがないんだ。
 だって紫音にそのことを話したことはないはずだから。
 (今から向かう場所。それは蒼唯の前の家、つまり蒼唯のお父さんがいる場所だよ)
 紫音には僕が離婚して母に引き取られた話まではした。一年前のショッピングモールの時の話だ。
 でも、引っ越す前の場所まで教えたつもりは無い。
 「ど、どうして……」
 「今はそんなこといいでしょ?」
 紫音は今度は口に出して言ってきた。
 「これはチャンスなんだよ?紫音がお父さんとお話ができる機会なの」
 「そんなことって……」
 いつものように紫音は都合が悪くなるとはぐらかしてきたけど、今の僕にはそれを気にする余裕もなかった。
 「無理だよ……」
 「なんで無理って決めつけるの?」
 「だって僕と父さんが会った時、心の中でなんて言われるか分からない。暴言を吐かれるかもしれないし、ここまでわざわざ来た僕に呆れるかもしれない」
 「そうじゃない可能性もあるでしょ?」
 「ないよ!ならなんで父さんは何年も僕のスマホに何も送ってこない!?」
 僕はスマホで父さんとのメッセージアプリの会話履歴を見せた。
 その画面は空欄だった。
 何年も前からそうだ。
 父さんは連絡先は渡してきたものの、もうとっくに僕を見放しているに違いない。
 だって二人を離婚に追いやったのは他の誰でもない、僕自身なのだから。
 「なら、いっそ何も知らないまま幸せな方がいいじゃないか……」
 僕は情けなく小さな声で絞り出した。
 「なら帰るまで考えてみて。会うのか、会わないのか。蒼唯がこれ以上会わないと言うんだったら私もこれ以上は何も言わない」
 紫音は僕の肩に頭を乗せて静かになった。
 心の声ももう聞こえない。
 紫音は僕に失望してしまっただろうか?
 僕は肩に乗った紫音の頭を押し返すことが出来なかった。