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 ストーカーか、不審者か。どちらかに違いないという不名誉な烙印を押された井澤先生は、それから何日経っても姿を見せなかった。
 こちらに記憶がないのを良いことに、教師を騙って女子高生に近づいた怪しげな男。
 心配症な両親はここぞとばかりに過保護さを発揮し、(ぼく)を再び大部屋から個室へと移動させた。

「今度の部屋は鍵をかけられるから安心してね、すずちゃん。病院の先生や看護師さんたち以外が訪ねてきたら、絶対に鍵を開けちゃだめだからね!」

 それは変装でもされたら終わりなんじゃ……という突っ込みはせず、(ぼく)は形だけ了承する。
 本当は、今すぐにでもあの人に会いたい。
 だって、(ぼく)が唯一過去の記憶を思い起こせそうになったのは、彼の顔を見たときだけだったのだから。



「すず——っ! やっと終業式が終わったよ! 待ちに待った夏休みの幕開けだぁ——っ!!」

 目が覚めるような大声とともに、病室のドアを外側からドンドンドン! と容赦なく叩く音がする。
 無論、沙耶だった。こちらがすぐさま鍵を開けると、彼女とその後ろにいた大男、桃ちゃんが勢いよく中へ(なだ)れ込んでくる。二人とも制服姿で、手には学校から持ち帰った大荷物を抱えていた。

「頼むから静かにしてっていつも言ってるじゃないか。軽くノックをしてくれたらそれで気づくからさ」

「えー? そんなにうるさくしたかなぁ。ね、桃ちゃん?」

「おう。オレたちがすずに会いたいって思う気持ちの大きさはこんなもんじゃねーぞ!」

 桃ちゃん——フルネームは桃城(ももしろ)流星(りゅうせい)という彼は、手にしたビデオカメラのレンズをこちらに向ける。

「えっ、ちょっと。もしかしてもう撮ってるの?」

「おうよ! すずの一挙手一投足は全部が芸術だからな。どうせ後で編集するし、素材は少しでも多い方がいいだろ!」

 桃ちゃんの将来の夢は映画監督である。沙耶の証言によれば、つい一年ほど前に急に思い立ったらしい。そしてこの夏、学生向けのショートムービーのコンテストがあるらしく、そこで良い結果を出そうと息巻いているのだ。

「オレの受賞第一作目の被写体は、すず、お前だ! これは絶対に譲れない条件だからな。この夏はずーっとお前にくっついてるぞ」

「いつも通りじゃん、それ」

 沙耶の指摘に、桃ちゃんは「へへっ」と得意げに笑う。
 (ぼく)の退院は二日後まで迫っていた。
 あれから結局記憶は戻らず、脳にも特に変化はない。このまま何も思い出せずに時間だけが過ぎていくのだろうかと思うと、少しだけ不安になる。
 それに、

(井澤先生には、もう会えないのかなぁ)

 先生、と呼べる相手ではないかもしれないけれど。彼はあれから一度も顔を見せに来てはくれない。(ぼく)がこのまま退院してしまったら、もう二度と会うこともできないのではないだろうか。