彼にとって今の状況は、大事な幼馴染を見知らぬ人間に乗っ取られていることになる。
それも密かな想いを寄せる相手だ。
そんな状況下で、不安や不快感を抱かないわけがない。
「美波とかいったな。あんたは、これからどうするつもりなんだ? このままずっと、すずの体で生きていくつもりなのか?」
その問いに、美波はすぐに答えられなかった。
どう答えるべきか、というよりも、これからどうなるのか本人でさえわかっていないというのが実際のところだろう。
「あたしもずっと気になってたんだけど……」
と、今度は桃城流星の隣から、岩清水沙耶が恐る恐るといった様子で言う。
「今、すずの記憶はどうなってるの? 本物のすずは、ちゃんと戻ってこられるの?」
「それは……わからない。今の僕には、比良坂すずの記憶がないし」
事故で昏睡状態に陥って以降、比良坂すずの記憶は戻っていない。
脳に異常がなかったことから、記憶障害は一時的なものではないかとの見解ではあったが。
「オレは認めねえぞ。すずの体はすずのものだ。たとえどんな事情があろうと、あんたに渡すわけにはいかない」
「あたしも桃ちゃんに同意。あなたには悪いけど、すずの意識が戻らなくなるのは困るから」
このままではいけないということは、俺もわかっているつもりだった。
この体は比良坂すずのものだ。
いずれは本来の持ち主に返すのが道理だろう。
一人の体に二人分の意識が混在できないというのなら、美波は、ここに居続けることはできない。
「わかってる。僕も、ずっとこのままでいいだなんて思ってない。それに……」
美波はそこで一度言葉を切ると、今度は俺の方へ顔を向けた。
そして、
「あの映画でもそうだったよね。臓器移植で記憶転移が起こって、一人の体に二人の意識が宿ったけれど、最終的には……」
あの映画。
そう、あの映画だ。
俺たちが中学に入って、初めての部活動見学に行った日。
映画鑑賞部で、美波はあのB級映画に魅せられて、記憶転移の存在を知ったのだ。
『僕《わたし》は誰でしょう』。
心臓移植を受けた女子高生が、次第に別人の記憶を思い出すという物語。
あの頃の俺は、あんなものは所詮フィクションだと思っていた。
臓器移植で記憶が移るなんて、現実世界ではけして起こることのない陳腐な発想だと思っていた。
けれど美波は、こうして奇跡を起こした。
十年の時を越えて、ここへ戻ってきた。
だから……もしもあの映画の通りに、現実でも同じことが起こるとしたら、比良坂すずの体に宿った美波の魂は——。
「……最終的には、きっと、僕の記憶は消えていくんだ。比良坂すずの意識が戻れば、僕はもうここにはいられない。比良坂すずの回復と同時に、僕はこの世からいなくなる」
比良坂すずの記憶障害が一時的なものであるならば、きっと、美波がここにいられる時間は長くない。
そう遠くない未来に、俺はまた、美波を失うことになるのだ。