◯


 その日から、俺は何度も愛崎の家に通った。
 何度も会って話すたびに、お互いのことを深く知っていった。
 そうすることで俺はやっと、彼女の抱えている悩みを感じ取った。
 すなわち、彼女は心と体とで性別が違うのだと。

 ——井澤くんはいいよね。男の子でさ。

 彼女は男に生まれたかったのだ。
 女の体でこの世に生まれてきたけれど、心は男そのもの。

 俺と話す時も、単なる同性の友達として接している。
 俺を軽々しく家に誘ったのも、そもそも俺を異性として見ていなかったからだ。

 彼女は俺の前では素の自分でいられる。

 いつも無理をして被っている仮面を取り払って、一人の男であろうとする。

 なのに。

 俺はそんな彼女を一人の女の子として認識して、どうしようもなく惹かれていくのだった。


          ◯


 やがて季節はめぐり、俺たちは中学生になった。

 学校の場所は遠くなり、通学手段は自転車に変わる。
 同級生の数も一気に増え、新しい顔ぶれと対面した。

 環境が変われば、人も自然と変わっていく。
 身近な変化で一番大きかったのは、やはり愛崎のことだった。
 彼女は中学一年の春に、生まれて初めての恋をしたのだ。



「好きな女の子がいるんだ」

 彼女からそんな相談を受けたのは、放課後に二人で近くのショッピングモールに寄った時のことだった。

 学校から歩いていける距離に、年季の入った大型ショッピングモールがある。
 下校時にはそこのフードコートでちょっとだけ腹を満たしていくのが、俺たちの日課になりつつあった。

 この頃にはすでに俺たちの関係は周りに知れ渡っていた。
 異性同士ではあるけれど、恋愛関係ではないただの友達。
 初めはお似合いだと茶化されたこともあったが、愛崎に全くその気がないことは誰の目にも明らかで、すぐにネタにされなくなった。

「好きな()()()か……。そりゃ難儀な話だな」

「そうなんだよ。こっちも見た目は女だしさ。普通に告白しても、たぶん困らせるだけだと思う……。こういう時って、どうしたらいいのかな」

 それを俺に聞くのか、と思った。
 当事者である愛崎にもわからないのに、俺のような身も心も男である人間にそんなことを聞かれても困る。

 それにただでさえ、こっちは目の前の彼女に密かな想いを寄せているというのに。
 いくら愛崎が鈍感とはいえ、あまりにも残酷な仕打ちではないか。

 結局、その後も良い解決策は見つからなかった。
 愛崎は叶わぬ恋を密かに抱えながら、一女子中学生として日々を過ごしていく。

 けれど、彼女は着実に変わりつつあった。
 小学生の頃はあれだけ完璧な優等生を装っていた彼女が、その仮初の姿を崩し始めたのだ。



「昨日、母さんとケンカした」

 言いながら、愛崎はバドミントンのシャトルを頭上へ放り投げ、こちらへサーブを打つ。
 俺がちょっと意地悪な方向へ打ち返しても、運動神経の良い彼女は難なくラリーを続けた。

 放課後の夕暮れ時。
 俺たちは家の近所にある『桜ヶ丘パーク』に来ていた。
 だだっ広いグラウンドの端っこで、二人だけのバドミントンを楽しむ。

 俺はいつもの制服姿だったが、愛崎は体育用のジャージ姿だった。
 ここのところ、彼女は一日中この服装でいることが多い。
 本人曰く、制服のスカートを穿くのがどうしても嫌なのだという。
 教員に注意されてもお構いなしだ。
 
「珍しいな。愛崎が母親とケンカなんて。何をやらかしたんだ?」

 小学生の頃の彼女は、いつも母親の顔色を窺っていた。
 ママ、と呼び慕い、母親の気を損ねることがないよう、細心の注意を払っていたはずだ。

 しかし最近の愛崎は違う。
 もともと母親から言い聞かされていた、「女は女らしく」というルールを平気で破る。
 私服は男物ばかり着るようになり、学校ではずっとジャージ姿でいる。
 さらにはあれだけ長かった綺麗な髪も、今はばっさりと切ってショートカットになっていた。

「やらかしたっていうか……母さんが急にキレたんだよ。()の一人称が気に入らないみたいでね」

 彼女は数日前から、自分のことを『(ぼく)』と呼ぶようになった。

 世の女子中学生の大半は、自分のことを『ぼく』とは呼ばないだろう。
 もちろんゼロではないだろうが、明らかに少数派である。
 少数派であるということは、彼女の母親が許さない。

「僕は放っといてほしいんだけどな。母さんには、この気持ちは理解できないみたいだ」

 彼女は着実に変わりつつある。

 俺が悪影響を与えてしまったのだろうか、と思うこともある。

 彼女にとって何が正解なのか、俺にも、本人にも、誰にもわからなかった。