◯
翌朝。
クマゼミとミンミンゼミの合唱が耳をつんざく快晴の下。
比良坂すずの退院に合わせて、両親と沙耶、桃ちゃんが病院の入口まで迎えに来てくれた。
久方ぶりに病衣以外の服を着ることになった僕は、両親が用意してくれた私服を身に纏っていた。
袖がレース状になった清楚なブラウスに、丈の長いパステルカラーのスカート。
比良坂すずが好んで着ていたものらしいが、今の僕にとってはなんだか落ち着かない。
「すず——っ! 退院おめでとう!」
底抜けに明るい声とともに、がばり、と沙耶から熱い抱擁を受けた。
その後ろから、
「うっ……おめでとう、すず。やっとこの日を迎えられたなぁ……!」
まるで長年の悲願を達成したかのごとく、涙ぐみながら花束を手渡してくれる桃ちゃん。
そして、
「おめでとう、お姉ちゃん」
約束通り、昨日階段で会った男の子が玄関まで見送りに来てくれていた。
彼はいつもの病衣を纏っていたが、体は車椅子に預けている。
心なしか顔色も良くないように見えるが、具合が悪いのだろうか。
「本当に来てくれたんだね。ありがとう。……ええと」
「おれ、『みつき』だよ。光る希望って書いて、光希」
「光希くんか。良い名前だね」
きっとご両親が大切に付けてくれた名前なのだろうな、と思う。
「光希くんも、早く退院できるといいね」
「おれさ、余命一ヶ月って言われてるんだ」
彼はまるで何でもないことのように、表情一つ変えずに言った。
あまりにも想定外の発言だったので、私は何も言えずに固まってしまう。
「一ヶ月後は八月の終わりだから、この夏を越せるかどうかはわからないんだって。でもさ、人間って意外と気持ち次第でどうとでもなるって、おれの父さんは言ってる。だからおれ、元気になってここを退院していく人に宣言してるんだ。おれはあんたより絶対長生きするって」
そう言った彼の目は真剣だった。
退院していく人よりもずっと長生きすることを誓い、心を奮い立たせる。
昨日彼が言っていた『元気をもらう』というのは、そういうことだったのか。
「おれは、お姉ちゃんよりも長生きする。だからお姉ちゃんも、おれのために長生きしてね。その方がお互いにずっと長く生きられるからさ」
自分の言葉の力を信じる彼は、純粋で、眩しくて。
誰よりも生命力を感じさせる顔で笑っていた。
◯
「これよりっ、『祝⭐︎退院! すずおかえりパーティー』を開催しまーすっ!!」
いえーい! とマイク片手に声を弾ませる沙耶。
周りでは両親が嬉しそうに拍手を送り、桃ちゃんがクラッカーを鳴らす。
私が帰りついた比良坂家のリビングは、カラフルな飾り付けがなされたパーティー会場と化していた。
テーブルにはオードブルやピザ、ケーキの他にも手料理がいくつも並んでいる。
「昨日は夜中まで用意してたんだよー。すずが喜んでくれたら嬉しいなーって」
「これっ。このポテトサラダな、オレが練習を重ねて作ったんだ! ほら、食べてみろすずっ!」
「すずちゃんは本当に良いお友達に恵まれたわねぇ。お母さん、泣けてきちゃう……」
まさかここまで熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかった私は、その場でたったひとり呆気にとられていた。
彼らの喜びようを見るに、比良坂すずという少女はやはり常日頃から愛されている存在なのだろう。
(でも、今の私は)
脳裏で、井澤先生の言葉が甦る。
——今のキミはそうじゃないだろう?
今の私は比良坂すずではない、と彼は言っていた。
なら、彼女の皮を被って、彼らの愛情を一身に受ける今の私は、彼らの心を踏みにじっているのも同然なのではないだろうか。