「よしよし、リー。良い子だ」

 散歩のついでに立ち寄った公園で、投げたボールを咥えて戻ったリーの頭や首周りをわしわしと撫でて笑う。

 土佐辺くんがリーの名を呼ぶ度に口元がゆるんでしまい、嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちになった。彼は愛犬の名前を口にするたび、撫でるたびに僕を思い出していたのだろうか。

「……いいなぁ」

 無意識のうちにこぼした呟きは彼の耳にしっかり届いてしまったようで、ものすごく驚いた顔で振り返られた。

「あ、いや、ごめん、忘れて」

 恥ずかしくて即撤回したけれど、土佐辺くんはスルーしてはくれないようだ。

 今まで、亜衣の前では両親や祖父母に甘えないようにしてきた。男だから。お兄ちゃんだから、と。でも、僕にだって甘えたい。ずっと欲しくてたまらなかった『僕を一番に考えてくれる存在』が目の前にいるのだから。

「安麻田も撫でられたい?」
「いや、そういうわけでは」
「いいよ。いつでも撫でる」

 ボールを遠くに投げ、リーが走って取りに行っている間に土佐辺くんが目の前に立つ。そっと伸ばされた手が僕の髪をするりと撫で、頬に触れた。夕焼けに照らされた彼の顔をぼんやりと見上げていたら、不意に視界が塞がれる。

 一瞬だけ唇になにかが触れた感触があった。キスされたのだと理解する前にボールを咥えたリーが駆け戻ってくる。慌てて身体を離し、二人掛かりでリーを撫でて褒めまくった。

「ごめん、撫でるだけで終わらなかった」
「いいよ。嫌じゃなかったし」

 土佐辺くんに触れられても怖くない。
 もっと触れてほしいと思ったくらい。

「でも、外はちょっと」

 ここは夕方の公園の片隅。少ないけれど周りには人がいる。幸いさっきのキスは誰にも見咎められることはなかった。

「部屋で二人きりだと我慢できなくなるから」

 芽生えた欲を誤魔化すように、土佐辺くんは再びボールを投げた。思いのほか遠くに飛んだそれを探しにいくリーの姿を目で追う。

「我慢しなくていいって言ったらどうする?」
「頼むから、もう少し考えてから喋って!」

 僕の言葉に、土佐辺くんは両手で顔を覆い隠した。以前もこんな状態になっていたな、と思い出す。

「たくさん考えたよ、君のこと」
「オレのことを?」
「そう。色々教えてもらったけど、まだ知らないことのほうが多いから教えてくれる?」

 もっと土佐辺くんのことが知りたい。そう思うのは、やはり友情以上の感情を彼に抱くようになったからだ。

「じゃあ、安麻田も教えて」

 土佐辺くんにもまだ知らないことがあるのか。もう全部知られている気がするんだけど、なんて考えていたら両頬を挟んで上に向けられた。超至近距離で視線が交わる。

「他の誰も知らない安麻田を知りたい。これからはオレだけに見せるって約束して」

 今まで見たことがない真剣な眼差しに思わず(ひる)む。十年ぶんの想いの重さに押しつぶされてしまいそうになる。涼しい顔の裏で、彼はこんなに激しい感情を隠し続けていたのだ。

 気付くと同時に頬がカッと熱くなる。さっきまで平気で話せていた自分が信じられない。急に恥ずかしくなってきた。

「教えるの、好きだろ?」

 勉強会の時のことを言っているのだとすぐに分かった。得意ではないけれど、教える喜びは覚えている。やっとの思いで了承すると、土佐辺くんは嬉しそうに口元をほころばせた。

 ボールを咥えて戻ってきたリーを二人で撫でまくる。誇らしげな様子のリーは褒められること、愛されることに慣れていた。僕もこんな風に彼の愛情を受け取るだけの自信が持てるだろうか。

「安麻田、そろそろ帰ろう。送ってく」
「うん、ありがとう土佐辺くん」

 差し出された手を取れば、力強く握り返された。そして、当たり前のように隣に並んで歩く。

 時折リーに引っ張られながら。



 
『なんでも知ってる土佐辺くん。』完